平成日本の音楽の教科書_Fotor

音楽は好きでも授業が退屈なのは何故?〜『平成日本の音楽の教科書』

◆大谷能生著『平成日本の音楽の教科書』
出版社:新曜社
発売時期:2019年5月

国語や歴史の教科書または入試問題をネタにした本は何冊も出ていますが、音楽の教科書について書いた本は珍しいかもしれません。

小学校・中学校・高等学校で使用されている音楽の教科書を読む。批評だけにとどまらず、改善すべき授業の具体的提案までを行なう。それが本書の趣旨です。
著者の大谷能生はサックス奏者で、批評・執筆のほか東京大学や専門学校で講義も行なっているミュージシャン。

まず第一に、平成日本の音楽の教科書は意外と内容が盛り沢山であるらしいことに驚きました。特に高校の教科書は手にとって読んでみたくなったほど。

……リコーダー、ギター、和楽器その他の独奏・合奏曲があるかと思うと、発声のエクササイズがかなり詳しく載っていたり、「音楽の魅力を言葉で伝える」という批評文の書き方のページがあったり、写真付きでギターのコードの押さえ方も掲載されていて、楽典も、ギリシア時代からの西洋音楽史はもちろん、「現代の音楽」では、ジョン・ケージ、黛敏郎、西村朗、カプースチン、タン・ドゥン、細川俊夫……と、知らなくても普通な作曲家までばんばん取り上げられていました。(p58)

「高校を卒業するまでに生徒がこれだけのことを覚えてできるようになっていれば、音楽なんて屁の河童、以後の人生でどんなサウンドが来ても平気になるはず」と大谷がいうのも頷けます。

教科書をベースに著者自身の音楽(教育)観をも披瀝していく本書の構成と内容は、賛否は別にして音楽論の書物としてはなかなかおもしろい。
とりわけクリストファー・スモールの「ミュージッキング」を引用して、音楽「する」ことの重要性を強調するスタンスは方向性としては大いに共感します。

それに関連して、音楽が持つ「商品価値」について義務教育では教えないという方針には大谷は批判的です。商品としての音楽は 「まだ見ぬ『社会』を覗くための窓」であり、そのような音楽に触れることで社会的な経験を擬似的にせよ得ることができると主張するのです。

もっとも、芸術作品としての音楽と商品としての音楽というありふれた二分法が大谷の認識しているような形で明確に成立するのかどうか私は疑問に思っているのですが。
いずれにせよ、ここで提案されていることを実践することの是非については議論の余地があるでしょう。

私自身は学校教育にさらなる過大な要求をすることには違和感をおぼえることが多い。本書でも前半で、教科書に書かれていることすべてを教えることは物理的に困難であることを認めていながら、後段ではあれもこれもと要求を出しているのにはいささか首をひねりました。そもそも教育の実践を既存の学校のみに押し付けるような世の風潮そのものを再考する必要があるのではないでしょうか。文科省が打ち出している生涯教育は音楽に関しても充分に当てはまるはずです。

ところで、2006年の教育基本法の改訂において「伝統と文化を尊重する態度」を養うための教育が義務付けられました。そのため日本の伝統音楽を学ばせることが重視されるようになり、教科書でもその点が明確に意識されているという趣旨の指摘は興味深く読みました。教育基本法の改定は音楽教育の現場にも多大な影響を及ぼしていることを再認識させられた次第です。

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