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【小説】 愛のギロチン 18

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数日後、俺は大貫の職場だという「多賀岡工業」にやってきた。予想通りと言うべきか、多賀岡工業は郊外にある小さな会社だった。

工場というよりどこか長屋を思わせる日本風の社屋で、建てられたのは相当昔のようだ。だが、古びた感じはあまりしない。

いつもの傍若無人はどこへやら、なぜか照れたような表情で俺を迎えた大貫は、その小さな町工場風の会社を案内してくれた。

それほど広くない構内に、いくつかの機械が設置されている。どれも年季の入った前時代的な雰囲気のもので、コンクリートの床も経年による劣化が見える。だが、粗雑な感じはないのだ。そして俺は、なぜここに古びた印象を抱かなかったのか少しわかった気がした。

なんというか、いちいち丁寧な感じがするのだ。柱も、壁も、あるいは梁に設置された時計も、掲示されたカレンダーも、そして無骨な工業機械までもが、どこか丸みを帯びた雰囲気を放っている。床にゴミは一つも落ちていなく、清掃が行き届いている。

来て間もないのに、「気持ちのいい空間だな」と思う。

大貫と歩いていると、小柄で大人しそうな男性が近づいてきて、「どうも」と頭を下げた。差し出した名刺には、多賀岡昭一の名と、代表取締役社長の文字。

名刺から視線を上げた俺に多賀岡は、創業社長である父親が数年前に急逝し、自分が跡を継いだのだと説明してくれた。穏やかで優しげな口調。三十代後半の俺と同年代だろう。しかしその佇まいには、社長という立場がそうさせるのか、不思議な安心感がある。

社長の前で大貫はどんな態度をとるんだろう、と少し興味がわいた。年齢は上だとはいえ大貫だってサラリーマンだろう。多少は遠慮した素振りを見せるかと思いきや……

大貫はいきなり多賀岡の背中をバンっと叩いたのだ。

「なぁにが社長だよ、このガキ。偉そうに」

ガハハと笑う大貫から多賀岡に視線を移したが、なぜか多賀岡は驚いた様子も見せずニコニコしている。

再び大貫に視線を戻した。一体どういうことなのだろうか。説明を求める気配に気付いたのか、大貫は言った。

「先代の多賀岡八十吉(やそきち)てのとは、ガキの頃からのつきあいでよ」

先代というのはつまり、数年前に急逝したという先代社長のことだろう。なるほど、そういうことなのか。

「このガキはよ、生まれたその日に俺の顔に小便ひっかけやがったんだぜ。こりゃ大物になるって言われたが、結局は親父と同じ、寂れた町工場の社長止まりだ。情けなくて涙がちょちょ切れらあ」

すっかりいつもの感じに戻った大貫が一気に言い、ガハハと大声で笑う。……まったく、この人が一人いるだけで、この素敵な雰囲気が台無しだ。

呆れながら多賀岡に聞く。

「大貫さんは、いつもこんな感じですか?」

多賀岡は、ええ、と笑顔でうなずく。

「まあ口が悪いんで、困ってますよ。お客さんがお見えの際は倉庫に閉じ込めておくんです。うるさいから」

その言い方に、思わず吹き出してしまう。

「何だとコラ昭一、言わせておきゃあこのガキが」

吠える大貫に顔色ひとつ変えない。こう見えて意外と肝が座っているのかもしれないと思ったが、それくらい多賀岡家と大貫は古い関係だということなのだろう。

多賀岡はそして付け加えた。

「まあでも、この人の文句が聞こえないと、なんかどうも調子が出ないんですよねえ。僕なんてほら、生まれたときからずっと聞いてるわけだから」

「……」

思わず黙る大貫に、多賀岡はまた笑いかける。むしろ大貫の方が居心地悪そうにそっぽを向く。

ふと気付くと、このやりとりを周囲の社員たちが見ていた。皆、多賀岡同様にニコニコしている。

「チッ、見せもんじゃねえってんだ、馬鹿野郎が」

そう言って大股でどこかに行ってしまう大貫を、皆が赤子のあんよを見るような表情で見送った。

明らかに大貫はこの職場で好かれているようだった。

つづく

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