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「違う」と認めること

 人は誰かを助ける時、『自分だったらこうして欲しい』ことを想像することが多い。それは自分とその人を同一化しているのだが、境遇が違うにも関わらず勝手に押し付ける厚意の行く先は、ありがた迷惑のレッテルでしかない。つまり、自分とその人が違うことを認め、<正しい>想像力を働かせて初めて、真の手助けができるのではないか。繰り返される紛争や対立から違う=排他的なイメージに結びつき易いが、ありがた迷惑の方が、よっぽど厄介で暴力的だろう。

近頃、幾つかの企業が古着を回収し、発展途上国に寄付する活動をしている。これは企業の観点でいうと貢献、手助けだが、その内実、その古着は送った先でゴミの山同然であり、途上国にとっての悩みの種になっているという。

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