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大学院の試験を受けながら考えたこと。

ryotaです。

ついに先日、この1年間頭をもやもやさせていた大学院入試が終わった。
結果はまだわからないが、まあ言いたいことは言えたし、ダメだったらマッチングの問題だろうと思う。
今は頭からそのことが消え去って、開放感というか何か不思議な感覚だ。
ふわふわしている。

僕が大学院を受けたのは教育についてもう少し学びたいからだと思ったからだ。
変えたい現状があって。
見出した課題があって。
その課題の解決方法を模索したくって。
僕は大学院を受験した。
就活も去年はしたが、どうも自分が抱いている課題意識は何に梃入れをしたら状況が変わるのか、まだわからなくて中途半端にやるくらいならといっそのことやめた。
逆に言えば就活を辞めさせるくらいの強い動機があって大学院を目指した。

そんな大学院の道も、結果はわからないがちょっと落ち着いた。
この1年間頭を悩ませ続けたものが解決するのはどこかもの悲しい。
ある意味で待ちに待った入試だった。

そんな入試を受けながら考え事をしていた。
入試は論述と口述の試験だった。
論述の試験では90分が与えられるが、問題は一つだけだ。
最後の30分くらいは完全に持て余すこととなった。
その時間にいろんなことに想いを馳せていたのだけども。

ふと前の席に座る受験生の背中を見た時に考えたことがあった。

「この人は敵なのだろうか、それとも味方か」


大学入試や高校入試をしたときには僕は他の受験生をことごとく倒すべき敵扱いをしていた。
受験校の倍率を見ては、自分は何人を蹴散らせば合格できるのだろうかと常に考えていた。
受験会場でも「あ、こいつよりは俺はできるだろう」と自分よりしんどそうな受験生を見ては自分はこいつらには勝てると言い聞かせていた。
今までの受験では、周りの受験生は完全に敵だった。
自分はいかにその敵を出し抜いて合格にたどり着くかだけを考えていた。

それが今回はどうだろう。
前の席に座る受験生の背中を見て。
「この人も自分と同じように何か大きな課題意識があってこの受験に挑んでるんだろうな」と思うと、どうも敵とは思えなかった。
むしろ、自分と同じように強い動機があってこの受験に挑んでいるという点では想いを同じにする仲間なのではないかと思った。
自分もそうだったが今は「大学院に行ってどうなる」といった風当たりが強い時代だ。
そんな中でもこの受験に臨んでいるということはこの人にも相応の覚悟があるに違いない。
でなきゃここまで来ちゃいない。
ならば、この受験生も敵ではなくて、僕と同じように社会をすこしでも良くしたいと思っている同志ではないかと思った。

思えば、同じ高校受験も大学受験も同じ志があって同じ高校や学部を受けているのに、その同じ目標を持った人たちを敵同士にしてしまう構造はいかがなものだな。
まあ定員があって試験があるからには、そうやって敵が生まれるのは仕方がないが、果たして同じ目標を持つもの同士を敵対させるこの試験という制度はいかがなものだろうなあとふと考えた。

論述試験と口述試験の間に声をかけた同じ領域の受験生は他の大学院も受験したようで、ご飯を食べながらその時に口述試験ではどんなことを聞かれたのかを教えてくれたりアドバイスをくれたり、とても受験で枠を取り合う相手だとは思えなかった。
口述試験前にはお互いにエールを送りあい、おかげで口述試験の本番もリラックスして臨むことができた。
帰り際にも口の形で「頑張ってね」と声をかけて帰ってきたが、彼女の受験結果も気になるところだ。
そこには敵同士という構図は、少なくとも僕から見れば完全になくなっていたように思う。
同志だった。

まあこの話にオチはないんだけども。
受験生同士は本当に敵同士なのか?
入試に挑みながらふとそんなことを考えていました。

ryota

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