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憧れの場所、花園が教えてくれたこと

RUGGERSオリジナルコラム
筆:廣瀬俊朗
1981年生まれ、大阪府吹田市出身
元ラグビー日本代表キャプテン
株式会社HiRAKU 代表取締役
NPO法人 Doooooooo 理事

 いよいよ第100回全国高校大会(通称:「花園」)が開催される。記念すべき100回目。その大会が無観客で開催されようとしている。この日を楽しみにしていた親御さん、関係者の皆さんの気持ちを思うと切ない。でも、開催されるだけでもありがたいと捉えて、応援していくしかない。僕らなりの支援ができれば良いなとも思っている。

 僕が花園を知ったのは、小学生の時である。正月の元日、2日は祖父母の家に行く。元日は高校(通称:花園)の準々決勝、2日は大学選手権をテレビで見ていた。我が家では駅伝ではなくラグビーが当たり前で、3日は東大阪市花園ラグビー場まで実際に観に行っていた。ベスト8の強豪同士の戦いの4試合全てが第一グラウンドで開催される。これを観戦できることに、とてもワクワクしていた。小学生の僕にとっては、高校生のラグビー選手はとても逞しく、パス・キック・ランともに迫力があり、いちファンとして「すごい!!」と思いながら観戦を楽しんだ。生駒の風はとても寒かったが、温かい飲み物を飲んだり、持っていった膝掛けで暖を取ったりしながら4試合を満喫していた。帰り道、色々と考えて兄弟で話をするのが定番であった。あの場でプレーすることを夢見るというよりも「すごいなー、カッコええなー」という感じで、リアルに自分自身がプレーすることは想像できなかった。4日は試合がないので、僕にとってはつまらない日であった。そこから5日、7日とトーナメントが続くが、その日がくることが待ち遠しかった。気がつくと冬休みが終わっていて、「学校が始まってしまう〜!宿題やらないと!!」と焦っていた印象が強く残っている。

 中学生ぐらいになると、もう少し花園が身近になった。同じラグビースクールの先輩で、知っている人が出場するようになってきた。また、中学3年生のときは大阪府選抜のセレクションで、花園で試合をやらせてもらって、第一グラウンドに立って試合をすることもあった。そのときは、両端からゴールキックを決めることができて、お客さんがざわめいて、気持ち良かったことを覚えている。正月にこの場に立てたらどんな気持ちなんだろうか、と思っていた。

 いよいよ、高校へ。その時に考えたことは、「花園に出たい!!あの場で活躍したい!!」と強く思った。一方で、勉強も好きだったし、ラグビーだけに没頭して良いのかという思いもあり、中学生ながらとても悩んだ。東海大仰星の監督に「一緒に日本一になろう」と言って誘っていただき、「めっちゃいきたい!!」と心が揺れたこともあった。また、勉強も頑張っている同志社香里に行って、花園と勉強を両立するのがベストだと思うこともあった。さらに、文武両道の学校という観点から、北野高校も魅力的に見えてきた。北野高校はおじいちゃんの母校でもあったし、一緒に勉強している仲間も目指していて、結果的には、まだ人生をどこかの道に絞らなくても良いのでは、と考えて北野高校を受験することになった。私立は北野高校があかんかったら、大阪工大高校(現:常翔学園)でラグビーに絞ろうと決めた。決まってからは必死に勉強してなんとか北野高校に入学できた。
(このあたりの詳しい話は以前のコラムを読んでほしい)

 とは言え、入学してみると、なかなか花園出場は厳しいことがわかった。そこから花園に対しては、観には行くものの、少し悔しい気持ちもありながら観戦するようになった。中学から知っている仲間が活躍するシーンを見ていると、「僕でもできるはずなのに…」という思いも少しはあったのだと思う。一方で良い刺激も受けた。高校一年の時に、慶應高校が花園に出場していた。その慶應高校のフランカーの選手がものすごかった。小さいのに強烈なタックルをしていて、躍動していた。「えげつない選手がいる。すごい!!」といまだに印象に残っている。その印象があったので、もしかしたら大学進学の時に、慶應に行きたいと思ったのかもしれない。黒黄のジャージ(注1)に憧れたのは高校1年の花園だったのだと今回改めて思い直した。そのフランカーの人は野澤武史(注2)さんである。あれから約25年が経ち、今は一緒にいろいろな活動をさせて頂いているのだから、人の縁というのは本当に不思議なものだ。

 僕の高校生活は、結果的にやはり花園には出ることができなかった。3年生の時は、東海大仰星が花園で初優勝。あの時に東海大仰星に行くと決めていれば、初めての日本一を味わえたかもしれない、と正直悔しい想いもあった。でも、次のステージでも負けられへんな、と覚悟を決めるきっかけにもなった。その時の想いがあったからこそ大学生の時に頑張れたことも事実である。

 花園という憧れの場所が教えてくれたことは多いなと思う。幼少の僕を成長させ、高校生の時には自分自身がその場に立てなかったからこそ、頑張ろうというモチベーションもくれた。今年はコロナ禍での開催。高校生にとって特別な場所になるだけでなく、我々大人にとっても、何かスポーツの価値を感じられる特別な場になるのではないかと思っている。楽しみで仕方がない。


(注1)黒黄のジャージ…慶應義塾のラグビージャージ。黒と黄色のストライプで、タイガージャージとも呼ばれている。

(注2)野澤武史さん…元ラグビー日本代表。現在は、(株)山川出版社 代表取締役副社長を務めながら、日本ラグビーフットボール協会リソースコーチとして若手選手の強化・発掘を担当。筆者とは慶應義塾大学時代に共にプレーし、現在は「スポーツを止めるな」の活動などを共にしている。


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