見出し画像

ハイヒールと魔法の杖

オシャレするなら洋服よりもハイヒール

今から10年ほど前に頻繁に出席していた、異業種交流会。帰ってきてから名刺を見て、その方のお顔が思い出せない。

もしかしたら、私も印象が薄いかもしれない。それなら覚えてもらえるような外見にしよう。

私が見た目で変えたところは、ハイヒールを履くこと。身長165センチの私ですが、8センチ以上のヒールを選びました。170センチを超える女性は珍しく、いるだけで男性よりも目立つこともありました。

しかも、そのヒールは派手だったり、デザインが変わっていたりと、オシャレなものにしました。お洋服がオシャレな人はたくさんいますが、ヒールが珍しい人はあまりいないと思ったからです。

異業種交流会の中で、常連のようにお顔を合わせる方達も、いつしか私のヒールを楽しみにするようになり、お会いするたびにヒールチェックをしていただきました。一緒に写真を撮った後は、私の足元の撮影をされるほど。それくらい、私にとってハイヒールは、代名詞ともいえるアイテムでした。

多発性硬化症の後遺症で杖歩行に

そんな長身で目立つハイヒールの女に、不慮の事故のように、人生を変える出来事が起きます。

難病「多発性硬化症」の発症です。どのような病気がというと、脊髄に腫瘍ができ(悪性ではありません)四肢への神経がうまく伝わらなくなる病気です。つまり、足や腕が動かなかったり、麻痺したりの症状が出ます。

腰から下が、ただの塊になった私は、入院をして治療を受けましたが、脚は完全に返ってきませんでした。現在も、腰から下は麻痺したままです。

難病だけに、原因も不明。治療法もなし。医療機関で受けられるのは、進行を遅らせる薬を使うことだけです。多発性硬化症にも数種類タイプがありますが、私は寛解進行型。発症を繰り返すたびに、後遺症が増えるタイプです。歩行困難といっても、まず杖歩行、そして車椅子、最後にはベッドで寝たきりと、病状が進んでいくそうです。幸いにも、今のところ再発したことはありません。

リハビリで、ある程度の運動機能を取り戻した私は、杖歩行を決断しました。今までと同じように、普通に歩くことはできない。歩くための補助として使うのが理由のひとつ。もう一つは、社会に戻った時に、周りの人に「足の不自由な人」とわかってもらうもらうためです。杖を持つことで、40代の私が優先席を使ったり、優先駐車場を使うことに理解をしてもらうためでした。(それでも、罵声を浴びせられたり、トラブルには遭いましが…)

歩行困難になって、一番悔しかったことは、ハイヒールが履けなくなった事でした。生活に困るのはもちろんですが、世の中には車椅子ユーザーさんも、寝たきりの人でも、道具や福祉制度を利用する事で、生きる事ができます。ただ生きることは可能ですが、自分らしい生き方として、ハイヒールを奪われたのは、耐え難いことでした。

そこで私は、目立つハイヒールがダメなのなら、目立つ杖を持つことにしました。病院のロビーでは、杖を使っている人を、たくさん見かけました。杖ウォッチングを始めた私は、それまで知っていたかわいい花柄のアルミ製の杖は、一般的におばあちゃんが持つものだと知りました。

どこかに、もっと個性的な杖はないのか?入院中でもポケットWi-Fiを契約し、病室にオフィスを構築していた私は、ネットを使ってオシャレで個性的な杖を探しまくりました。

そして見つけたのが「素敵屋Alook」さんの、グラスローズという杖でした。

少々値段は張りましたが、新しい人生を歩むことになった自分へのプレゼントに、グラスローズを退院した日に届くように注文しました。

まさにプレゼント。グラスローズは素敵にラッピングされて届きました。
透明な本体の中に、リボンでバラのモチーフを作られて、その周りをパールやガラスでデコレーションされているのです。

その後の相棒となる、グラスローズ

退院してから、日常生活はヘルパーさんやデイサービスのお世話になったりしていました。階段さえなければ行けないところはあまりなかったので、それまでお世話になった方に会うために、外食にはよく行きました。

食事を作るのがままならない私にとって、あたたかい外食はありがたく、座ってしまえば食事は自分でできたので、遠慮せずに外出をして、人に会う事をしました。

外出には杖は欠かせないものでした。いつも一緒に出かける、相棒となりました。そこで、ご一緒した方から「オシャレな杖」「こんな綺麗な杖あるのね」と、大人気!この杖を言葉で表せないと、今度は写真を撮らせてという友人が続出しました。

ハイヒールが履けなくても、行きたいところへ連れて行ってくれるグラスローズは、私にとってはまさに魔法の杖でした。

足が不自由でも、オシャレは楽しめる。杖でオシャレが実現した私は、その後知り合いのアクセサリー作家さんに杖をデコってもらったり、自分でもデコシールを貼ったりと、6本もの杖を持ち、着替えるように杖を行き先によって変えて、外出を楽しみました。


杖を手放す決意

発病から10年ほど経ちますが、実は杖を使っていたのは、最初の5年ほどでした。元々リハビリの医師からは、「必要なほど歩行が難しいわけではないが、周りの人にわかってもらうために、持っていたら」と言われていました。

自分を守るために持った杖で、世の中の多くの人は理解してくれたり、助けてくれたりしました。

一方で、優先駐車場に車を停めた私に「お前みたいなバカが停めるところじゃない」と罵声を浴びせられたり(杖を見た瞬間、無言で速攻消えたので、守られたのでしょう)
電車に乗れば、優先席に座る私に「あなた若いんでしょう」と声をかけてくる年配の女性の多いこと。(あなたより若いです、と返事をして、席は譲りませんでした。実際立って電車に乗れませんから)
時には「障害者のくせに、そんな格好するな」とかも言われました。明るい色のワンピースを着て杖をついて歩いて、何がいけないのでしょうか。そして「障害者らしさ」とか、私には全くわかりませんでした。

そんな一部の心ない人に心が折れたわけではありませんが、私は杖を手放すことにしました。(実際には、全部まだ手元にあります)

病気が治ったわけではなく、今も腰から下は麻痺したままです。これを書いている今も、感覚がなく、重だるさと締め付け感は変わりありません。

ですが、家の中では杖を使っていませんし、この身体になれたというのでしょうか。杖に頼って歩く癖がついたのか、持っている右側に身体が傾いてきたのも気になりました。
そろそろ杖に守られるのは、終わりにしようかな。
私は杖を持って出かけるのをやめることにしました。同時に、優先駐車場を使うことも、電車の優先席を使うことも、私よりもっと必要としている方がいるかもしれないとやめました。

普通に生きる

見た目では、足が不自由だとわからない私。 重いものを持ったり、走ったり(病気なる前から、成人してから走っていない、笑)できない事はありますが、案外普通に生活できています。

外に出れば、病気になる前より、杖を使っている人を多く見かけるようになりました。
実際には前からそのような方はいらしたのでしょう。私の意識が変わったらから、よく目にするのだと思います。

私が見ていてどうなるわけでもないですが、杖をついた高齢の女性が、無事に信号を渡り切れるか、立ち止まって見届けることもしばしば。世の中の杖ユーザーさんが、無事に通過できるか見守るようになりました。

杖は手放しましたが、明らかに見える世界が変わりました。

どんな人も、不自由なく暮らせる社会。世の中には、いろんな人がいる。普通に生きるって、誰にでもできそうですが、困っている人もいる。必要なものは人それぞれ違ったりします。そんな多様性を認め合う社会の実現を、私はこれからも求め続けていきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?