ヨルダンの遊牧民ベドウィンから学ぶこと
ヨルダンのベドウィン(アラブの遊牧民)の話
BSプレミアムの『世界遺産 時を刻む「ヨルダン”月の谷”いのちの旅路・砂漠」』を見た。
ヨルダン南部の世界遺産「ワディ・ラム」への旅の話。
ワディ・ラムは砂漠そのものが世界遺産に登録されているという珍しい砂漠。
岩が長い年月をかけて削られるなどしてできた橋や穴。切り口がまっすぐな岩、などの自然が作り出したおもしろい風景。
ヨルダンでも近代化が進み、町ができ、遊牧生活を知らない子どもも増えてきたという。(まるで日本の戦争を知らない子どもたちみたい。)
その中で、遊牧民ベドウィンの長老みたいなおじさんが言っていた言葉が心に残った。
「町はろうやみたいでまっぴらだ」
遊牧民の生活は、定期的に場所を変えるのだけれど、30分で引っ越しの荷造りが完了する。
昔はラクダに荷物をのせていたのが、今ではトラック。遊牧民仲間が車を出してくれるらしい。
ヤギやニワトリも一緒に移動する。
「手紙は届かないし、電気も水道もないけれど、不便ではない。」
と遊牧民のおじさんは言う。
「私は砂漠が大好きだ。」とも。
月の谷と呼ぶように、砂漠は夜の月や星を目印にした方が方角が分かる。それくらい永遠同じような景色が続く。
「町はろうやみたいでまっぴらだ」
この言葉が妙に頭に残った。
狩猟採集の時代は人類は移動しながら生活していた。
気候や生き物の変化に応じて。
しかし、日本で言えば、縄文末期から弥生時代にかけて稲作などが伝播し、しだいに定住するようになった。
それに加えて、律令制が導入され、権力者が税を集めるために、人々を土地に縛り付けはじめた。
戸籍を作って、どこにだれがいるか把握し、口分田を与え耕作させ、税金をとった。
それでも、口分田を捨て、逃げる人もいたし、権力が及ばなかった地域もあった。
中世でもまだ山や水辺の人々などは権力が及ばなかったり、山賊・海賊などもいた。
江戸時代か?明治時代か?要リサーチだけれど、いつしか、私たちは一人残らず(さまざまな事情があり無戸籍の人もいるが)国に把握されるようになった。
だけれど、現代でも発展途上国などについて調べていると、人口が予測であったり、移民の問題もあったりで、もしかしたら日本のようにほぼ国が把握しているという方が珍しいのかな?とも思う。知らんけど。笑
話がくどくなったが、もしかしたら私たちは、家に土地に縛られすぎているのかもしれない。
だから、わたしたちは旅にでるのかな?
縛られていることで、得られる安心・安全はもちろんあるけれど。
それでも私たちは旅に出たがる。
だけど、もしも定住生活2000年よりもはるかに長きにわたる、遊牧移住生活を人類がまだ覚えているとしたら・・
パレオな生活のように、狩猟採集生活の方が実は適しているかもしれないとしたら・・・
町はろうや。
旅に出たいけどコロナ下で、我慢している人もいる。旅という点においても、人類にとって苦しい状況であるのは明らか。
私は、暖房があって水道電気があってほんとに今の生活がありがたいと思っている。
将来砂漠に住みたいわけでもない。
だけど、縛られている息苦しさは分かる。
今は田舎暮らしだから自然があるし、学生時代、都会にいた頃のワンルームのアパートにいたあの息苦しさにくらべたら全然開放感あるけど。
でも息苦しさはある。しがらみ?くびき?周囲の目?思い込み?・・・
だけど
物理的に自由になれないのなら、思考の中では自由になっていいよね。って思う。
今の生活が当たり前じゃないこと。
遊牧民ベドウィンのおじさんみたいな暮らしをしている人々がいること。
いろいろぶっ壊れる価値観がある。世界のことを、大昔のことを知ると。
・・勉強やめられない。
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