13年間メンヘラだった私が行き着いた自己肯定感を高めるシンプルな方法
「わたし、メンヘラなんで」と、言い続けて早うん年。
大体は「全然そう見えないねー!」と言われる。
そう、私は明るいメンヘラで、人と話すのも好きだし、飲み会も大好き。
けれど、人と会った帰り道には
「私のあの発言は正解だったのだろうか」
「◯◯さんに嫌われたかもしれない」
「どうして私はあの時、ああできなかったのだろう」
といった自責とともに、
その時の映像が壊れたテープのようにエンドレス脳内再生される。
そうすると、
身体が圧迫されたように痛くなったり、
心をぎゅーと握り潰されたような気分になる。
次第に無気力になり、人と会いたくなくなる。
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始まりは今から13年前、17歳の時。
突然、めまいが止まらなくなった。
それから息を吸うように行っていた「勉強」ができなくなり、
大学受験が受けられないことが確定した時、
私は自分の価値を見失った。
それからは、めまいという症状だけではなく、
メンタル面も、なし崩しに悪くなった。
原因不明の心身症に苦しんだり、引きこもったり、食欲が止められなくなって体重が爆増したり、人が怖くて外に出たくなくなったり、、、
症状は色々あったけれど、
すべては内面が発端なのだろうと思った。
それから
医者にはいくつ行っただろう?
いくつセラピーを受けただろう?
ずっともがいて、”普通の人間”になりたくて、
頑張っては、燃え尽きて、
繰り返しているうちに、そのループが日常になっていく。
そんな自分に自己肯定感なんてあるワケがなかった。
”私は人より劣っている”
その想いが何層にも積み重なり、
自分を責めてくる。
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けれど、日常はやってくる。
フツウの顔をして、暮らさなきゃいけない。
クルシイのは、私だけではない。勘違いすんな。
もっと苦しいひともいる。ヨワイのは私だ。
わたしも、モットガンバレ。。。!
そう言い続けて、自分を奮い立たせるけれど、
いつも心の中ではしんどかった。
結婚してからはだいぶ症状が落ち着いたけれど、
それでも1ヶ月に1度くらいは「死にたい」発作が襲ってきた。
決して、前のめりに「死にたい」わけではない。
自分の中の無力さに苦しみ、そういったものを
全て消し去りたくなって「消えたい」のだ。
私は怖がりだし、変なところは冷静なので自傷行為はできない。
なので、死ぬなんてもってのほか。
それでも
「消えたいなぁ。つらいなぁ。
こんな暗い世界で、価値もない私が生きていていいのかなぁ」
と思い続けていた。
発作時には心臓を鷲掴みにされるような痛みや、自責思考がかなりひどくなり、髪の毛をむしったりする。自分を殴ったりもする。
そんな時には、その感覚がおさまるまで布団の中でじっと眠っていた。
ーーー
1つお伝えしておきたいのは、冒頭でお話した
「人から責められている感覚」や
「自分に価値がないという感覚」もひっくるめて
「自分の妄想・勘違い」だと分かっている。
誰も私にブスだのバカだの言っていない。
それは重々、分かっている。
優しい旦那もおり、多くはないけれど収入があり、日常を暮らせている。
なんなら、たまにはクライアントさんに感謝だってしてもらえる。
「私、"しあわせ"って思っても良いのでは?」
冷静に考えて、そう思うことがある。
だからこそ、なぜそんなバカげたことを考え、感じてしまうのか。
いつも世界と私の間には目に見えない薄い膜があり、私にだけ世界がひどく鬱蒼としたものに見えている、そんな気がしてならなかった。
この膜を打ち破りたい。
目の前に広がっている”現実”をありのままに受け止めたい。
そういくら願っても
「責められている感覚」
「脳内のイメージ」
「身体感覚」
この3つがこびりついて離れず、私のココロはいつも嫌な気分で、生きづらくて、しんどかった。
ーーー
前書きが大変長くなってしまいましたが、
今までの文章を読んで「あるある!」と共感してくださった方には、
このnoteは、お役にたてるかもしれないです。
具体的には、
・生きづらさを感じる
・自責思考が辛いけど、やめられない
・HSP気質の人
・自己肯定感が低くて、上げ方が分からない
という方です。
私は13年間、薬物治療・漢方・各種カウンセリング・スピリチュアル・整体系・ビタミン治療・催眠療法など、、、
色々なものに手を出して、試してきました。
けれど、どれも根本的な回復には繋がりませんでした。
そんな失敗ばかりしてきた私が、
この1ヶ月間実行したところ
かなり効果があった方法があります。
それは本当にシンプルなことで、
自分でも
「えっ、今までのお金何だったんや・・・」と思うことです。笑
先に答えをいいますと、
"自分を責める言葉を紙に書き出すこと"
ただ、これだけ。
私はこの行為をスキーマ療法という心理療法に基づいて行っています。
いつもずっと頭をもたげていた
「生きているのがとてもしんどい」
「うっすらとだが、ずーと嫌な気持ちがある」
という感覚がかなり和らぎました。
これを始めてから、死にたいと思ったことはまだ1度もないです。
こんな楽に生きていて良いのか?
