瑠瑠(ruru)/Web&シナリオライター、占い師

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瑠瑠(ruru)/Web&シナリオライター、占い師

web&シナリオライター/構成作家 ・ジャンル/スピリチュアル、シナリオ、自己啓発、教育、花、人間関係、、ビジネス。 占い ・手相鑑定、カード占い 日々のこと、思ったこと、仕事のことをゆるゆる〜とnoteでは綴ってます。 TwitterのDMからお仕事承ります。

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瑠瑠/haru.hポートフォリオ

writing言珠(ことだま)/フリーランス webライター・シナリオライター・構成作家・ディレクション・校正・インタビュアー 屋号の意味 言葉に嘘偽りなく、真珠のように 輝くライティングを意識して 「writing言珠」(ことだま) と、名付けました。 【名前】 瑠瑠/Haruka.H 【生年月日】 1980年4月23日 おうし座 AB型 【出身地】 福島県 34歳まで福島県に住んでいましたが、現在は奈良にきて8年目。 関西の地で夫と猫と自由奔放な生活を楽しん

    • 夢のはなし

      note書こう!と決めても、なかなか続かないわたしは、一体なにを書きたいのかよくわからないので、とりあえず「あ、これかな」というものを力まずに書いていこうと思います。 今日は「夢」なんですが、夢って、未来とか希望の方じゃなくて、寝ているときに見る夢です。 結構、夢を見るほうです。 しかもカラーで鮮明に。 夢の登場人物は、7割がうちの旦那で「どんだけ出てくるんだw」と感じているのですが、大概、子供になった旦那です。 顔は今のままで、身長やその他もろもろのサイズ感が子供に

      • 振り返る日

        もう12年、まだ12年のような気もするのですが、やっぱり3月11日のことは昨日のことのように鮮明に覚えています。 あの日は「死にたくない」と本気で思いながらも、人の手で止めることができない揺れの中を、今はもう無い実家の自室で震えながら布団をかぶっていました。 「死んじゃうのかな」 「もう止まらないのかな」 「あ、テレビがテーブルの上のパソコンに落ちたけど、もうどうもできないや」。 脳内でずっと自分一人で喋っていても、全然揺れは止まらなくて、本能なのかわからないけれども、

        • 人生の山とか谷とか

          今日は3月6日で父の2回目の命日。 「もう2年か」 「まだ2年か」という感覚よりも「もっと昔に感じる」というのが本音。 他のSNSで、「ここ10年を振り返る」みたいなのがあったのでやってみたけれど、2013年からの10年間は良いことと、悪いことの上がり下がりが波のようになっていて「あ、人生ってやっぱりこうだよね」と感じたのです。 特に、ここ3年は良いことの後には、必ず嫌なことや悪いことが起きていて、でもそれを超えるほどの良いことが、その後にやってきている。 「じゃあ、

          産まれた日

          お誕生日とは自分がこの世に産まれて来た日で、お母さんが頑張った日。 わたしのお母さんは、亡くなったけれども、わたしの命を次に紡いでくれた大事な人。 お母さんが、わたしを産んでくれて、わたしも娘を産んだ。 当たり前のことなのだけれど、命あることは、当たり前でなく、ありがたい。 今日は、大事な旦那さんの誕生日。 1番初めに、おめでとうと言える幸せと、36年頑張って生きてきたなという感謝。 喧嘩もするけれども、一緒にいるための喧嘩。 「おめでとう」と言うのも 「ありが

          「大変ねぇ〜」と言われても、わりと「弟もいるから出来ちゃう」

          ふと思えば、1年前も「新盆」。 厄年で何でもないのだけれど。立て続けに両親が亡くなり、バタバタの1年が今でも続いています。 臨機応変ということとか、変化を受け入れるとか苦手なのですが 「そうせざるおえない」 状況。 けれど、嫌ではないし、やりたくないわけでもない。 両親がいなくなって感じるのは、幼い頃から、わたしと弟は「無」の空気感を共有できる相手であったこと。 言わなくても、次に何をするのかがわかる。 相手が次に何を要求してくるのかがわかる。 今、何をしたいの

          「大変ねぇ〜」と言われても、わりと「弟もいるから出来ちゃう」

          あじさいの季節

          紫陽花の季節になると「母親」を想います。 5月21日の午後。 その日、夫と出かける予定だったのですが、何だか絶不調の精神。 何ががザワザワして、イライラして……。 けれども、せっかくの休みにイライラしていてもなと切り替えて 猫も一緒に滋賀に向かおうとしたんです。 この日が、私が生まれて42年間、ずっと人生の盾となってくれていた人との別れになるとは想像もしていませんでした。 私の母親は、私が3歳の頃の前の父親と離婚をして、生まれたての弟と幼い私を一人で育ててくれた人。

          認めて欲しいというのは、本音だよね。

          不機嫌だな……と、自分自身を俯瞰してみたものの、どうも認めたくないものがあるようでした。 わたしのやりたいことって何だろう? やりたいことをやっているけれども、目的が変わっているようでとても違和感もありました。 好きなことも、目的が変わってしまうと、苦痛になったり、やり甲斐も生き甲斐も感じなくなる。 他人が羨ましく見えて、わたしなんて、誰にも感謝されないしな……と、相当拗ねている自分の中の幼い子供。 「褒めて欲しい」 「認めて欲しい」 「頑張ったね」 「ありがとう」

