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第3話『息子にラブレターを』 【5】/これからの採用が学べる小説『HR』

この小説について
広告業界のHR畑(求人事業)で勤務する若き営業マン村本。自分を「やり手」と信じて疑わない彼の葛藤と成長を描く連載小説です。突然言い渡される異動辞令、その行き先「HR特別室」で彼を迎えたのは、個性的過ぎるメンバーたちだった。彼はここで一体何に気付き、何を学ぶのか……。
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第3話【5】

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室長が聞くと、社長は大げさに手を振った。半袖のパジャマから伸びる日に焼けた腕、その肘の内側に、止血用の絆創膏が貼られてある。血液検査をしたのか、あるいは、点滴でもしたのか。病状がわからないだけに想像が膨らむ。

「私が中澤で、社名が中澤工業だから、そう思いますわね。……でもね、これは偶然なんです。たまたま、中澤さんって人がやってた会社に入ってね。まあ、同じ集落の出の人だから、まったくの他人ってこともないんだが。ほら、あるでしょう、同じ苗字ばかり集まったようなとこが。うちは中澤ばかりの集落で」

「はああ、なるほどなるほど」

「もう20年くらい前になるかな、その中澤さんが引退するってんで、私が会社を受け継いでね。同じ中澤だから都合がいいわ、なんて笑ってましたけど。もう八十代後半なんだが、元気なもんです。揚げ物なんかが好きでね。ありゃ、胃が強えんだなあ」

「ははあ、先代とは今でもお会いになる」

「そりゃ、親父だからなあ」

「え? でも、本当のご家族ではないって」

「ああ、そうか。ややこしいんだが、うちの家内がね、先代の娘なんですわ。もともと中澤工業で事務をやっとりましてね。それで一緒になったんで、私も先代の身内になったんだな。まあそれは社長を継いだあとのことなんだがね。結婚式もあげたですよ。中澤家と中澤家の結婚式で、親族みんな中澤です。もう司会者も訳が分からねえって顔しててさ」

楽しそうに笑う社長に、「ははあ……これはなかなか複雑だ」と、室長が困った顔をして頭を掻く。

「そうでしょうなあ。自分でもどこまでが家の筋で、どこからが家内の筋かと、わからんくなるものね。……まあ、とにかく、自分で興した会社ではないんだけども、先代には随分世話になったし、家内のこともあるでしょうが。だから人一倍頑張ってはきました。大事な会社を潰しちゃならねえってさ。おかげで体はこんな状態になっちまったわけだけども」

「お体、もう昔からですか」

「そうだなあ。まあ、年々弱くなりますわ。頭で大丈夫と思っても、体がダメだと言う。そろそろやめときなさい、もう若くないんだよって」

「ははあ、なるほど。そういうものですか」

「社員たち……まあ、こいつらも長いんで、もう家族みたいなもんなんだが、最近は社長に向かって怒りよりますわ。無理するな、死んだらどうするんだって。叩き上げなもんで現場が好きでね、私。本当はもっと機械に触っていたいんだが、そうやって周りがうるさいもんで、なかなか。どいつもこいつも大袈裟でいかん」

社長は困ったような笑顔を浮かべる。元気そうだが、周囲がそんなに心配するのだとしたら、かなり悪いのかもしれない。実際こうして入院しているのだ。当たり前のことだが、健康な人は入院したりしない。

だが、それならなぜ、俺たちを呼んだりするのか。採用なんて、具合がよくなってから、少なくとも退院してから考えればいいではないか。社員の誰かに任せることだってできるだろうに。

室長も同じようなことを感じたのか、話の方向を変えた。

「ということは、社長がこうして現場から離れることになって、それで新しい人が必要になったと」

室長の言葉に、なるほどそうかと思う。十人に満たない小規模な工場だ。高齢な社長と言えど、普段から現場に出ている人間が1人抜ければ大きな痛手になるのかもしれない。

「ああ、違う違う。そういうんじゃねえんだけど」

社長は手を振って否定し、それから「どう言やいいんだろな……」と天井を見上げる。

「私が現場を離れることは……まあ、そんなに影響はないです。製造といっても、今はほとんど機械がやってくれますでね。それに、知識的にも技術的にも、もう、私より社員たちのほうが上なんだ。私が居なくたって奴らがいれば現場は回る。何の心配もありません」

話がよくわからない。それならばなぜ、新しい人間を入れなければならないのか。

「ふむ……では、どうして」

室長も同じことを思ったのだろう、そう聞いた。すると社長の笑顔が、微かに歪んだ。そのままゆっくりと視線を落とし、数秒黙った後、ポツリと言った。

「実は、辞めさせたい奴がいるんですわ」

第3話【6】 につづく


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