忘却

一家心中のニュースに映っていたのは、ついさっき目の前を通って帰ってきた、見慣れた一軒家だった。あそこの家のお母さんとお子さんが、三角公園で遊んでいたのを、ついこの間見たのに。と、お母さんは呟いた。

夕ご飯のお味噌汁を飲み干して、お椀についたカマキリの卵のようなものに気がついた。割れた隙間から中を除くと、まだ成熟しきっていない胎児の手が見えて吐き気がした。そういう夢を見た。

夏祭りでの再会は望まないものだった。私はあなたに会えないのではなく会わないでいるだけだと、どうしたら伝わるだろう。抱きしめられた時に考えた。私が叱ったら、あなたはきいてくれる?私のために全部やめてって、言ったらあなたは、全てをやめられる?まださようならだ。きっといつまでもさようならだ。私を忘れて生きていく時が、きっとあなたに来るはずだから。

真夏の水族館は家族連れで賑わっていた。私はあの夏を大切に思っている。希死念慮から逃れた最初の夏。ずっと死について考えていたから、普通に生きられたら頭の中はこんなにもすっからかんなのか、と呆気に取られたりした。水槽の中の命たちを可哀想だと思わなくなった。それがいいことか悪いことかは私には分からないけれど、また次の夏のことを考えられることが幸せだと思った。

忘れたいことばっかりだけど、忘れられない記憶があって、忘れたくない記憶があって、それでもいつか、積み重なった記憶が大切を隠してしまうことがあるんだろうな。記憶って弱っちくて、覚えていたいことばっかりすぐに消えてっちゃうもんだから参ってしまった。
私たちいつまでおそろいの思い出を抱えて生きられるかな。
私の春はあなたの春と同じ色をしているかな。あなたの空は今も私の隣で見た空のままでいてくれているかな。
またねって毎日交わした挨拶も、今じゃ思い出すのが難しい。
忘れたくないって、どれだけ言っても届かない。
忘れたくないことがあるの。あなたも同じだったらいいな。

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