見出し画像

プロの世界で活躍する同級生たち Part5

みなさんいかがお過ごしでしょうか。開幕の目途が立たず、先が見えない状態ではありますが、今日は前回に引き続き、私と同世代のプロ野球選手についてのnoteを書いていきたいと思います。

1980年生まれの松坂大輔、杉内俊哉、村田修一ら「松坂世代」、1988年生まれの斎藤佑樹、田中将大、坂本勇人ら「ハンカチ世代」などプロ野球にはある年代の選手たちを一括りにすることがあるのはご存じでしょうか。

私が生まれた1996年、今年24歳を迎える世代にも上記世代にも匹敵する素晴らしい選手たちが勢ぞろいしています。そんな”私と同級生にあたる世代”の素晴らしい選手たちに、このnoteを読んでぜひ注目していただければと思います。

高校時代から名をはせ、私をテレビ画面にくぎ付けにした選手。大学時代に圧倒的な成績を残し、東都リーグ所属の某大学にいた私の耳にもその名前が聞こえた選手。

それら同年代の選手に対して私が持つ憧れや尊敬を十分に込めて、このnoteで紹介していこうと思います。

面白かったら是非、Twitterのリツイート等でシェアしていただけると嬉しいです!

では今回も前回に引き続き大卒・社会人出のプロ野球選手を紹介していこうと思います。今回が一応ラストになりますので、最後まで見ていただけると嬉しいです。しかし、これまで同様全員は紹介できないので、その旨だけはご了承ください。



中山翔太(東京ヤクルトスワローズ)1996年9月22日生

まずは筋骨隆々の鋼の肉体から鋭い打球を放つ右のスラッガー、中山翔太。

法政大学から2018年のドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから2位指名を受け入団。

高校時代は大阪の履正社高校で2年秋からレフトでレギュラーとなり、バッティングを買われ4番を務めた。3年春には甲子園にも出場を果たしており、創部初の準優勝に貢献した。卒業後は法政大学に進学し、2年春からリーグ戦に出場。秋にはレフトのレギュラーを獲得し、ソフトバンク・大竹耕太郎や広島・矢崎拓也らから3HRを放った。3年春からはファーストに回り、4年春にはリーグ史上8人目のサイクルヒットを達成するなど、打率.380をマークしファーストのベストナインを獲得した。4年秋にはロッテ・小島和哉らから3HRを放ち、法政大学12季ぶりの優勝に貢献した。大学在学中、筋トレの最中にアームマシンに挟まれる事故に見舞われるも鋼の肉体のおかげで無傷。逆にアームマシンを破壊してしまったというエピソードが存在する。

プロ入り後1年目は6月9日の交流戦、対オリックス・バファローズ戦の8回に代打で1軍公式戦初出場を果たす。そしてその打席、オリックス・ディクソンから左前2点適時打を放ち、初打席・初安打・初打点を記録。そして、同じく交流戦6月11日の埼玉西武ライオンズ戦で9回にバレンティンの代打で出場し、レフトへのプロ初HRを放った。最終的には35試合に出場し、打率.289 5本塁打 14打点の成績を残した。

「きんに君」の愛称からもわかる圧倒的筋肉キャラの中山翔太。フルスイングから放たれる鋭い弾道には、将来のヤクルトを背負うスラッガーの姿を想像して止まない。またフルスイングや筋肉のような豪快なイメージとは異なる、クレバーな一面も自身の課題に取り組む姿から垣間見ることができる。「何年後には」と言わず、2020年から是非ともヤクルトのレギュラーを獲得し、持ち前のフルスイングを遺憾なく発揮して欲しい。


高橋優貴(読売ジャイアンツ)1997年2月1日生

続いては大学時代脅威の奪三振率を誇ったドクターK。スライダーとスクリューからは巨人のエース左腕・内海哲也重なる高橋優貴。

八戸学院大学から2018年のドラフト会議で読売ジャイアンツから外れ外れ1位での指名を受け入団。

東京都の東海大菅生高校では1年夏からベンチ入りを果たす。甲子園出場経験はなかったものの、最速145㎞/hを記録するなど能力の高い左腕だった。卒業後は将来のプロ入りを目指し八戸学院大学に進学。1年春からリーグ戦に出場し、先発・救援で6試合に登板。31.2回で40奪三振、2勝1敗、防0.85の好成績を残した。1年秋には先発1番手の座を獲得。最終的には北東北大学リーグ通算20勝を挙げ、それまで西武・多和田が持っていたリーグ歴代最多記録を更新する301奪三振を記録した。

