マガジンのカバー画像

本読みの記録(2016)

80
ブックレビューなど書物に関するテキストを収録。ブログ「ブックラバー宣言」に発表したものをベースにしていますが、すべての文章について加筆修正をおこなっています。対象は2016年刊行… もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

哲人の人生に学ぶ〜『はじめての哲学』

◆石井郁男著『はじめての哲学』 出版社:あすなろ書房 発売時期:2016年2月 本書で取り上げる哲学者は14人。「万物の根源は水だ」と考えたタレスに始まり、ソクラテス、プラトンはもちろんのこと、ベーコン、デカルト、カントを経て、ヘーゲル、ニーチェ、進化論を唱えたダーウィンが入っているのがミソで、マルクス、デューイときて、サルトルで〆ています。それぞれの伝記的事実に着目して、その哲学のエッセンスを解説するというシンプルな構成。 著者の石井郁男は、小学校・中学校・高等学校で4

市民の政治的実力で対抗する〜『安倍晋三が〈日本〉を壊す』

◆山口二郎編『安倍晋三が〈日本〉を壊す この国のかたちとは─山口二郎対談集』 出版社:青灯社 発売時期:2016年5月 安倍政権を批判的に検討する対論集はすでにいくつか刊行されていますが、本書は政治学者の山口二郎が「抵抗と対抗提案を打ち出す」べく行なった対談の記録です。相手は、内田樹、柳澤協二、水野和夫、山岡淳一郎、鈴木哲夫、外岡秀俊、佐藤優。 結論的にいえば、どこかで聴いたようなやりとりが多く、新味には欠ける内容というのが正直な感想。その中であえて言及するなら、内田と佐

「小さいこと」からネチネチと〜『新・目白雑録』

◆金井美恵子著『新・目白雑録』 出版社:平凡社 発売時期:2016年4月 金井美恵子といえば、小説作品にもその趣味嗜好が濃厚に刻まれているシネフィルぶりを想起しますが、時にフローベール的とも評されるエッセイにもその持ち味が存分に発揮されているように思われます。 本書では「その時々の時代の大文字のニュースや出来事の周辺で書かれた様々の小さな言説に対する苛立ち」にアイロニーをまぶして存分に金井節を炸裂させています。その執拗な絡み方とあいまって今時のSNS界隈では嫌われそうな芸

啓蒙装置としての役割は終わった?〜『万博の歴史』

◆平野暁臣著『万博の歴史 大阪万博はなぜ最強たり得たのか』 出版社:小学館 発売時期:2016年11月 2025年、大阪で二度目の万国博覧会が開催されます。EXPO'70の時は私は小学生でしたが、当時と比べて今回は地元での期待感はほとんど感じられません。どころか開催に否定的な声が未だによく聞かれます。万博で人やカネの流れを活性化する手法は前世紀までのもの、その歴史的使命は終わったという認識が大勢ではないでしょうか。 いや、結論を急ぐ前に、万博とはそもそも何なのか、それを歴

爆撃が生み出した芸術の爆発!?〜『暗幕のゲルニカ』

◆原田マハ著『暗幕のゲルニカ』 出版社:新潮社 発売時期:2016年3月 パブロ・ピカソ畢竟の傑作「ゲルニカ」。スペイン内戦中の1937年、ドイツ空軍によって行なわれたゲルニカ空爆に怒りを爆発させたピカソが描いた作品です。実物を鑑賞したことがなくても印刷物やネット上で観たことのある人は多いでしょう。 この20世紀を代表する絵画作品をモチーフに二つの物語がパラレルに語られていきます。一つはピカソと彼を取り巻く人びとの人間模様、ゲルニカの創作過程を描いたもの。もう一つは「ゲル

言語を失う感覚が生み出す言語世界〜『模範郷』

◆リービ英雄著『模範郷』 出版社:集英社 発売時期:2016年3月 〈ぼく〉の故郷は、台中の「模範郷」と人が呼んでいた街区。大日本帝国が統治していた時代に日本人たちが造成した街。作中の〈ぼく〉は作者リービ英雄と同一視してもよい存在でしょう。「模範郷」とそれにまつわる挿話はこれまでも彼の作品でたびたび言及されてきた時空間なのです。 〈ぼく〉は52年ぶりにその地を訪れます。再訪するのに半世紀以上の時間を要したことは偶然ではありません。行くことを躊躇わせる、あるいは行くことに意

大自然の理法に感嘆する〜『雪を作る話』

◆中谷宇吉郎著『雪を作る話』 出版社:平凡社 発売時期:2016年2月 科学者の手になる名随筆といえば、まずは誰もが寺田寅彦の名を想起すると思われますが、中谷宇吉郎は寺田の門下生にあたります。本文中にも何度か寺田の名が出てきます。サイエンスの道のみならず、文筆の方面でも弟子は師のあとを継いだといえるでしょうか。 中谷が物理学者としてどの程度の業績があるのか私は詳しいことを知りません。もともと電気火花の研究をしていましたが、北大理学部に着任直後には雪の研究に没入していたらし

