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おさらいの時代

 奇妙なウイルスの蔓延で世界が大混乱に陥り、2020年という年は僕にとっても何かが変わる変革の時代の始まりを余儀なくされる年になった。

 毎年出かけていたスイスの時計フェアへの取材旅行も、フェアの中止によって実現せず、したがってその取材をテーマにした、雑誌などへの寄稿や、時計を語るイヴェントなどもすべて休止となった。

 幸いなことに2020年の1月にはアメリカに暮らす息子家族に会いに出かけ、孫たちともたくさん遊ぶことができたのだが、2月の初めに帰国したら、クルーズ船の大クラスターが始まり、そこから世界は奈落の底へと、じりじりと滑り込んでいった。

さて、こんな事態に遭遇するのは初めてであり、あの湾岸戦争やニューヨークのテロの時でも、事態はやがて収束に向かい、航空機による各国への往来も、すぐさま通常の状態に戻ることができた。

 しかし今回のパンデミックの主役であるコロナウイルスは、見えない敵であるがゆえに困りものである。

 ワクチンという、これまた正体がわかりにくい、いわば軽い毒によって、何とかこの難局を、人類は乗り切りたいと思っているらしい。

 いわば『毒によって毒を制す』の言葉通りにしか、切り札がないと考える人も多いようなのだ。


 たっぷりと時間が与えられたこの時代を愚考するに、これは一度これまでの時代と自分を、考え直すチャンスととらえ、『おさらいの時代』とするのが良いと僕は考えたのだ。

 そしてまず取り掛かったのは、長年にわたって撮りためたフィルム時代の写真を、デジタル化することであった。

 1971年のインド、ヨーロッパへの旅に始まった、僕の海外旅行のそれはヴィジュアルな記録であり、ピンボケ写真を含めて、僕が歩くことが許された世界の思い出だから、振り返って面白くないわけがない。

 それぞれの旅で出会った人や、立ち止まった街角、初めていただいたエキゾチックな料理やワインの味が、次々と甦ってきて、アッという間に時間が過ぎていく。

 写真の整理はある種のタイムマシン搭乗感覚を覚えさせてくれる、大きな楽しみとなってくれたのである。

 だがこの秋から冬にかけて、スキャナーを駆使してデジタル化したポジは結構な本数になったが、実はまだまだたくさんの未整理のポジがあり、それをまたこれからじっくりと取り込んでいこうと思っている。


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1971年に始めて日本を離れ、海外へと旅立ちました。ニューデリーの空港に降り立つと、どこかしらエキゾティックなスパイの香りと、南国の花の匂いが漂ってきたものでした。
その濃厚な香りに、異国に来たのだと実感したものです。

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サンフランシスコ湾を見つめる初老の男性の横顔を見ると、オーテイス・レディングの名曲”ドッグ・オブ・ベイ”が思い浮かんできました。

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パリ最大の蚤の市”クリニャンクール”の奥のほうに、ジャズを聴かせるレストランがあり、そこではジャンゴ・ラインハルト風の、パリのジャズやシャンソンの名曲を聴きながら、ステーキ&フリットや、ムール貝のワイン蒸しを楽しんだものです。

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パリ市街も端っこのほうに行くと、こんな平屋建てのカフェがあったものです。ここはパリの南側の14区あたりだったと思います。この辺りはベルエポックのころ、日本人画家や小説家などが暮らした界隈で、その雰囲気を味わおうと三ツ星ホテルに泊まり、徒歩や地下鉄でパリのあちこちを探索したものでした。

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1975年のサンフランシスコは、ようやくヴェトナム戦争も終わり、西海岸には再びの自由な雰囲気が戻ってきていました。ヒッピー文化華やかなりし時代の雰囲気が、このスナップショットから感じ取れるでしょう。

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