ルーキーイヤーの2019年は4月4日の対阪神戦にて、6回4安打1失点で球団大卒新人59年ぶりとなる初登板・初先発での初勝利をマーク。夏場に調子を崩すなど、最終的には防御率3.19 5勝7敗 89奪三振を記録した。オフには背番号を12から内海哲也が背負っていた26に変更となった。

サウスポーという点やスクリューやスライダー、そして背番号からどうしても私は内海哲也と高橋優貴を重ねてみてしまう。試合序盤に失点したり、試合が作れなかったりすることが減ってくれば内海哲也のような巨人のエース左腕として輝くのではないだろうか。


上茶谷大河(横浜DeNAベイスターズ)1996年8月31日生

お次はソフトバンク・甲斐野、中日・梅津と共に「東洋大三羽烏」として大きな注目を集めた上茶谷大河。

東洋大学から2018年のドラフト会議で横浜DeNAベイスターズと東京ヤクルトスワローズの2球団から1位指名を受け競合抽選の末、横浜DeNAベイスターズが交渉権を獲得し入団。

京都の京都学園高校では2年春から主戦投手として投げていた。甲子園出場などの実績はなく、卒業後東洋大学に進学した。東洋大学では1年秋から2部戦に出場。怪我の影響で3年秋までシーズン未勝利のまま終える。しかし4年春、体つくりで増量を果たしたことにより151㎞/hを計測するまでの投手へと変貌。リーグ戦では先発1番手を務め、5月の駒澤大学戦ではリーグ新記録の1試合20奪三振を達成するなど、6勝を挙げる大活躍で東洋大のリーグ3連覇に大きく貢献。MVPや最優秀投手賞なども受賞している。

プロ入り1年目は先発ローテーションを守り、将来のエース候補として頭角を現した。4月2日の対東京ヤクルトスワローズ戦で初登板・初先発を記録し7回1失点の好投を見せ、5月18日の対ヤクルト戦でプロ初勝利を記録。6月1日には9回4安打6奪三振でプロ初完投・初完封を同じく対ヤクルト戦で記録した。そして最終的には25試合に登板し、1完投1完封 7勝6敗 防御率3.96 102奪三振の成績を残し、阪神・近本やヤクルト・村上らと共に新人王争いも繰り広げた。

1年目からローテーション投手として安定した活躍を見せた上茶谷。ストレートとカットを中心とした投球にスライダー、スプリットなどを混ぜる引き出しの多いピッチング。加えて抜群のスタミナや駆け引きのセンスみたいなものを持っているのも感じられ期待ができる投手。2020年から普通に今永に次ぐ投手・リーグ屈指の先発になってもなんらおかしくはない。


伊藤裕季也(横浜DeNAベイスターズ)1996年8月30日生

続いて、広角に長打を放つ力強いスイングが持ち味の右打者、伊藤裕季也。

立正大学から2018年のドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから2位指名を受け入団。

日大三高校での3年間で甲子園の土を踏むことはなかったものの、3年夏の予選に主にレフトとして出場し、15打数8安打、打率.533 1HR 5打点の好成績を残した。同地区の東海大菅生・高橋優貴(現:巨人)と対戦している。卒業後は立正大学に進学し、2年春から1塁手のレギュラーとなる。3年春には4番に座り、チームを引っ張った。4年春からは主将・二塁手としてプレーし、開幕戦となる駒澤大学戦では右中間スタンドに叩き込む2ランHRを放っている。そして4年秋、明治神宮野球大会で全国デビューを飾り、打率.500 2HRの大暴れで立正大の9年ぶりの優勝に貢献した。大学通算(1部・2部)では70試合に出場し、打率.285 72安打 8HR 33打点の成績を残した。

プロ入り1年目はシーズン開幕当初から二軍暮らしが続いていたが、宮崎の戦線離脱を受け、8月8日に初昇格。同日に代打で初出場を果たした。そして翌9日には中日・ロメロから初安打を放ち、さらに翌10日には5番・二塁で初スタメンを果たすと、6回に中日・小笠原からプロ初のHR、8回に2打席連発となる同点2ランHRを放つ活躍を見せた。最終的には21試合に出場し、打率.288 4HR 7打点 OPS.929の成績を残した。

