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【小説】 愛のギロチン 16

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大貫がニヤリと笑い、そして、瓶ビールを俺に向かって傾けてきた。

「そう言うと思ったぜ。あんたならな」

「え?」

俺はグラスでビールを受けつつも、その含みのある言い方が気になった。まるで自分のことを以前から知っているような口ぶりだ。

ビールを注ぎ終えた大貫はごく自然に俺から視線を外し、さっき倒した小鉢を元に戻すと、テーブルにこぼれた汁をおしぼりで拭き取る。

「あの……それってどう意味ですか」

「あん?」

「いや、そう言うと思った、って今」

大貫が眉間にシワを寄せてこちらを見、そしてチッと舌打ちをする。その反応からなぜか、俺は自分がいま無粋なことをしているのかもしれないと思った。この爺さんはなんというか、損得とか善悪とかよりも、そういったことを気にするタイプな気がする。

「別にいいじゃねえか、そんなこたぁ」

俺は自分の感情に任せて仕事を請けただけだ。採用を何だと思ってやがる、大貫が漏らしたその言葉に、自分の中でくすぶっていた苛立ちを投影した。大貫のために一肌脱ごう、というわけではなかった。だからこそ、気になる。

「言ってくださいよ。なんか気になるんです」

しつこく言うと、大貫はチッと再度舌打ちをして、数ヶ月前、アパートの下で俺のことを見かけたことがあるのだと言った。

「あんたは携帯電話を持って、何度も謝ってた。すみませんすみませんって、そこにいねえ相手に何度も頭を下げて」

「……」

聞かなければよかった、とすぐに思った。大貫が一体いつのことを言っているのかわからない。だが実際、ポカをしてクライアントを怒らせたこともある。あるいは電話の相手はクライアントではなく、数字のあがらない俺を詰める上司だったのかもしれない。

「謝ってばっかりで解決策は何も出てこねえ。ああこいつ、器用なタイプじゃねえんだろうなあと思ったな」

さっきまで話すのを渋っていたくせに、大貫はバカにするように笑って言った。

「……大きなお世話ですよ」

そう言って俺は、大貫に注いでもらったビールを飲む。

「まあ聞けよ。俺は自分の部屋からそれを見てた。あんたは相変わらずすいませんすいませんって頭を下げてたんだが、何か感じ入ることがあったんだろう、最後にボソッて、こう言ったんだよ」

大貫は手を耳に当て、その時の俺を真似るように言った。

「でも、仕事って、そんな数字合わせみたいなものなんですか。もっと人間的なものなんじゃないですか」

「……」

俺は驚いて大貫を見た。そんなことをクライアントに、あるいは上司に言ったのだろうか。記憶はないが、だが、だからと言って心当たりがないわけでもなかった。

広告の値段はいくらで、掲載期間はどれくらいで、それで何人応募が来て、何人が面接をすっぽかし、何人が採用になったのか。俺たちの仕事は「人」が相手なのに、いつの間にかすべてが数字に置き換わる。そのことに俺はずっと違和感を覚えていた。その想いが、思わず出てしまったのだろう。

黙り込む俺を大貫は上目遣いで見ると、柔らかい表情でふっと笑うと、言った。

「不器用だが、まあ、こういう野郎の方が信用できるとは思ったな」

褒められているのかけなされているのか。だがどこか自分の心が軽くなったような感覚がある。よくわからないが、悪い気分ではなかった。

ビールを再度あおり、自分で瓶を手にしてすぐに次を注いだ。大貫の次の言葉を追い抜くつもりで口早に言う。

「まあ、とにかく、やらせてもらいますけど、それにはいろいろ教えてもらわないと。採用っていうのは既製品じゃありません。常にオーダーメイドなんですから」

俺がペラペラ話す言葉を横顔で受け止めながら、大貫は店員に新しいビールを頼んだ。この老人に肝臓を気遣うつもりはないらしい。

「そもそも大貫さんのお仕事って何なんですか?まずそこを聞いとかないと」

俺が言うと、大貫はこちらを見て不満げに顎を突き出した。

「こないだ言ったじゃねえか」

こないだ? ああ、確かに病院で何か言っていた気がするが、明らかに冗談だったではないか。

「いや、あれはだって……」

「ギロチンだよ」

「え?」

そう言って大貫はドン、と胸を叩くと、言った。

「俺はギロチンの設計士だ」

つづく

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