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二人のアグネス

 アグネス・チャンの二枚目のシングル盤のために『妖精の詩』の作詞をしたのは、確か1973年のことだった。
 香港からやってきたあどけなさの残る若き歌姫と、そのお姉さんと打ち合わせをした日、僕は膝の抜けたリーバイスの501を履いていて、彼女たちはなんて小汚い作詞家だと思ったに違いない。
 当時はまだダメージジーンズなど流行のアイテムではなく。僕は新しいバンカラスタイルだと自負していたのだった。
 そんな僕が描いたのは、さわやかな恋の予感を感じさせるリリックだった。

風の吹く草笛の
さわやか青い草原を
染め上げる妖精の
姿をいつか見かけたら

春がめぐり来たしるしです
恋にめぐりあうしるしです
季節の扉のすきまから
水晶の絵の具箱 そっと開くと恋の色

 この時僕は27歳だったけれど、まだまだ子供心にあふれた感性の持ち主だったのだと思う。

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 この歌はそれなりにヒットをしてくれて、そのおかげでしばらくのパリ、ロンドンへの遊学資金を稼ぎ出してくれたのだった。
 アグネス・チャンのためには、彼女が香港に生まれ育っていて、まだ雪を見たことがないというので、雪を題材にした歌詞など何曲分かの歌詞を書いた。
 その後の彼女の成功ぶりは誰もが知るところだろうが、いつの間にか文化人の仲間入りを果たし、ユネスコの大使にまでなるとは、あのあどけなさを知る僕としては意外なものであった。

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 もう一人のアグネスは、香港の民主活動家、雨傘運動のヒロインだったアグネス・チョウ、周庭さんである。
 彼女は『学民の女神』と呼ばれるほどの影響力を持った、若き政治運動家だったが、そのために香港政府から目をつけられ最終的には逮捕、収監されるという悲劇に見舞われてしまった。
 刑期を終えた後も、監視下に置かれ国外に脱出することもかなわない籠の鳥状態のままで、現在も沈黙を余儀なくされている。

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 僕は音楽仲間とアルバムを作るにあたり、彼女や彼女の香港の民主化を望む仲間たち、そしてシリアやウイグル、ミャンマーの弾圧にあえぐ若者たちを思って、新しい歌を書いた。それが『レジスタンスの歌』だ。

もしも、もしも魔法の時計を見つけたら
時間を少し、少しさかのぼり
囚われの君たちをすくいだしたい

 このような唄い出しで始まる歌だが、今の僕にはこのような形でしか、彼らの窮状を訴えることしかできない。
 一昨年の末に香港に立ち寄る機会があったが、もう昔のような活気を感じることもできず、これはただ事ではないと感じさせられた。
 今自由を奪われたかつての国際都市は、真綿で首を絞めつけられるようにあえいでいる。

 同じ香港という街に生まれ育った二人のアグネスだが、少し時代がちがったゆえにその人生の明暗が分かれてしまった。

 日本の若者もこの10年近くの政治の失策で、明日への不安を抱える日々だろう。それならば後期高齢者となった我々が、革命の狼煙を上げて、この世界をもう少しましなものにしなければ、安心してあちらの世界にも行けないと思うのだ。

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