顔にご飯粒付けてた癖に

 昨日は深夜にこっそり飯を食っていた。卵かけご飯だ。
晩飯を夕方にはあっさりと済ませてしまって、いざ寝ようという頃になると、どうにも空腹感を感じる夜がときたまある。
睡眠中はカロリー消費が少なくなるので太りやすいだとか消化に悪いだとか睡眠が浅くなるだとか、食べることを我慢する理由はいくつも思いつくのだが結局欲求に勝てずに貪り食ってしまう。
その度に些細な罪悪感を感じる。しかし何時何時であっても腹が減ったら食うというのは真に人間らしい生活なのだとわたしは信じている。
寝る前の暴食を我慢出来るような理性的なヤツはくだらない。満腹で寝ることほどの幸せは存在しない。
空腹を紛らわせるために寝るなんて言う人間もいるが、こういった愚行は行き過ぎたダイエット志向から来るもので、そんな我慢をするくらいなら健康などこちらから願い下げである。そう思っていたらいつの間にか体重が三桁になっていた。健康になりたい。



 わたしの家には一人女がいて、なんの縁だか知らないが共に生活を送っている。
彼女はさきほど言ったようなくだらない人間であった。空腹を紛らせようと寝るらしい。やっていることは熊の冬眠とさほど変わらない。

 深夜1時ごろ熊、もとい彼女が寝静まったのを見計らい、わたしは卵かけご飯を作ることにした。
律儀に一食分ずつラップで包まれた冷凍ご飯をレンジで温め、タマゴを探した。賞味期限が明日までの卵が8個残っていた。どうせ期限内には食べ切れるまいと思い、鍋に湯を沸かしその二つを茹でた。少し高い位置から乱暴に入れたせいで殻にヒビが入りお湯が濁り出した。
茹で上がった卵を見ると、白味が歪に飛び出し、まるで別の生き物のように固まっていた。
レンジで温めたご飯は素手で触れないほどに熱くなっておりTシャツの裾を捲り上げて、即席のミトンにしてご飯を手に取る。
何のキャラクターなのかも分からない薄緑色のタヌキが描かれたお椀にご飯を移し、生卵を割り入れた。何にかけても美味いでお馴染み、味の素を振りかけて醤油を垂らした。思いがけず深夜に計三つも卵を消費することになってしまった。

 器とゆで卵を居間に運ぶ。卵かけご飯を一口食べるとなんとなく物足りないような感じがして、一度キッチンに醤油と味の素を取りに戻り、好みの味に調整して再び食べ始める。そこでゆで卵を食べるのに食塩を持ってくるのを忘れたことに気がついた。
再びキッチンに戻り食塩を取って居間に帰る。
わたしにもう少しの計画性があればこんなにも不毛な行き来をしなくても良かったのにと思うと、自分自身が愚鈍な人間に思えて寂しくなってくる。
そんな風にぼんやりと考えているとギリギリと甲高いノイズが聞こえてきた、寝ている彼女の歯軋りだ。
彼女が自身の歯軋りに気がついているのかどうか、わたしから指摘したことはないので分からない。
そんなことは気にも止めずに食べ進めていたら、音が止んだ。
これはおそらく卵かけご飯の香りのせいなのではと直感的に理解した。
卵かけご飯の器を持ってキッチンに一度退避する。聞き耳を立てているとまた音が聞こえ出した。
わたしは器を持って彼女が寝ているベッドの淵に座り、箸で卵かけご飯をひとつかみして彼女の顔に近づけた。歯軋りが止まる。
どことなく楽しい気分になって、箸を近づけたり遠ざけたりを繰り返していると黄色いご飯が3粒ほど彼女の頬に落ちた。緊張が走る。こんな深夜の奇行がバレてしまってはなんと言い訳をして良いのか見当もつかない。おそらく正直に一から説明したところで何も分かってはもらえないだろう。
しばらくどうして良いか分からず眺めていたのだが、箸で顔についた米粒を摘むのもなんだか失礼な気がして、彼女の頬に自分の口を近づけて勢い良く吸った。難儀なミッションをバレずにやってのけたことに満足感と奇妙な高揚感を感じながら眠りについた。

 朝8時頃ふと目覚めると彼女はテーブルに食塩が置きっぱなしになっているのを訝しがっていた。変な勘の良さでわたしが深夜にゆで卵を食べたことを見事に推理していたが、顔に黄身の絡んだご飯粒を付けていた癖に、と思うとそのしたり顔も滑稽に見えた。

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