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引用とコラージュで織り成す現代のポエム〜『オバマ・グーグル』

◆山田亮太著『オバマ・グーグル』
出版社:思潮社
発売時期:2016年6月

ゴダール映画のセリフは引用の多いことで知られます。インターネット上の画像を集めて一冊の写真集をつくった「写真家」も存在します。……引用。コラージュ。これらは現代の文化シーンにあっては欠かすことのできない方法、いやずっと昔から方法的に探求されてきたものです。作品を生み出す単なる技法という以上に、一つの思想や考えと一体化した何ものかというべきかもしれません。本書もまたそのような系譜に連なる詩集といえるでしょうか。

表題作の〈オバマ・グーグル〉。Googleで「オバマ」を検索した結果表示された上位100件のウェブページの記事を引用してつなぎ合わせた作品です。そこではオバマのプロフィールやら演説の一節やら彼に関する批評文やらが雑多にひしめいています。

・・・なお、宣誓に用いた聖書は事前にエイブラハム・リンカーン第一六代大統領が一八六一年の一期目の就任式で使用した聖書を用いると発表した通りオバマ大統領夫人(ミシェル・オバマ)が紫色の包みにて持参。・・・約一四分間のスピーチは全部で四ヶ所に分かれています。・・・わたしがこの政治家を知ったのは春頃に偶然聞いたラジオインタビューによってだったが、最初に感じた印象は「クリントンの再来だ」というものだった。・・・(p50〜51)

〈現代詩ウィキペディアパレード〉も同じような手法で、タイトルどおりウィキペディアの記事からの引用のみで構成しています。参照項目は「現代詩」をメインに「田村隆一」「谷川俊太郎」「長嶋茂雄」など多岐にわたります。

〈日本文化0/10〉は「ユリイカ」の目次を利用して書かれ、〈みんなの宮下公園〉は2010年4月22日時点に宮下公園内に存在した文字が集められたものです。

こうして見出され紡ぎだされた膨大な文字の列をみていると「バーチャル/リアル」を問わず、私たちの住む空間は「文字」にあふれていることにあらためて驚かされます。いや、それじたいが一つの世界を成しています。

むろんこれに似たような試みは過去にもなされてきました。谷川俊太郎に同じような趣向の作品がありましたし、あるいは「電話帳はこの世で最も分厚い詩集である」といった寺山修司の言葉を想起するのも一興かもしれません。冒頭にも記したように、本書に方法としての斬新さはほとんどないでしょう。それでもなお、この詩集には新鮮な何かがうごめいているように私には思われます。「何か」が何なのかはうまく言えないのですが、ことばが虫のようにごにょごにょと生きて動いているような感じ、そのありさまがかそけき生の息吹を感じさせるというのは陳腐にすぎるでしょうか。

ただし余談ながら、長編の表題作だけ何故か一昔前の文庫本みたいに文字ポイントが小さいため、視力に衰えのきている私は読み通すのに一苦労したことを付記しておきます。ちと残念。

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