#あの恋

平野啓一郎さんの恋愛小説、マチネの終わりにについてのお題である。最近、電子書籍を購入したところで、実は読み始めてもいない。

今回は、私が平野啓一郎さんについて知りうることだけ書いて、これから読む本に思いをはせてみようと思う。

2017年ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ。氏のことも当然、受賞をきっかけに知ることになるのだが、NHKのドキュメンタリーで放送(再放送)を3本ほど観て興味を持った。

文学白熱教室、という少人数講義形式の番組で小説の価値についてのテーマが語られていた。音声をそのまま文字起こししても、文章として何度も読み返したくなる講義録となる素晴らしい番組である。人はなぜ小説を読むのか?(小説を書くのか?)の問いに答えようとする白熱教室だ。

私は、それまで書物の中で小説を読む機会はほぼゼロであった。しかしそれを観たあと、小説に興味を持った。小説を読む多くの人は、若い頃から小説を通して物語の面白さに惹き込まれ、知ってか知らずか、それに込められた真実やメタファーを読み解いてきたのではないか。私の場合は、それを経ないまま小説とは何か、を教えられて自分の中で有用な物と位置づけたのである。

私は、自分で小説を読んで気づくのではなく。小説とは何か、を頭に入れた状態から入っている稀有な存在かもしれない。

だからといって小説を読みまくるのではなく、カズオ・イシグロも読む前に、まずはネット検索である。氏の作品で手をつけたのは、日の名残りであるが、他の作品を読まずして氏の作風を知ろうとするのである。

とあるブログより。小説の中のメタファーを読み解く、ということで村上春樹のことを挙げつつ、読み解かなくていい、というのではあれば平野啓一郎(が今後ノーベル文学賞を取る可能性)、というくだりを見つけた。

村上春樹氏を覗いては、ノーベル文学賞を受賞する方は、とって初めて作品、お名前を知るぐらいの私にとって、平野啓一郎とはどんな小説家なのか、と興味をもった。

その興味から1年半ぐらいが過ぎている。未だ作品に手をつけずにいるのだが、そろそろ読んでみようと思う。手法、作風を意識することなく空っぽの状態で小説にのめり込みたいとは思うが、私の小説体験は既にそれが出来ない。頭から入っている。

それは良いとして、私は頭の硬くなったアラフォーから小説を読み始めた。これが、少数派であることを考えれば、普段小説をも読まない多くの人の気持ちを分かる者として、これからの小説ファン?拡大に自分が貢献できるのでは、と自信を持って小説に触れていきたいと感じた。

明日は #私のパートナー について