と思うくらいです。笑
…
自責している言葉を書き出す"だけ"といっても、うまく機能するには、前提として大切なポイントが3つあります。
逆にいうと、このポイントが腑に落ちていない状態で紙に書き出しても効果はないかもしれないです。
わたしはこのポイントに行き着くまでに13年間かかりました。なが。笑
1つ目は、自分を病気と思っていいということ。=治療可能と思うこと。
2つ目は、自責は「もう必要がないこと」だと思い込むこと。
3つ目は、自分の気質をよく理解すること。
この3つです。
1つ目から詳しく説明します。
1. 自分を病気と思っていい
=治療可能と思うこと。
明らかな苦しみがあるのに、
そこに病名がない時、人はより苦しみます。
定義がないと、世間も認めてくれないし、
他人にもその気持ちや症状を分かってもらいづらいから。
そうすると、「私は病気ではないのに、何故こうなんだろう」と自分を”変”だと思い、より自責する方向に向いていきます。
さらに、自責思考が強い人は「病気」と思うこと自体を「甘え」と捉える傾向があるかと思います。
そうすると、病気でもない「私」と
病気と認めるのもおこがましい「私」に挟まれ、
自分がどんどん矮小化して、がんじがらめになります。
これが苦しみを生む一つの原因かな、と思います。
けれど、病名がないからといって、あなたの中に渦巻いている苦しさが消えるわけではないし、その苦しさは"そこにある事実"ですよね。
私もずっと定義が欲しくて、本やネットを読み漁り、
自分と似た症状を見つけては「これだ!」と
小躍りしていたことがありました。笑
うつ病、そううつ病、気分変調性障害、境界性パーソナリティ障害、HSP気質・・・・etc
なんでも良いから、病名や定義が欲しかったです。
無理やり定義にあてはめたくなることも何度もありました。
もちろん、お医者さんに診断をしてもらい、病名が診断され、治療を行い、症状がよくなった方は何も問題はないです。
私の場合、いろんなものを混ぜこぜにしたような症状でしたし、投薬やカウンセリングもさほど効果がありませんでした。
だから、自分で自分を「患者認定」して、「治療する」必要がありました。
「病気とは何か」ということに対して、『対人関係療法でなおす 気分変調性障害 自分の「うつ」は性格の問題だと思っている人へ』水島広子著 (2010年 創元社出版)のP55には下記のようなことが書いてありました。
病気の症状は本人のコントロール外にある
ひとたび病気になると、そこで起こる症状を自分でコントロールすることは基本的にできません。
ここが、病気とそうでないもののちがいだとも言えます。
病気というのは、簡単に言えば、ある状態に置かれた心身が起こす一連の反応パターンです。
たとえば「インフルエンザウイルスに感染した」という状態に置かれれば、身体は高熱や関節痛などの一連の反応パターンを示します。
「熱は三八度以下にしたい」「明日は大切な仕事があるから、今日中に治ってほしい」などと思っても、自分でそれをコントロールすることができません。
(中略)
この特徴は、気分変調性障害にもそのままあてはまります。
多くが思春期に発症し、一定の症状が、一定の経過で現れるのです。
その症状を本人が操作することはできません。
むしろ、症状をコントロールしたいと誰よりも思っているのは本人であり、それができない自分を責めているものです。
本人にできるのは、せいぜい、「症状を隠す」ということであり、それが気分変調性障害の人たちが日常的にやっていることです。
