赤旗記者になろうとしたきっかけ&組織の現実と私の過ち
皆様この記事を読んでくださり誠にありがとうございます。
X(Twitter)にて「哀しき春」と名乗っている、日本共産党の機関紙の赤旗で記者をしていた者です。
大学を卒業した2014年から入局したのでかれこれ10年間は働いていましたが、今は訳あって記者の仕事を辞め、民間の企業に勤めています(そのことはYouTubeで上げた動画をご覧ください)。
さてここではなぜ私が赤旗記者になろうとしたか、そして実際の組織はどうだったのか、私が起こした過ちも含めて書かせていただきます。
―私が赤旗記者になろうとした理由
その理由は2010年代における社会問題がきっかけでした。
それは「ブラック企業問題」です。当時、飲食店や小売店では数々の労働基準法違反が発覚し、大きな社会問題となっておりました。特に某居酒屋チェーンのブラックぶりは多くの人が覚えているのではないでしょうか?
当時大学生であり、なおかつ就活中であった私も大きな衝撃、そして「この労働環境をどうにかしないといけない」という義憤にかられました。しかし、一体どうすれば社会がよくなるのか私は思い悩みました。そこに現れたのが日本共産党です。
「ブラック企業撲滅」。この呼びかけは私の主張とピッタリでした、しかもこのスローガンが多くの有権者の心に響き、2013年衆院選で共産党の議席は倍増、また14年の総選挙でも躍進を果たし、一躍「労働者の味方」という地位を確約、「ブラック企業規制法案」の提案も行われたのでした。
「これだ!」私はここの組織に入り、日本の労働環境を良くしていきたいと強く思い、2013年に入党。2014年には赤旗記者募集の試験と面接に合格し、晴れての記者生活を歩みだしたのです。ところが・・・
―党の政策とは異なった労働環境
実際の赤旗記者生活はとても厳しく暗いものでした。
手取りはその当時の新卒給料よりはるかに低く、奨学金を返している身であるのもあってか日々食費や娯楽費を切り詰める生活を送り、さらには休日も週に1日しかありませんでした。たまの休日も選挙があれば朝から候補事務所でボランティア要員として働きますので、私生活なんでものはほぼありませんでした(詳しくはまた書こうと思います)。
さらにその当時の募集要項では「党歴1年」が条件であったため、私もしっかりと共産党についての学習を深められないまま働いたので、先輩党員からの軽蔑の目が激しかった。「こんなことも知らないのか」「君はまだ学習が足りない、出直してこい」など「言葉の暴力」は日常茶飯事。さらには恫喝や無視などのパワハラまがいのこともしばしば見かけました。
「パワハラ・セクハラの撲滅」を今では訴えていますが、組織内では依然とパワハラまがいのことを行っているのは、私が辞める前にも見ていた光景でしたし事実です。
こうした環境で私の精神も徐々に疲弊していきました。
確かに覚えていることは入局2年目の冬のこと、22時に仕事を終えて帰宅したときに横になりながら薄給の給与明細を見ながらボーっとしておりましたら、急に鼻からぽたぽたと血が出てきました。
「私はもうだめかもしれない」。
そう思い転職を一度考えたものの、「民間では共産党勤務員は雇ってくれない」と先輩党員から言われ、諦めて働くことにしたのでした。
しかしこれはまったくのでたらめで、実際は転職は可能で、しかも民間企業のほうがはるかに条件が良く、休みも多く、人々も理性的な態度です。これは今、私がかみしめている「世間と党の隔離」ですね。
それを知らなかった私は先輩の言葉を信じ、10年間の歳月を送ることとなったのでした。その間に結婚、第一子も授かったのです。
―私の起こした過ち
あれは2023年の12月でした、看護師をしております妻が、育児と仕事からくる過労とストレスでぎっくり腰と帯状疱疹を患いました。そしてその帯状疱疹から子どもが水ぼうそうになってしまいました。
私が二人の介護をしなくてはいけなくなりましたが、その当時の部署は人が少なく、急な有給休暇を取ろうものなら白い目でみられてしまうようなところでした。
私は悩みました。悩んだ末に「忌引き」という嘘をつき、3日間の休みを取る愚行を犯してしまったのです。3日間、つきっきりで看病した後に出社したあと、上司に言われたのが「あの忌引きについて聞きたいことがある」でした。
個室に呼ばれた後、上司三人から詰め寄られ私はすべてを打ち明けました。「お前は人を殺したんだぞ」「呆れた」と言われ、「君はここで働く信用を失った、しばらく自宅で待機していてくれ」と帰されました。
それから一週間ぐらいは出社したものの家に帰されることを繰り返し、党組織の処分が決まるまでの1週間は自宅待機をしておりました。
私がしでかした事態ではありますが、嘘をつくのは許されません。
―私が伝えたいこと
以下のことと支部会議での部員全員の追及で、私の精神が完全に折れて転職を決意しました。もちろんやすやすと転職できるものではありませんでしたが、理解ある会社で無事「社会人」としての一歩を踏み出せたわけです。
ただ党専従の職を離れた今、私はさまざまな思いがありました。
赤旗という日本の闇を暴き、ジャーナリズムを先導していく重要なメディアであるのは明白です。この新聞がなければ裏金問題などは日の目を見なかったでしょう。
しかし赤旗記者は労働条件が悪く、それがはっきりしないまま入局する人も多いのです。
詳しい労働条件の記載が無く、入局してから驚く人は私以外にもおりましたし(1ヶ月で辞めてしまう人もいました)、若手記者やベテランが体調を崩してしまう事も少なくなかったのです。
私は赤旗記者を志し、入局しようとする情熱溢れた人の為に「こういう待遇だけどそれでも志しますか?」と情報提供していきたいと考えております。そうした上でよく考え、赤旗記者になってほしい。ただそう思うのです。
入って後悔し、日々を悔いるような思いを私で止めたいからです。
今後ともご一読くだされば幸いです。