音楽の情景

高校の頃、チャリに乗りながら音楽を聞いていた。スキマスイッチ、大塚愛、オレンジレンジ、ケツメイシ、aiko。同級生からCDを借りたり、レンタルショップに行ったりして、毎月少しずつ音楽を増やしていた。いつもナウい音楽ばかり聴いていた。音楽を好むというのは、最新の音楽を追いかけることだと思っていた。

当時聞いていた音楽を今聞くと情景が思い浮かぶ。
学校の屋上とか、渡り廊下の独特な光の入り方とか、異様に埃臭い準備室とか。何故だか分からないけど、印象深い音楽には決まって対になる景色、情景がある。景色を見て音楽を思い出すこともあるし、音楽を聞いて景色を思い出すこともある。不思議な感覚で、あまり理解されたことはない。役に立ったこともない。

大学生になると軽音サークルに入って、さらに音楽にのめり込んでいった。色んな歌手を知って、グループを知って、曲を知った。音楽はリリースされた時期に関係なく楽しめると気づいた。先輩たちが次々と教えてくれる古い音楽をどんどん聞いた。無限に世界が広がっていく気がした。

音楽には楽しい音楽も悲しい音楽もある。ノリノリの音楽もあるし、鬱っぽい音楽もある。一度聞いただけでは理解できない音楽もあった。音楽というのは音だけではないんだな、と気づいたのはこの頃だ。音以外の感情みたいなものも届けてくれるんだよ。

友人たちは作曲もしていた。僕は興味がなかったから、出来上がったCDを聴いて良い曲だなぁ、などと思っていた。その音楽を聴くと何故か市営バスから桜の木を眺めていた瞬間を思い出す。多分その先にそいつの家があった気がする。桜は咲いてはいなかった。

社会人になると仕事中も音楽を聞いて良いというので、ガンガン聴きながら仕事を進めていた。けれど日本語の歌詞だと集中できなくて、EDMばかりを聞くようになった。ノリノリで仕事をしていた。気づけば音楽を聴きながら仕事をするのが普通になった。

その時の音楽の情景もたくさんある。
移転前のオフィスの入口、焼肉屋の壁のメニュー、四条大橋のたもと、鴨川から見上げる丸い月、人のいない深夜過ぎの四条河原町交差点。不思議なことに、聴いていた場所ではなくその曲を知った場所が残るようになった。焼肉屋のメニューなんかは少しアングラなグループが思い浮かんでくる。とはいっても相も変わらず役には立たない。

先日YouTubeを見ているとaikoのカブトムシが流れていた。井口理とデュエットしている。良いじゃん、とか思いつつ何回も聞いた。
昔好きだった音楽が少し変化して届いた。

カブトムシの情景はあった。テニスコートの横の小さな道で空を見上げていた。多分冬の夕方だと思う。
この情景はきっと上書きされるだろう。妙な確信がある。今まで情景が変わったことはない、はずだ。でも今回は変わる。どう変わるかは分からないけれど。

こんな風に情景も移り変わるのか、などと思って新しい発見をしたようで少し嬉しい。
きっとこれを読んでいる多くの人は理解することもないと思うけど。


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