この本は気分変調性障害についての本なのですが、自責思考が強いひとや自己肯定感が低い人にもこれは当てはまると思います。
私の場合も、この感覚が強かったです。
川は上流から下流に流れる時、当たり前だけれど一番幅が広いところにもっとも水が流れますよね。
頑張って小さな横路を作ってもそこには、チョロチョロしか水は流れず、本流に飲み込まれていきます。
私の思考もこれと似ていて、上流から水が流れたらこのルートを通るという一連の反応パターンが決まっていて、いくら水の流れを変えようと思っていても太刀打ちできない感覚でした。
自己啓発本を読んだり、「ありがとう」とずっと呟き続けて、
気分がよくなる場合はまだ「コントロールできている」状態と言えますが
自分であれこれコントロールをしようと思っていても、
思考に打ち負かされ、感覚に打ち負かされてしまう場合は、もう本人のコントロール外。
自分で病気と認めて良いのだと思います。
病気と認めることで
「これは治せることだし、私はフツウと違って良いのだ」と思うと、
パワーになります。
決して「病気」という言葉に甘えるわけではないし、
「被害者意識を強めよう」といいたいわけでもないです。
悲壮感や、哀れみや、恥ずかしみはなくて、
ある種の覚悟のようなものです。
自分の苦しみを世間や人の基準に合わせるのではなく、自分が感じる苦しみと認め、それと向きあう。
これが、良くなることへの一歩だと感じます。
2. 自責は「もう必要がないこと」だと思い込むこと
これが正直、1番難しかったです。
自責思考が当たり前の人にとって、
自分を責めることは自動プログラムなのです。
だから、自責をしないと自分は
”とんでもない人間”に
なってしまうのではないかと感じます。
例えば、上司に仕事で褒められたとしても
「これは、A君が手伝ってくれたから、私が全て褒められるべきではない」
「私からするとまだまだだ。少し手を抜いてしまったのに、褒められてしまった」と言った類のことを考えます。
逆に素直に喜ぶ心が出てきた時は
「ここで気を抜いたら自分は怠けてしまう」
「こんなことを思うなんて自分は奢った人間で最低だ」と感じます。
このように、いつでも自分を思い込む形でプログラムが作動します。
ピピピ。
なんてドMなんでしょう。
でも、おそらくメリットがあるから、自責しているんです。
え、つらいのになんでメリット?!と思う方もいるかもしれませんが、少し考えてみてください。
私の場合は、自責をすることで”最悪のことが起こった場合をいつでも想定し、突然のショックに備える”という理由で行なっていることが分かりました。(でも冷静に考えるとその最悪のことは大抵起こらない)
事前にショック状態をつくり、苦しむことで後に来るかもしれない本番の予行練習をいつもしている状態です。
おそらくですが、10歳のときに父親が突然自殺をしたというショック体験がこの思考の元なのかなと思ったりします。
「もうあんなに突然辛い思いしたくない!ならば、いつでも予防線を張っておこう」といった感じです。
人によってこのメリットは異なるはずですから、一度じっくり紙に書き出してみると良いです。
そのメリットを享受した体験も思い出せれば書いてみると良いです。
そして、大切なことは、「その思考はかつては自分を守っていた」と理解することです。
今は自分を苦しめる思考だけれど、かつては必要に駆られて自分を守るために生み出されたものだったんです。
だから、「守ってくれてありがとう、でも今はいらないよ」と思えることが
一つのポイントとなってきます。
それでも、自責は染み付いてしまっているものなので、
自責思考を「いやだな」とは思っても、
