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アンズ飴         その6

 中野サンプラザでボウリングをしたあと、彼女の部屋に向かった。彼女の部屋は三鷹で、駅から徒歩で二十分ほど歩く場所のマンションだった。彼女のマンションから井の頭公園まで歩いて行けるらしい。井の頭公園を今まで避けていたのは、歩いて行ける場所に住んでいることが分かり後を付けられるとか、住んでいる場所を探されてストーカーされるのを予防していたそうだ。
 マンションはオフホワイトの外観の五階建てで、一階に五部屋、全部の部屋が南向き、畳一つ半くらいのバルコニーが物干しとして付いている。全部同じ間取りの1LDK、トイレ・バス付きとか。一人で住むには快適そうだ。ただ買い物は少し不便で、三鷹駅周辺で買い物をして帰るという順路になると彼女はぼやいた。
「どうぞ、入って」
 彼女の部屋はマンションの四階、403号室。部屋に入ると、まだ女性的な飾りがなく――受験生らしい、勉強に集中出来る部屋といえばいいのだろう――無表情な、住人の年齢が若い若くないが見えず、男か女かすれ判断出来なかった。LEDのライトが点いてたが、ライトの色が寒色系だったことも原因かもしれない、僕はテーブルの側の座布団に通されて座ったけれど、何か落ち着かなかった。
「コーヒーにする? お茶(緑茶)にする?」
「お茶を貰おうかな」
 ぼくはソワソワしながらも、あまりジロジロを部屋を細かく見ては失礼だと思って、彼女がお茶を持ってくるのを待った。たぶん見ても、僕の関心を引く物はなかっただろう。本棚はあるものの、予備校のテキストと彼女が高校の時に使ってただろう参考書しか並んでなく、小説の類いもコミック本も並んでいなかった。
「汗かいちゃったね。シャワー浴びてく? …ていうのもヘンよね」
 彼女は自分で言った言葉にクスクスを笑った。
「君こそ、汗かいたからシャワーをすぐにでも浴びて、着替えたいんじゃないの?」
「ボウリング場の化粧室で、汗拭きシートを使って軽く拭いたし、元々汗はあまりかかない体質だか大丈夫だと思う。それとも臭う?」
 彼女は少し、ぼくの方に身体を傾けて汗の臭いがするか聞いてきた。
仮に彼女の汗の臭いがしたとして、その汗の臭いで僕が野獣に変わったらどうするつもりだろう。汗をかかないということは、ベッドの上でも彼女の白い肌はサラサラとした手触りなんだろうか。想像しただけで僕の下の社会性が変化をし始める気配がした。心の中で社会性に静まれと言いつけて、必死に堪えた。
「来週は井の頭公園にピクニックに行こう。動物園にも行こうよ。あなた動物園好きでしょ? 最初に誘ってくれたときに、動物園に興味があるか聞いたものね」
「動物園は誰でも好きでしょ?」
「私も好きよ。本当言うと、ここへ引っ越してから月に一度は公園内の動物園に行って、ヤギやカモシカ、カピバラに癒やされてる。行くと必ずゾウのはな子さんにも挨拶してるのよ」
「じゃあ、お弁当を持って行こう」
「お弁当? わたしの手作りのお弁当が食べたい?」と彼女が聞くので、僕は笑顔で頷いた。
 僕の返事を聞いて、彼女は嬉しそうマグカップに入ったお茶フーフー口元で冷ましながらゆっくりと飲んだ。僕も彼女に習って、マグカップのお茶をゆっくりと飲んだ。ティーバッグで煎れたお茶の味と香りだったが、普段は美味しいと思わないティーバッグのお茶が、彼女の煎れてくれたからかいつもより美味しいと感じた。
「熱かったね。一保堂茶舗のティーバッグを奮発して買ってみたんだだけど、美味しい?」
「美味しい。一保堂か、京都の有名なお茶屋さんでしょ。ティーバッグでも美味しく煎れられるんだね。それとも君の腕がいいのな?」
「誰が煎れも美味しくなるように作られてるのよ」
 彼女は笑ったあと、フーッと一息ついた。
「お茶を飲んで足を伸ばすと、なんだか落ち着いちゃって、眠くなっちゃうね」
 寝る? と言えないし、聞けない。彼女の部屋のはテレビがなく、こんな時こそテレビがあれば良いのにと恨めしく感じた。
「何か甘い物を駅まで買ってくれば良かったね。普段、無意識でも分かっていてもお菓子を一袋とか一箱とか食べちゃうから、買って置いておかないんだ」
「受験のストレスで、ついつい甘い物に手が出ちゃうよね」
 
 彼女は足の伸ばし、しばらく天井を見つめていた。
 僕は彼女の上を向いた鼻も、顎の形もきれいだな思って見ていた。
「ねえ?」
「ん?」
「井の頭公園の他にも行こうね。新宿御苑にも、浜離宮にも」
「行こう。毎週息抜きしながら、二人で受験勉強頑張ろう」
「他にも行こうね。もっと刺激的な、想い出に残るような体験いっぱい二人でしよう」
「…………」
「今は今しかないし。来年は来年のことだから。同じ大学に行けるとは限らないし、別べつの大学に入ってもカレシカノジョでいようね、て約束したとしても先のことは分からないから」
「…………」
 僕は彼女に何て答えればよかったのか分からない。いつも別れ話しの序章のような彼女のつぶやきは、僕の希望を徐々にしぼませる。
 いつも、彼女が提案する思い出作りは、実行する前からセピア色の写真のように僕の頭に残り続けた。
                             (つづく)

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