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私は私じゃない私を生きているんだと思う。

桜の降る卒業式なんて、つくりものだけの話で、実際は桜の木もまだ枝を剥き出しにしていた。

ピアス、染髪、お酒、タバコ
私は何一つ興味がなくて、大人になることの魅力がよく分からない。むしろこの制服をもう二度と着られないことも、肩書きに守られていた安心感から放り出されてしまうことも、惜しいと思う。

だからさ、17才でしんでいても、きっと私、後悔しなかったよ。

17才じゃなくなったら、17才で私の魂はしんで、私ではない別の魂が私の体を使って生きるの。
と、飽きるほど言っていた。
自分でもよくわからなかったけど。でも、17才ではなくなってしまってから、何となくその感覚がわかるようになった。17才がしんでから、私の頭は笑えるほどにすっからかんで、なんというか、バカみたいだ。
希死念慮と自責の念で埋め尽くされていた頭は、いつの間にかお花畑で、自分が何を考えているのかもわからなくなってしまった。だから正直、私にはもう何も書けない。

17才でしねなくてよかった、とは思わない。
17才でしにたい。
毎日それだけ考えた。
17才じゃなくなって、それはもうどうしようにも叶わなくなった。この先何を成し遂げても、私は17才じゃない。この先いつかしんでしまっても、その時私は17才じゃない!
あの頃の私を襲う焦燥感はもう二度と味わえないと思う。
私はどこか、必死になっているつもりだったんだろうな。
しぬことを目標にすれば、私のどうしようもないマイナス思考も、希死念慮も、報われるって思ってたんだろうな。

相変わらず未来は真っ暗なのに、私が笑えているのはどうしてだろう。
やっぱり私の魂は17才の時にしんだんだと思う。私は私じゃない私を生きているんだと思う。
私は今の私より、17才の私が好き。あれでも必死だったから。今より必死に生きてるから。1日1日を踏みしめて、自分のことも、世界のことも、真剣に考えていたから。
空の色や、風の強さに、わざわざ意味を見出していた。ある意味自己中心的で、それが私を苦しめていたんだと思うけれど。自分の気持ちを風景から汲み取って、言葉にする力があった。作品に置き換える力があった。
もう二度とあの頃みたいに考え事をすることはない。もう二度と、あの頃と同じ目つきで世界を見ることはない。できない。


ねぇ、るのちゃん。私はもう、あなたのことはわからない。
17才じゃなくなってしまったもの。
るのちゃん、永遠の少女であるあなたが見る空は、どんな色をしてる?

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