1年目から、その鋭いスイングが示すスラッガーとしての素質の片鱗を見せた伊藤裕季也。守備や走塁に課題は残すものの、佐野や細川らと共に次世代のDeNAを担う選手になっていくはず。下のツイートに載せられている動画のスイングを見ていただければわかる通り、本当にスイングに魅力の詰まったスター候補であると断言できる。


梅津晃大(中日ドラゴンズ)1996年10月24日

ソフトバンク・甲斐野、DeNA・上茶谷と共に「東洋大三羽烏」として大きな注目を集めた梅津。その潜在能力はほか2人以上とも言われる。

東洋大学から2018年のドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受け入団。

高校時代は宮城の仙台育英高校で2年春からベンチ入りを果たし春の甲子園のメンバーにも選出。2年秋からはエースナンバーを背負い楽天などの複数球団から注目を集めるも、プロ志望届を提出せずに卒業後は東洋大学へ進学した。入学時のセレクションで実力を示し、同学年の上茶谷や甲斐野からライバル視されるような存在になっていった。1年春から2部リーグ戦出場を果たし、動機1番乗りで初先発を果たす。しかしその後、イップスに陥りそのリハビリなどで実践から遠ざかった。その期間中に肉体改造を行い、体重を大きく増やした。調子を取り戻した梅津は3年時には最速153㎞/hを計測。秋のリーグ戦では150㎞/h以上何度も計測し、プロ野球団スカウトからの注目を集めた。その後は怪我に泣かされるも4年秋の最終登板で1勝目を挙げた。

プロ入り後は春季キャンプから肩の怪我の影響で別メニュー調整となった。7月にはフレッシュオールスターにも選出され、優秀選手賞も獲得した。そして8月12日。対阪神戦でプロ初登板・初先発を果たし、6回1失点でプロ初勝利を飾った。プロ2戦目と3戦目の先発でも勝利投手となり、球団では近藤真市氏以来となる新人初登板からの3連勝を飾った。最終的に6試合に登板し4勝1敗、防御率2.34という成績を残した。

大学時代の実績は少ない梅津だが、その素質は甲斐野・上茶谷を凌駕する可能性もある。特にフレッシュオールスターでの投球は、アマ時代の梅津の投球をそれほど見れていない私にとっては衝撃的なものだった。先日、ほろ酔いの元ソフトバンク・斉藤和巳氏にも絶賛されていた梅津晃大。5年後には中日のエース、セリーグのエースとして同じ「こうだい」の名を持つ、ソフトバンク・千賀のような本格派として活躍しているかもしれない。


ライデル・マルティネス(中日ドラゴンズ)1996年10月11日

実は彼も私と同い年のプロ野球選手だったのだ。誰も日本人選手だけとは言っていない。

最速158㎞/hの剛球を武器に、竜のブルペンで存在感を放つライデル・マルティネス。

キューバのエイデデピナルデルリオ高校からキューバリーグの人気野球チーム、ベゲーロス・デ・ピナール・デル・リオへ入団。2017年に日本の中日ドラゴンズへの派遣が決まり、育成契約を結んだ。2018年に支配下登録選手となり、5月に先発として初登板を果たし、鳥谷敬から初奪三振を奪った。その後の先発で、初勝利をマークした。シーズン後半にはキューバ代表でリリーフを務めていたことから中日でもリリーフを務め、最終的には7試合に登板し1勝3敗、防御率6.65の成績を残した。2019年は1年を通してリリーフとして登板し、シーズン途中には不調の鈴木博志に代わって抑えを務め、6月には来日初セーブを記録した。2019年は43試合に登板し、1勝4敗14ホールド8セーブ防御率2.66、イニングより多い三振を奪うなど好成績を残した。

中日の快速球キューバン、ライデル・マルティネス。上体を傾けて投げることにより、手首が立ててボールをリリースしており、そのストレートには高めで空振りをバンバン奪える威力がある。奪三振能力も高いため、日本での経験を積めば強力な抑え投手になっていくだろう。そのまま日本で活躍するも良いが、MLBに渡ってさらに高いレベルでの野球をする可能性も大いに持っているだろう。



おわりに

5回に渡って書いてきた同級生プロ野球選手シリーズ、いかがでしたでしょうか。私にこの1996年生まれのスターたちがいるように、皆さんにも同級生にあたるスター選手がいるはずです。是非コメントやTwitterでの引用リツイートなどで、教えてくれるとこの話題が盛り上がって楽しいと思いますし私も嬉しいです!

NEXT…???


文章書きの励みになります。