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「嫌なことに立ち向かえ」という言説について

ロッシーです。

人生、良いこともあれば嫌なこともあります。

なるべくなら、良いことばかりであれば良いなぁと思いますが、嫌なことは避けられません。

最近読んだ本に、次のような趣旨が書いてありました。

「嫌なことがあるのが人生。嫌なことが起きないで欲しいというのは、あなたのわがままに過ぎない。嫌なことから逃げてはならない。立ち向かわなければならない。」

というものです。

それでも嫌なものは嫌だ

確かにそうかもしれません。

自分勝手に、物事を良いこと、嫌なことに区別するのは、わがままなのかもしれません。

でも、私自身、いくらわがままだといわれても、嫌なことは起きないでほしいし、なるべく嫌なことは避けたいです。

どうしても逃げられない嫌なことは、どのみち立ち向かうしかないのですから、仕方ありません。

しかし、ある程度こちらの裁量で回避したり逃げたりできるものであれば、わざわざ立ち向かう必要はないと思っています。

嫌なことに耐えられる自分

「嫌なことに立ち向かう」というと、聞こえはいいですよね。

ただ、嫌なことに立ち向かうのって、かなりのエネルギーを使うわけです。

そこまでして得られるものは、

「嫌なことに耐えられる自分」

なわけです。

それって確かにすごいことかもしれませんが、嬉しいでしょうか?

本当に幸せを感じるでしょうか?

「嫌なこと克服リスト」を沢山作っていくのが人生なのでしょうか?

スマホのバッテリーと同じ

嫌な人間関係、嫌な仕事、そういうものに立ち向かうのは私はちょっと無理です。(もちろん、ある程度の努力はしますけど)

そういうのに立ち向かって、克服している自分自身に幸福を感じる人はそれでいいと思います。

そういう人は、もともと持っているエネルギー量が違うんだと思います。

スマホでいえば、容量の大きいバッテリーを持っているようなものですから、エネルギーも有り余っているわけです。

逆に、私のようなタイプは、そんなに容量がないのでちょくちょく充電しないといけませんし、なるべく無駄なことにエネルギーを使いたくないのです。

「嫌なアプリ」を使ってバッテリーを消耗するよりは、別のアプリを探すほうがいいです。

自分自身を知る

大容量のバッテリータイプの人からのアドヴァイスは、同じタイプの人には有益だと思います。

でも、違うタイプの人には通用しません。

時には、そのアドヴァイスを真に受けると弊害があります。

だから、自分の性格、気質、特徴などを、よく知ること、つまり

「自分自身を知ること」

が大切なのです。

ネットでは、様々な人が様々な意見を配信しています。

でも、それはあくまでもその人の意見にすぎません。

自分に合うかどうかは別問題です。

自分に合っているのであれば、それは栄養になりますが、そうでなければジャンクフードになってしまうでしょう。

色々な考えを知ること自体は良いことだと思います。

でも、自分自身についてよく知らなければ、振り回され、軸足が定まらない状態のままだと思います。

「どの意見が正しいかではなく、その意見があなたに合っているのかどうか。」

それが一番大事だと思います。

Thank you for reading !

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