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暮らしと対話

暮らしには心の動く出来事が散らばっている。
子供がいると尚更にそうなることを
実感している父親7ヶ月目だ。



奥さんと娘一人と3人で暮らす中で

片付けや家事のやり取り、

泣く娘とそこへの対応、

色々やっている中でふとした時に感情が溢れて
お互いの声が大きくなる。

「あれやって」
「つかえない」
「生理的に無理」


こんな言葉が交通事故のように不意に現れる。
(よく気にしておけば不意にはならないけど)

すると全てを放り出して逃げたくなったり

絶望を避け相手にいかに非があるかを

あの手この手を使って示そうとしたりする。


「ふざけんな」「もう勝手にしろ」

自らと向き合うことも避け

生まれた心の声は静まるわけもなく

日常と共に過ぎ去っていく。



でもふとした時に気づく。

散歩をしたり、

海で過ごしたり、

人と話したりした時

「自分の価値を認めてもらいたかった」
「状況を理解して欲しかった」

そんな素直な声が聞こえてくる。

だから自分の価値を認めたし理解してみた。

すると今まで大切にされず

苦しみから逃れるために

暴言まで吐いていた心が

明らかに緩んでいくのがわかった。


そうすると奥さんの状態までも目を向けられる。

奥さんも苦しんでいた。

理解を望んでたし労いを必要としてた。


大切なことは自らで大切にする。

そのために気づく余白を日常に入れていく。

その大切さを心の底から感じさせてくれたのは

日常の中にある時間だった。


日常ではついつい出来事だけに

目を向けやすくなるし

何よりいちいち心の動きに

目を向けているのは疲れもする。

でもふとした時に内側に目を向けると

いろいろ聞こえてくるものがあったりする。

そんな声は日常を彩る大切な瞬間で

世界からの大切な贈り物だと

改めて痛感する。


暮らしの中での対話は

辛さや面倒くさいところもあるけど

本当の生きる価値が、

命として生きる実感が感じられる

かけがえのないものだなと感じてる

今日この頃です。

そんな暮らしの中で対話をして生きれることに

感謝をしながら日常という奇跡に出会いに

家族や仲間との時間を過ごそうと思います。

改めてご縁のあるもの全てに感謝します。

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