          認めて欲しいというのは、本音だよね。

          2022年始まりの‥‥‥

          昨年の3月に父が亡くなったため、新年のあいさつは出来なくとも、今年も前進して進みたい気持ち。 最愛の家族を失った喪失感は、結構大きかった。 私自身、13歳の時に母親が再婚し、亡くなった父は養父だった。 でも、父は養父、実父は関係なく、この世で唯一無二の私の大好きな父であり、本当の親だった。 そして、とっても‥‥‥気性が荒く、優しい人で、感情が一気に吹き出る涙脆い人。 昨年末、とても寂しい気持ちになり、このまま立ち直れないのではという気持ちになっていた。 何が寂しいの

          いつも頑張っているからこそ。

          女性の身体を持つ人にしか分からない。 そして、それぞれ症状も違う。 ホルモンバランスの乱れ。 PMSやPMDD。 10代や20代の頃は、そこまで気にしていなかったけれども、生理前になると、やたらと色々なことが面倒になるなとは思っていた。 「あ、PMSって言うんだ。」と、知ったのは、30代前半の頃。 生理が終わって、8日間程はキラキラしていられる。 これが、本当の私!と思う程に活力に溢れて、仕事もバリバリできる。 コミニケーション能力も上がるし、何をしていても楽しい

          いつも頑張っているからこそ。

          掴むまで揺れ動く。

          田んぼのあぜ道に咲く。 その花言葉はあまり明るいイメージがないのは知っている。 でも、私はその花が好きで 赤と白の花言葉にある 「あなた一人を想う」 その花言葉が大好きだ。 土の中から、赤い手が出ているような この赤い花。 あの世とこの世を繋ぐみたいな なんだか不思議な花。 「あなた一人……」 どこまでいっても、離さないよというような 強い何かを感じた。 気になる、花。 一目惚れではないけれど、じわじわと 大好きになった彼岸花。 まだ今年は見ていない。

          どこからともなく…風鈴の音色。

          台風一過の風の中。 窓を開けて横になると、どこからともなく聞こえてくる風鈴の音色。 残暑ともいえない少し暑い秋の午後に、ふとよみがえる、幼い日の夏休み。 あの頃は、隣で眠る小さな弟と、その弟をうちわであおぐ、おばあちゃん。 その風景に癒されながら、安心して眠った昼休み。 安心とは、ここにあると信じられていた幼い日。 風鈴の音色で、ここ最近忘れていた安心感を取り戻す。 落ち着き、癒し、安心感。 少し、休憩しませんか。

          どこからともなく…風鈴の音色。

          自分と指切り。

          1番に自分を応援して、背中を押してくれる人。 それって、誰かな? 甘えたり泣いたり、拗ねたり怒ったり。 なんだか格好悪い気がしてしまっていたのは、自分のエゴ。 ドツボにハマれば、エゴから離れられなくなって、意固地になって可愛くない。 そんなのは、自分がよくわかっている。 本当はどうしたい? 本当はなにを1番大切にしたい? 甘えたら裏切られるの? また傷つくの? それは誰がだろう。 自分か、相手か……。 甘えている人を見て、いいなーと恨んでいた。 怒っている人

          人に求める安心と自分で作り出す絶対的安心感。

          自己否定 自己嫌悪 それが当たり前だったけれども 当たり前ではないのだなと気がついた。 人に求める安心感。ダメなことではないと思う。 もちろん、必要なことでもあるし。 信頼出来る人が、そばにいること。 愛する人が、近くにいること。 それは、自分の安心に繋がる。 でも、その人が目の前からいなくなったら、安心してこの場にいることがなかなかできなくなる。 でも、人は安心というものを、自分でも作り出すことができるのではないかなと思った。 私が嫌いな、私がいる。 しかし、

          人に求める安心と自分で作り出す絶対的安心感。

          見たい景色が増えてきた。

          見る景色が変わってきたかなと思う。 でも私は極端。 白が黒か。 やるか、やらないか。 中間になるということ。「○○が、大得意です!」 そう言えるものってあったのかな?と感じる。 強みとか、得意とか…… あって損は無いのだろうけれども、前ほどに固執しなくなった。 強みや得意は結局、誰かと張り合うものにしか使えていなかったから。 使い方次第でどうにでも変えれることができるとしても、強みや得意よりも、胸がワクワクするようなことをしたい。 「○○ができるから私、最高!」と

          慣れている場所からの変化。

          地元は慣れている。 その感覚でずーっと生きてきた。 安心する場所ではないのかな? と、ずっと感じていたけれども 少しわかったこと。 一人だと思っていたから。 けれども、今回感じたのは 一緒にいる人によってその気持ちは変わる。 安心と安全。色々あった。 道が狭かった。 視野も狭かった。 ここしかないと生きてきた。 その狭い世界で 唯一生き残ったのは 自分の周りにいる人達に目を向けるようになったから。 どこにいても同じ。 一緒にいる人で 人は環境に対しての価値