チアリーディング部に応援されたい人生でした。

 きっとあなたはタイトルを見て

なんだこいつ気持ちわりぃ、どうせチアガールをエロい目で見てんだろ、そうに決まってる

と思ったことだろう。

 そう思われるだろうなぁとは予見していた、意外にニシダは冷静に自分を見れている。
日本各地に不審者が出現する度に更新される『日本不審者情報センター』のTwitterを見ていて気が付いたのだが、ニシダは不審者の特徴をだいたい網羅している。目を背けたい現実にもしっかりと向き合っている。そんなナリをして東京ガールズコレクションでランウェイ歩いてるんだから人生何があるか分からない。

 大学3年生のとき、正確に言うと一度目の大学3年生のときに我が母校、正確に言うと我が母校となるはずだった上智大学の学祭前日に行われる前夜祭のMCをやらせていただいた。
前夜祭の中にいくつかコンテンツがあり、そのひとつに上智大学のチアリーディング部の演技があった。あの日から自分はチアリーディング部というものが大好きだ。学生時代に一度で良いからチアリーディング部に応援されたかったと後悔しながら今生きている。今までを振り返って頑張ったと思えることなど一つとしてないが、それでも応援されたかった。

 予め言っておくと、チアリーディング部と書いているが女性でも男性でも良い。チアリーディングというとなんとなく女性のイメージが強いが、男性がやっているのも見たことがあるしそんなテーマの小説も読んだことがある。性別に関わらず"チアリーディング部"というものが好きなのだ。
逆に社会人のチアリーディングチームにはあまり興味がない。野球の応援などでたまに見るが、そういうものにはあまり心惹かれていない。
あくまで日本の学校教育の中の部活動という範囲で行われている"チアリーディング部"というものが良い。
そして海外の映画やドラマで見るチアリーディング部は何故かイラッとする、だいたいアメフト部といっしょにヒョロヒョロした細い男ををバカにするから、ヒャダインさんの曲のPVが一番自分のイメージに近いから見てみて。Start it right awayって曲です。まぁステレオタイプが拭えていないだけで、実際に接してみたら好きなのかもしれないけどね。

 余談だが、前々から抱いているチアリーディング部に応援されたいという感情は、学生時代にスクールカースト上位にいることが一度もなかった自分の心の内に潜んでいた劣等感がひねくれにひねくれた結果として露見したジェラシーのなれの果てなのかもしれない、などと考えたこともあったが、もしそれがジェラシーであってもまぁ良しとしようと思えるほどに学校に通っていた年齢からかけ離れてしまったし、時間を置いたことで整理もついたので文字に残すのもありかなと思った次第だ。
自分がどうしてこうまでチアリーディング部に応援されることにこだわるのか、ちゃんと説明して共感してくれる人が多くいれば、あぁこれは一般的な感情なのだなと思えて安心材料にもなるかもしれない。

 そもそもの話だが、あなたはチアリーディング部と言われて何が思い浮かぶだろうか、イメージは人それぞれ異なるように思う。最も一般的なイメージは部活動を含むスポーツの応援をする人たちというものだろうか、自分が応援されたかったのもそういう人たちだ。
甲子園なんかを見ているとスタンド席にいるあれだ、鮮やかなユニフォームを着て音楽に合わせて応援しているあれである。
歴史を辿るとアメリカでアメリカンフットボール文化との関係のなかから1897年に生まれたらしい。アメフトの選手を応援することを目的に結成されたのが始まりだ。当初は男性のみで女性が参加できるようになったのは誕生から20年経ってからだそうだ。(ニシダ調べ)
しかし、こういった一般的なイメージとはまた別にチアリーディングには競技としての側面もある、チアリーダーが行う団体スポーツ競技だ。

なのでチアリーディング部には誕生当初の目的通り他のスポーツ競技の応援、自分が話題にする学校教育に落とし込んで言うのであれば部活動の応援、そしてチアリーディング競技で技術を競うという二つの活動がある。これがミソなのだ。この両輪があることでグッとチアリーディング部に対する愛情が深くなる。

 チアリーディング部は他人を応援するだけではない、競技で良い成績を残すために努力している。各チアリーディング部でレベルの差はあるにしろ、全員が競技者だ。素人目に見てもチアリーディングの競技は危険だし予想以上にテクニカルだ。直立した状態の人が何段にも重なっていたり、笑ってしまうような高さを飛んだり、人とは思えない動きをしている。相当な鍛練が不可欠なのは明らかで、それを体育会の部活動として取り組みながら、その上で誰かを応援している。


 世の中の言説に、『何を言うかよりも誰が言うかが重要』みたいな格言じみたものがある。
頑張っている人、成功した人の言葉はその内容がどうであれ説得力が増して聞こえる。何者でもない分際からすれば、なんて希望のない言葉なんだと思ってしまうが道理は通っている。
頑張っている人からの応援は人をこの上なく勇気づける最上級の応援なのではと思う。そう考えるとチアリーディング部の応援ほど心を打つものなどありえない。

 きっと激しい練習をしているはずだ、部活動である以上競技での結果は部員全員がほしいと思っているだろうし、へこたれて涙を流すことも多々あるのだろう。
しかしチアリーディング部はその頑張りと感情をおくびにも出さず、誰にでも分かる文言を使い全員が笑顔で明るく楽しい雰囲気で応援をする。 
華やかな応援の中に、部活動に由来したスポ根的なエッセンスを感じられるのがチアリーディング部の魅力であるし、だからこそ大学3年生にもなって努力もすることなく、のうのうと生きていた自分の琴線に触れた。
華やかで優美なだけであれば、逆に完全にスポ根に振り切られたのであればここまで自分は感動していなかったと思う。

 もうあの大学という自由な場所で過ごした日々には戻れないし、今の自分がチアリーディング部に応援されたところでなにか違ってしまうのだろうなと思う。
応援されたかったのはあのときのニシダであって現在の自分じゃあない。今後叶うことない願望が来世ではきっと満たされると信じて残り時間を消費するだけの人生だ。 


 ちなみに冒頭でチアリーダーをエロい目で見てると思われてるのではないかと書いたが、一度その真偽を自分自身確かめようとしてチアリーダーのコスプレをした人のAVを見てみたことがある。チアリーダーに扮した女性数人が「おちんちんがんばれ、たちあがれ」とおちんちんを鼓舞していた。
無性に腹が立ち、それからチアリーダーをエロに昇華しようとするコンテンツは全てシャットアウトしている。
 
 俺のチアリーディング部への愛よ、読者に伝われ。

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