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グローバルすぎる北京の大学院、36カ国の学生が一つ屋根の下

2015年、私は北京の大学院に進学した。専攻は中国学。そこは、とても異次元な世界で、100人程度の一学部に36カ国の学生がひしめき合う。みんな一つの同じ寮に住むことが決められている。国の比率は、中国とアメリカが最も多い。その他、アジア、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、アフリカ。とにかく世界の主要国からは必ず1名。中東からはトルコやイスラエル。リトアニアやアルメニアなど珍しい国からも来ていた。日本人は私を含め2人だった。

大げさに言えば、この学部は全世界を縮小したような構成だ。この人たちが同じ寮で共同生活を送る。一体、どんなことが起きるのだろう。行先は誰もわからない。なぜなら、私たちが当時設立されたばかりの新学部、ピカピカの第1期生だったからである。

発言権強いアメリカ

北京の大学院だったが、主要言語は英語だ。授業や課題も全て英語で行われる。そうなれば、当然のごとく強いのはアメリカだ。彼らは言葉が強いだけではなく、物事を論理立ててはっきり提示するのがマナーと思う文化があるよう。授業内容や試験方法、とにかくあらゆる学校の運営方法に異議の申し立てが相次いだ。

アジアの学校システムは、実に保守的で、大学になっても教授が言うことは「絶対」であるということが多々ある。中国に至ってはそれがより顕著で、その教授や学校に対して自分の意見やこうあるべきと言うことを申し立てる文化は、あまりない。

アメリカ人の中には、ハーバードのロースクールを卒業したというアメリカ人女子がいた。彼女はそんなシステムにかなり納得がいかなかったようで、アメリカ人学生の先頭に立ち、そうしたアジア的な学校システムのあり方に抗議したのである。日本人の私は、学生の意見なんか受け入れられるはずがない、と冷ややかな視線でその成り行きを見届けていた。しかし、彼女たちの行動で絶対に変わることのなと思っていた学校が少しずつ動き始めた。

朝早すぎる

まあ、驚いたのは始業時間が変わったことだ。もともと、全員が必修の中国語は朝8時スタートだった。中国の学校は朝が早い。朝が早すぎるというアメリカ人学生からの異議申し立てで、始業が10時頃に変更した。

結果、朝が苦手な私からすると、正直有難かった。でもそんなことより、声をあげれば始業時間が変更する、そんなことが可能だったのか・・・と、いうことに驚いた。夜遅くまで遊んでも、朝は必死で起きるのが学生の務めだとばかり思っていたのだが。

この他、成績の付け方にも異議申し立てが出た。アメリカの学校では授業に参加しなくても、試験の点数が取れていれば、それで良いらしい。一方、中国をはじめとしたアジア的な学校は、授業への出席有無が成績に影響する。なぜ、つまらない教授の話を聞くために自分の貴重な時間を割かなくてはいけないのか。教科書に書いてあることをしゃべるだけなら、それを読めばいいではないか。もしくは、もっと授業のクオリティを上げてくれと、意見が出た。

確かに、その通りだ!私は、大学でつまらない教授の念仏に耐えるのが、学生の務めだとばかり思っていた。ただ、ずっと同じような方法で授業をし続けてきた中国の教授たちは、一体どうすれば良いのか困惑している様子。

この一件については、出席が絶対的に必要という条件から、一部成績に影響が出る、くらいにぼやかされたされた記憶がある。どちらにせよ、私としては当たり前だと思っていた学校のシステムが少しずつ変わっていく、その姿に驚きが隠せなかった。

なんかしっくりこない

学校の形が変わっていくのを横目で見なら、私は次第に疑問を抱えるようになっていた。確かに、変わったことで助かることはあるのだけれど、いろんなことが全てアメリカ化されていくように感じるようになったからだ。

ここは中国だ。みんな中国を学びに来ている。この国の文化や歴史、それが複雑に絡み合って形成される今の中国を知りたくて、現地にいる。中国をアメリカ化しに来ているわけではないはずだった。

一方、アメリカ人の理論的な思考や、人に伝えるための鮮やかなプレゼン力には正直、頭が上がらなかった。まさしく、ぐうの音も出ないという素晴らしさ。そうなれば良いに違いない、という正論が次々に出てくる。ただ、ここは中国で、多数決で正論だけが勝利するような社会ではなかった。

アメリカ人の言うことはとても理にかなっていて、もっともだ。しかし、そのやり方がしっくりこない。欧米人はやはり議論が大好きで、学校への抗議の件も、恐らくみんな楽しんで参加していたに違いない。ただ、日本育ちの私は、そもそも議論するという土壌に慣れていない。意見をしっかりプレゼンすることができない自分が歯がゆいし、議論の場も楽しむことができずにいた。

まるで世界地図

そして、やはり想いを同じにする学生もいた。自然と仲良くなったのは、韓国、中国、インド、メキシコ、イスラエル、トルコ、南アフリカ、リトアニアなどの学生たち。特に仲が良かったのは、韓国、インド、メキシコ、トルコだったか。国の風土が似ているのだろうか、一緒にいて心地が良かった。

また、その逆も然りで、アメリカ、ヨーロッパの欧米系の学生達は、それはそれでとても仲良くしていた。全生徒が参加する授業でのこと、右側に白人系学生、左側にそれ以外の学生と、綺麗さっぱり分かれていたのを思い出す。誰かがそう座れと言っているのではないのだが、自然とそうなっていた。まるで、大きな教室に世界地図を描き、それぞれが自分の国の場所に座っているようだ、ふとそう思った。


(ヘッダーは、イラストが素敵なMOSIさんの作品です)




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