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凹凸ある自分

最近noteをかこうと思っても
書くことをとまらせる俺がいた。

いろいろなことが起こりすぎて
どう言葉にしていいかわからない
っていうのもあるけど
自分が自分に対してどこか
情けないとかみっともない
そんなふうに思うと
言葉が出てこなくなったりする。
今までも自分の楽しい姿や自分が好きなところは
たくさんsnsであげたりしてきたし
俺自身もその自分である時は満足してた。

でもそうじゃない自分である時
どこか自分に対して受け入れられないこと
自分で自分を許しきれない部分が見つかった時
俺は自分を責める思考というか
頭の中で
自分が息苦しくなるような
そんな想像をして
さらに苦しくなったりする。
たとえその事実が今とは関係なくても
こんなこともしたよな
あんなこともしたよな
どうすんだよ
みたいな想像がくるくると生まれる。

そうするとどこか自分自身を表現することに
こんな自分を見せたくないとか
こんなところ見られたくないとかの
恥や恐怖の気持ちが生まれる。
そしてその気持ちが
自分のことを話したり
その瞬間に今までやったことを
もうこんなやつがやっても仕方ないか
って立ち止まる瞬間を生み出してた。

俺はいつもここに時間をかけてきた。
自分を責めること。
情けないってところを見ていじけてること。
いじけてさらに深みにはまっていくこと。
そうやって苦しくなったら
思いっきり違うことをしてまたリセットする。
そんな繰り返しだった。

俺はこの部分をどうしたいんだろう。
別に全部を見せる必要はないかもしれないけど
俺は責められる自分も責める自分も表現したい。
ちゃんと表現していくことで
俺が嫌いな部分も無意識な部分も
深く理解したい。
そして責めたくなる行動に隠れてる
責められて落ち込んでる自分に隠れてる
純粋な想いに触れて
自分の中に美しさを見つけたいんだ。
こんなこと言うのは恥ずかしいけど
人に伝えることを通して俺は俺自身を
愛しようとしてる。

好きな自分でいること
それも大切なことだと思ってる。
無理矢理そういう自分でいることが
美学でありかっこいいんだと
そう思って生きてきたし。

でもきっと本当に俺が望んでいるのは
そうじゃない自分がいることを受け止めること
大丈夫だよって一言かけてあげること。

俺自身の中にある美しさに触れ続けることで
恐れから生まれるエネルギー
ではなく
純粋な想いから生まれるエネルギー
で生きる道を選択していくことにつながる。
生きる自分を好きになれる瞬間を望んでいる。

noteを書こうと思っても書けなかった自分も
歌が上手い人の前だと歌うのが恥ずかしくなる自分も
いろんな記憶から自分自身のこと責める自分も
人の信用を満たせてなかった自分も
人との距離を置いてしまう自分も
もちろん
純粋に子供と楽しく遊ぶ自分も
今やってることに全力集中してる自分も
全力でドジってみんなに笑われる自分も

俺は俺自身の味方であり続けよう。
自分がダメだって思う部分には
大丈夫だって声をかけていこう。
完璧じゃない俺だから愛していこう。
そんな人との違いを楽しんでいこう。

自分を愛せれば愛せるほど
人を深く愛せる。
人を深く愛せれば愛せるほど
自分を深く愛せる。

そうやって自分の器を広げていく。
そのためにこうやって自分を表現したいんだ。

また今日もたくさんのことを感じていこう。
そんでそのまんまの自分で生きよう。
そんで自分を愛そう。
ムカついたって苦しんだって恥ずかしがったって
きっとその中には純粋な思いがあるから。
そこに目を向けていこう。

今日も読んでくれた人ありがとうございます。

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