自責思考を「しなくていいもの・必要がないもの」と心から思うことはとても難しいです。
私も自分を責めなくなったら、やっぱり傲慢でとんでもない人間になってしまうのではないか!?という恐れは今でもあります。
明らかに相手に危害を加えた場合は、反省という意味で自責することは、ある意味全うな大人がする思考ですが、自分を必要以上に痛めつけるような自責は必要ない。
区別をして、(これが難しいですが)決意することが大切です。
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具体的な方法としてオススメするのは、書き留めた自責思考を、信頼できる人に見てもらうことです。
そしてその人だったら、同じ場面でどう考えるか聞いてみることです。
この時、自責思考が強くなさそうな人をチョイスするのが大切です。
そうすると、他人がいかに自分と違う考え方(受け取り方)をするかを実感し、驚きます。
私はこれを旦那とやっています。
下は友達と旅行に行く時に、仕切りすぎたのではないかと不安になった時のやりとり。
※10年来の親友で、かなり仲が良いのに、こんなふうに感じちゃう(;_;)
このように自分の自動思考を書き出すことで、思考を自分で眺められるようにします。冒頭では「紙に書く」と書きましたが、スマホのメモ帳に書き留めるでもOKです。
それだけでも、「あー私ってこんなことを考えているのね」と気づくことがあるかと思います。
さらに上記のように他人と比較してみると、考え方や受け取り方が天と地ほど違うのだと分かります。
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相手がいない場合は、自分の思考を矯正してくれるような本が良いです。
私がオススメするのは下記の本たち。
実際、今もこちらの本を参考にしながら日々、自動思考を書き留めています。
※「いやな気分よさようなら」はこちらのコンパクト版でもOKです。
3.自分の気質をよく理解すること
最後は、自分の気質を理解することです。
あくまで私の見解ですが、自責思考が強い人や自己評価が低い人は相手の気持ちや様子を察する能力が高いのではないかと思います。
そのため、相手が望んでいることを先回りしようとしたり、他者からの影響を受けすぎたりします。
こう言った能力は、プラスに働けば色々な場面で役に立ちがますが、自分をプロテクトしていないと相手の調子に知らない間に巻き込まれて、自分がヘトヘトになってしまうこともあります。
そしてこの能力は先天的なのか、後天的なのか分からないですが、おそらく人類全員が持ち合わせているものではないと思うのです。
いわゆる「スルー力が高い」、「鈍感力が高い」と言われる人たちはこれと逆に位置します。
どちらが良い悪いではなく、自分はどちらなんだろうか、と理解するのが大切。
私の場合、テレビドラマなどを見ていてもすぐ感情移入して泣いてしまうし、悩んでいることがすぐ夢に出てきたりと、外側の刺激が内側に届くのが容易だなと感じます。
※一方、めちゃくちゃ鈍感な部分もありますw
正確な統計をとった訳ではないので、なんとも言えないですが、HSPの本を読んでいても当てはまることが多く、「自分は敏感な方なのかな」と思います。
以前は、「むちゃくちゃポジティブな人」や「鈍感力 どや」みたいポジショントークをする人を見ては、「私はこんなに前向きに考えられない・・・」と比べて落ち込んでいたけど、元々気質が違うんだなと理解してからは、少し楽になりました。
痛み・音・刺激・快感・感受性 etc...
