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【小説】 愛のギロチン 9

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「肝臓って…」

 繰り返す俺に、やっと大貫は視線を戻した。

「ずっと患っていてな。まあ、若い時分の不摂生が祟ったんだな。だがまあ、これまではなんとかなってきたんだ。酒だってちゃんとやめてるし。だが……」

大貫はそして、何かを諦めたように、ため息を漏らす。それから上を向き、やんちゃ坊主が強がるような口調で、吐き捨てるように言った。

「数値がドカンと上がりやがった。ついにドクターストップだ。仕事を辞めて休養しろだとよ」

「え……仕事を?」

具体的な年齢は聞いていなかったが、おそらく60代なかばから70歳くらいだろう。病気になる人だって大勢いる年代だろうが、日に焼けた肌や元気なーー元気過ぎるーー言葉づかいなどから、仕事が続けられないような深刻な状況にあるとは思ってもみなかった。

「だましだましやってきたんだがな……さすがにもう、毎日職場に行ってフルタイムで働くのは辞めてくれと。とにかく少しでも休む時間を増やせと言われた」

大貫はチッと舌打ちをすると、さっき出てきた診察の扉の方に向け、イーっと顔をしかめて見せる。

「ったくよ……あのヤブ医者、簡単に言いやがって。そうできねえから毎日働いてんだっての。エリートさんは現場っつうもんを知らねえからダメだよな」

「仕事……何されてるんですか」

俺は聞いた。自然と口に出たという感じだった。言葉にしてしまってから、なんでそんなことを聞くのだと考える。どうだっていいではないか。わけもわからないまま駆り出され、ここまで時間を使わされたのだ。これ以上こんなワガママ爺さんに関わる理由はない。藪蛇をつつかず、できるだけ波風立てないように終わりにするべきだ。

だが、一方では気になっていた。この爺さんがどんな仕事をしているのか。それは、自分が様々な仕事の採用を扱う求人広告の営業マンだからと言うより、自分自身がまさに今、退職を目前に控えた立場だということが理由な気がした。いずれにせよ、純粋な興味とは言えない。だが一度吐いた言葉はもとには戻らない。

次の言葉の次げない俺を、大貫はじっと見つめた。そして、見るからに含みのある笑顔を浮かべ、「ギロチンだ」と言った。

「は?」

「だから、ギロチンだよ。俺はギロチンの設計士だ」

自分の眉間にシワがよるのがわかった。真面目に答えてくれると思った俺がバカだった。そしてこの爺さん、冗談のセンスもないらしい。からかうにしても、せめて意味の通じる言葉を選べと言いたい。

俺はそれ以上聞く気にならず、自分への慰めのような気持ちで小さくため息をつくと、「そうですか」とだけ言った。

つづく

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