言論の自由絶対主義者が失ったものとは
言論の自由、中学生の時に学校で習った言葉だが、現実は言ってはならないような言葉なんか世の中山ほどある。
その多くは、誰かを傷つけてしまうものだから、人を怒らせたり、自分に不利益が生まれないように、言いたいことがあっても押し殺して黙るしかない。
なので、別に言論に自由なんかなくても良いものだと思っていた。
だが最近は、自由に言論させておいて、問題があれば問題提議する、法に抵触していれば警察が捜査すれば良いという考え方に切り替わってきた。
最初から何も言うなと抑え込むことは少し違うのかなと思い始めている。
僕には守るべき誰か別の人はいない。
ただ、子供の頃に味方ゼロの状態に陥って、「自分を守れるのは自分だけ、自分は最後まで自分の味方でいなきゃ」という精神が芽生えた。
そういった意味では、自分という守るべき人が僕にはいる。
1日は24時間と決まっている。その24時間から睡眠と仕事を引いた毎日の数時間は、人やサービスや政治やなんやを悪く言う時間に使うのは勿体ないので、楽しく過ごすことで精神的に自分を守っている。
僕はそれよりも思想の自由を大切にしている。
好き勝手言い放ってしまえばスッキリするかもしれないが、どこかスッキリしすぎて頭の中か空っぽになり、思想の幅が狭まる感覚がある。
必死に果実を実らせている間は、根を生やすことはない、みたいな話だろう。
そういう意味でも、発言はほどほどにしておきたいタイプだ。
アメリカにはアメリカの(州ごとの)法律があって、アメリカにはアメリカの文化があって、アメリカにはアメリカの許容範囲がある。
それは日本のものとは別物だ。
アメリカで作られたプラットフォーム上で、日本人が日本人を傷つけることに関してこれからどう変わっていくのか、気になるところだ。
ある時までは、アメリカの元大統領のことを僕はまだどこか信頼している部分があった。
情熱を持って国を変えたい気持ちがなんとなく伝わってきたのと、発言は過激でも、日本に対してはそこまで牙を剥いていない印象だったからだ。
標的になりがちだったのはアメリカの隣国やヨーロッパ各国だったように記憶している。
何年か前、きっとこの元大統領が最後に来日した時、当時の日本の総理と元大統領が鯉にエサをやっている頃だったか、どこかの記者の情報で
「彼(元大統領)は個人的にSinzoと仲が良いだけで、別に日本のことは好きではない」
自分の中で何か糸がプツンと切れた瞬間だった。
そうか、この人が日本に優しいのは、首相がこの人だからってだけなんだ。
「日本の首相が代われば彼は何を仕掛けてくるか分からない」
そんなような日本の不安を煽る言葉も記者から出ていたが、結局は日本もアメリカも同じようなタイミングでトップが降りる形になった。
良くも悪くも遠い国、標的にするには的が小さくて狙いづらいんだろう。
次の大統領選には、日本でも度々話題になっていた美人の娘はもう関わらないようだ。
言論の自由を掲げに掲げて、ちゃんと、大切なものを失っているのではないだろうか。
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