言葉用重箱の隅をつついて紡ぎ出す〜『珠玉の短編』

◆山田詠美著『珠玉の短編』 出版社:講談社 発売時期:2016年6月 ひとつの言葉から連想ゲームにようにして小説世界が広がっていく。本書はそのような掌編ばかりを収めたコンセプチュアルな短編集です。 「食べる」「食う」という言葉から想像を膨らませる《サヴァラン夫人》。「骨」にまつわる《骨まで愛して‥みた》。「虫やしない」という古い言葉から「虫」や「養う」ことへと話が飛翔していく《虫やしない》……。 表題作がおもしろい。自分の作品に「珠玉の短編」と編集者に書かれた作家が不快感

人間にしか指せない手はあるか〜『不屈の棋士』

◆大川慎太郎著『不屈の棋士』 出版社:講談社 発売時期:2016年7月 将棋の世界は今世紀に入ってコンピュータの進化で様相が劇的に変化しました。人間を負かす将棋ソフトが台頭してきたからです。2013年に行われた第2回電王戦で現役棋士が初めてソフトに敗北しました。その2年後には、情報処理学会が「トップ棋士との対戦は実現していないが、事実上ソフトは棋士に追い付いた」との声明を出しました。 棋士の存在意義は端的に「将棋が強い」ことです。それでは人間よりもソフトの方が強いとなった

愛を説くことと戦うことの関係〜『キリスト教と戦争』

◆石川明人著『キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ戦う論理』 出版社:中央公論新社 発売時期:2016年1月 キリスト教は愛と平和を説く宗教だと一般には認識されています。旧約聖書にはモーセの十戒のなかに「殺してはならない」との文言がありますし、新約聖書のルカによる福音書では「右の頬を打たれたら左の頬をも向けよ」と記されています。 けれども歴史を振り返ればキリスト教徒たちはそれらのことばに反して多くの戦争を行なってきました。宗教戦争と呼ばれるもののなかにはキリスト教が関

神とともにあることによって自由を得る〜『となりのイスラム』

◆内藤正典著『となりのイスラム 世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代』 出版社:ミシマ社 発売時期:2016年7月 日本では、イスラムに関する情報はキリスト教社会のそれと比べると格段に少ないように思います。もちろんイスラム教徒の人口が少ないことも反映しているのでしょうが、それだけに彼らに対する印象はステレオタイプにおさまる傾向がないとはいえません。 また、最近はイスラムが暴力やテロリズムとの関連で論じられることが多くなり、ややもするとイスラムに対するネガティブなイメージ

国語学者による多彩な“フィールドワーク”〜『日本語大好き』

◆金田一秀穂著『日本語大好き キンダイチ先生、言葉の達人に会いに行く』 出版社:文藝春秋 発売時期:2016年6月 国語学者の金田一秀穂が「言葉の達人たち」13人と対談した記録です。対談相手は、加賀美幸子、桂文枝、谷川俊太郎、外山滋比古、内館牧子、安野光雅、ロバート・キャンベル、きたやまおさむ、三谷幸喜、出口汪、糸井重里、土井善晴、吉本ばなな。 昨今の日本語の乱れを嘆く類の議論がかなり弾んでいるのですが、それらはありふれた議論で私にはいささか退屈でした。そんなわけで例によ

与太郎はバカじゃない!?〜『米朝置土産 一芸一談』

◆桂米團治監修『米朝置土産 一芸一談』 出版社:淡交社 発売時期:2016年3月 桂米朝は若い頃にはテレビ・ラジオによく出演していました。それで名前を知った視聴者が落語会に足を運ぶということも少なくなかったはずです。後に人間国宝となる稀代の落語家はマスコミの力を活かすことにも巧みだったように思います。 さて本書は一道一芸に優れた人を招いて対談する朝日放送のラジオ番組を書籍化したものです。存命中の1991年に『一芸一談』として第一弾が刊行されていて、本書はその第二弾にあたり

健全な個人主義者たれ〜『個人を幸福にしない日本の組織』

◆太田肇著『個人を幸福にしない日本の組織』 出版社:新潮社 発売時期:2016年2月 組織を崇め、組織を畏怖する。日本人の一種の「組織信仰」がしばしば現実を見る目を曇らせる。太田肇は本書の冒頭にそのように記しています。そこで「いま求められているのは、これまで無批判に受け入れてきた組織の論理を疑い、個人の視点から組織の間違いやウソ、偽善を暴く」ことであり、本書では「それに代わる新しい理論と改革の具体策」を提示しています。著者は組織論を専門とする研究者。 日本人はチームワーク