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浮き足立ってる 2020

私にとって2020年は「受験の年」だった(まだ終わってないけれど)


努力ができない自分を否定した。本当に心臓を掴まれているみたいで息ができないこともあった。

『受験を通して成長する』という言葉に縛られすぎてたのかもしれない。この言葉はたぶん嘘ではないけれど、結果論にすぎないんだと考えた。


そもそも成長ってなんだろうね。私はこの一年で色んな事を得て、色んな事を失った気がする。

失う、という言葉と定義するのはとても難しいけれど、私は近頃「不可逆的に物事が進むこと」なんじゃないかと思う。

融けた氷は冷やせば元に戻るから、別にコップにいれた氷を失った訳じゃない。けれども、失った友は、信頼は戻らない。何も知らずにのほほんと過ごしていた私には戻れない。時は帰ってこない。不可逆だから。



なんだか悲しい気持ちになってしまったから、ここで、最近読んだ 太宰治の『正義と微笑』の話をしたい。

この本を買ったのは、もう1年も前だけれど、改めて読むと、受ける印象がだいぶ違くて驚いた。

受験を控えた16歳、主人公の芹川進が日記の中で、物語が進んでゆく。本の印象が変わったのは、私の受験が差し迫っているからかもしれない。


初めはピンとこなかった感情が、あとになって理解できる事は多々ある。この頃、感情というものは、経験を持ってのみ体得させるものだと、つくづく思う。

例えば、「名前のつかない関係」というのがずっと理解できなかったのだけれど、友人に4000字のエッセイを読んでもらったら、その関係性が少し分かった気がした。

そして、その感情だって、言葉にして初めて発掘されるものなのかもしれない。



今年は本当にたくさんの事を考えた。

やり直したいと思わないわけでは、ない。もっと勉強したかったし、もっと自分を認めたかった。

けれども、うんと悩んで自分と向き合った一年は、私のこれからに多大なる影響を及ぼすであろう、掛け替えのない濃い時間だった。

もし順調に勉強できていたら、こんなに悩まなかった。そうなると、私がこの一年で考えたあらゆることに気づけなかったという事になる。それはとても寂しい。

だから、もしかするとこの一年の苦しみは、やっぱり私を「ゆたか」にしてくれたのかもしれない。



そういえば、2020年は私がnoteを初めた年でもある。noteは私の息抜きであり、楽しみであり、この一年を生き抜くために欠かせないものだったと、今振り返って思います。

noteを通じて私と出会ってくださり、本当にありがとうございました!

これからもよろしくお願いします!



あとがき:とりとめもなく、一発で、気の向くままに書いてみました。たまにはこういう文章もいいですかね、年末だし。みなさん良いお年を〜〜!





こちらの記事で、私が以前書いたのを取り上げてもらいました。とっても嬉しいです!




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