見ているものは同じだとしても、それを脳で受け取ったり、感覚に変換する時は千差万別で、こればかりは”人がどのくらいなのか”を体感することは難しいです。
誰かにとっては死ぬほどショックなことでも、ある人にとってはなんでもないこともある。
それでも、私という主観が辛いなら、辛い。
それを大切にすることが自分を受けいれて、愛するという事だと思うのです。
私自身、症状が軽くなったからと言って、むちゃくちゃポジティブな人間になれるとは思っていません。
私のメンタルは所詮、絹豆腐から木綿豆腐に変わった程度で、高野豆腐にはなれないのです。
もしかしたら10年後に高野豆腐はなれてても、まちがいなく豆腐以外の食材にはなれない(笑)
感じてしまうこと、思ってしまうことはしょうがない。
それを、変だと思わないで、自分で対処ができるようになってきたな、と感じます。
まとめ
だいぶ長くなってしまいました。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
最終的に何をすればよいのか?をまとめてみます。
・自責思考を紙でもデジタルでもアウトプットする
アウトプットする目的は、
・自動思考していることに気づき、自分が自動的に思ってしまうことを理解すること
・その思考を眺め、自分と一体化していた考え方から少し離れて眺められるようになること
です。
もし、体系的に治療したいという方は文中でご紹介した
・自分でできるスキーマ療法ワークブック Book 1 生きづらさを理解し、こころの回復力を取り戻そう
・自分でできるスキーマ療法ワークブック Book 2
がおすすめです。
こちらの本はスキーマ療法といって認知行動療法を発展させたものを扱っています。
一方で、文中でご紹介した「いやな気分よ、さようなら」という本は認知行動療法をベースにしている本です。
どちらも、本当に素晴らしい本です。
読んでいて、「こんなに私の気持ちがわかるの?!監視カメラかなんかでとられているのか?」と思うほどです。笑
スキーマ療法はまとまった時間が必要なので、休日に少しずつ進め、スキマ時間に「いやな気分よ、さようなら」を読んで、自動思考の矯正を行っている感じです。
この3冊はもう少し早く出会っていれば・・・と何度も思いましたが、出会うべき時に出会ったのかなとも思います。
元々、私も7年くらい前に認知行動療法に挑戦したことがあったんです。
認知行動療法の詳しい説明は割愛しますが、自動思考を書き出し、合理的な考えを書き、気分の再評価をするという一連の行動自体が私には大変なことでした。
一定の時間をとらないと難しいし、後からなかなか気持ちを再現するのも難しいし、なにより自動思考をうまく捉えることができていなかったのだと今から振り返ると、分かります。
また、上記でお話した3つのポイントも腑に落ちてなかったんです。
結局は自分を責める心が根底にある状態で、合理的な考えを書いても全然しっくりこなかったのです。。。
本にはたくさんのワークがのっているが故に、いっぺんにやらなきゃ!という気持ちになりますし、ちゃんとやらなきゃ!という気持ちになり、昔の私のように途中で挫折してしまうのでは、と思い、このnoteを書きました。
まずは、自分を責めている言葉を書き出す。
そこからスタートしてみてください。
このnoteを読んで、生きることが、ほんの少しでも楽になる人がいればいいなと思います。
質問などあればコメントでくださいね。
私の経験の範囲であればお答えさえて頂きますm(_ _)m
※12月15日 追記※
試してみて、しっくりこない・余計に辛さが増した。という場合は、無理してやる必要はありません。
症状によっては、今はこの方法を試す時ではないかもしれませんし、もちろんこの方法自体が合わない場合もあるでしょう。
私自身も、色々試してきた中でたまたま環境・タイミング・体調など複合的要素が噛み合ったから効果が出ているのだと思います。
治療は、とてもパーソナルなものなので、私には合っていても、それが万能だとは思いません。
自分が該当しないからといって「だめだ」と決して思わないでくださいね。
また、「変わらなければならない(だから今の私は無価値だ)」「この人みたいにできない私はやっぱりダメだ」「この人よりは症状が軽いのに、私は頑張っていない」などの思いに捉われるかもしれませんが、これもまた自分をいじめてしまう癖の一つです。
「あ、そんな思いに捉われているな」と感じつつ、さっそく自分を責めない練習をしてみましょう。笑
たとえばこんな風に。
「変わらなければいけない部分もあるけれど、今の私でいい部分もある。
選択肢を増やそうとしているだけで、決して今の自分が無価値なわけではない。」
「この人には、このやり方がたまたまヒットしただけかもしれない。
私には身体からアプローチする方法が向いているのかもしれない。」
「この人より症状は軽いけれど、辛い気持ちという部分では同じだし、もしかしたらこの人よりも気持ちの中では辛い(と感じる)度合いは高いかもしれない。
私の痛みは私にしか分からないものだから、比較するのではなく、認めてみよう」という具合に。
私もこの考え方を本当に腑に落ちた感覚で、自分に向けて言えるかというと実感値60パーセントくらいです。
なので、言い聞かせる感じです。
何回も何回も。そうすることで少しづつ回路が強化されていきます。
また、私はこうして他人に向けて書く場合であれば、100パーセント実感値でそう思います。
ぜひご自身のことを時々で良いので自分の親友や小さな子供と思いこんで、接してみてくださいね。
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