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あの夏、君が食べた桃クレープを私も食べたいので

「はいよ!」
年齢不詳の店主のにーちゃんから包みを受け取ると、クレープとは思えないずしんとした重みと、小さな生き物みたいな温かさと柔らかさがあった。
クレープの皮は均等に薄くて、ほんのり黄色くてなめらか。赤ちゃんのおくるみみたいに、中身を優しくしっかりと包んでいる。
片手で受け取ったものの、手のひらいっぱいに広げて、やっと持てるほどの大きさには、わくわくが詰まっている。
中身をこぼさないように気を付けながら、代金を支払って、狭い店内を出た。

店の外に置かれた狭い縁台に腰かけ、荷物を脇に置いて、体勢を整える。

クレープに巻かれたセロファンをよけながら、一口かじりついた。見た目どおりのなめらかな皮とホイップクリームにたどり着く。と同時に、ふわりと甘い香りがした。

桃。

桃味の白いホイップクリームを食べているような錯覚をするくらい、強い桃の香りが口と鼻のあたりを占領した。

1秒でも早く本当の桃にたどり着きたくて、一口目を飲み込まないうちに、もう一口かじる。

ぷつっ、じゅわり。

桃の果汁と果肉が、一気に口の中に流れ込んできた。
弾力のある皮と、軽いホイップクリームとよく熟れた桃が口の中で溶け合った。

「あ、写真……」

桃の誘惑に勝てなくて、また写真を撮るのを忘れた。
我に返って、クレープを口から離し、手元を見るとクレープの中身が見える。つるりと綺麗に皮をむかれた大きな桃が丸ごと1個、真っ二つに切られ、店のネオンサインの光と果汁でつやつやと光っていた。手にした瞬間の重みは、桃1個の重みだったのか。
これで、450円は安すぎる。

果汁が溢れ、手を伝う。慌てて、果汁で濡れた手をぺろりと舐める。
梅雨明けしたばかりの湿った夜空と夏の香りがして、今日の嫌なことも、明日の面倒も、溶けて消えた。

気付いたら、くしゃくしゃになって、ホイップクリームが少しついた空っぽのセロファンを見つめて、いつまでも桃の味を思い出していた……

あの時、君もこんなふうに桃を味わったんだろうか。

桃のクレープを食べられるのは君だけだった。
私は果物アレルギーでいちごとメロン以外は食べられないし、Mちゃんは重度の小麦粉アレルギー。戦国武将の甲冑くらいお堅い君が、初めて甘いものを食べた子供みたいに美味しそうに桃クレープを食べているのが、うらやましかった。

食べられないから想像で食べてみた。美味しかったよ。
ほら、また食べたくなってきたでしょう?

今、どうしているのかな。
今までの睡眠不足を全部、取り戻すくらい眠っているだろうか。ネットゲームとかしてるのかな。それとも、家族とゆっくり過ごしているだろうか。

忙しく走り続けてきた君に、神様がくれた長い夏休みが終わるころには、桃の季節は終わってしまうけれど、次の桃の季節には3人で笑って、あのお店の外の狭い縁台に、密になって座っているといいな。
お持ち帰りがブームになって桃クレープのお店は繁盛しているみたいだから、きっと待っていてくれる。

それから、君の苦しみに気づいてあげられなくて、本当にごめん。

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