船橋無線塔記念碑文は書き改めるか、撤去すべきである。

 私のnoteを読まれている方はご存知だろうが、私は船橋市民であるところから、県立行田公園の入り口に設置してある、旧海軍無線電信所船橋送信所跡地に軍事色が色濃く漂う無線塔記念碑があります。昨年には「関東大震災の千葉県における虐殺を訪ねるフィールドワーク」として追悼・調査実行委)事務局の平形千惠子さん(84)が無線塔記念碑を訪れ、記念碑文の矛盾をお話しされています。

以下が記念碑文です。

 まず、赤線の箇所を読まれてみて下さい。「大正5年にはハワイ中継でアメリカのウイルソン大統領と日本の大正天皇とで電波の交信があった。広く平和的にも…..」という件ですが、ウイルソンは3・1運動に関しては1918 年 1 月に「14ヵ条」で 提唱した民族自決やパリ講和会議に起因する世界規模での民族運動の高揚の先駆けでもあった ため,「(朝鮮) 民族の栄光」や「偉大な運動」1) として韓国において重要な地位が与えられて いました。そして、3・1独立運動は非暴力の運動でした。にも、かかわらず、


 つまり、朝鮮半島を侵略した、日本は「韓国併合」を宣言し、圧制で、3.1運動に武力で圧力をかけ、多くの朝鮮人を殺害しました。何が「平和的に利用」なのですか?
 
そして、「関東大震災の時には救援電波を出して多くの人を助けた…」というのは第2報の電文であって、第1報の電文には次のデマ電文が書かれてあり、最優先されたのです。これにより、船橋でも在郷軍人のもとで青年団や自警団によって多く朝鮮の人々が虐殺されました

 そして、「ニイタカヤマノボレ1208」の電文ですが、市民に親しまれたのですか?…. さらに「栄光の歴史を閉じた」のですか?
 その後の日本国内は米軍により、沖縄上陸から始まり、各地方都市を中心に大空襲を受け、さらに、広島・長崎においては国際法違反とされる原爆投下がありました。その事にについても一切、記念碑では触れていません
 ちなみに船橋市は平和宣言都市を告知していますが、これでは意味不明であり、むしろ、人口わずかな私の郷里でもある、広島県神石高原町の核兵器禁止条約をすすめ、町民参加の「戦争反対・核廃絶運動」の方がよほどましではないでしょうか。

 私は、先だって、千葉県庁と船橋市議のÄ氏に記念碑文について、書き改めるようにメールを送付していますが、返事が届くか無視されるか、わかりません。昨年は千葉県公園緑地課に電話したら「表現の自由と言論の自由」を言われて完全に無視されました。

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