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プールの主 短編小説

1.子どもたちA,B,C

 父親は、休日は何も考えたくはなかったし、家から一歩も出たくなかった。ベットの上で食事をとり、あとはずっとNetflixで海外ドラマを見ていたかった。多くを望まないかわりに、ささやかな幸せを確実に与えて欲しい、と切に願っていた。
 しかし、ある日曜日、父親は朝早くにたたき起こされて、服を着替えさせられていた。母親(妻)が着替えさせた父親を、実に険しい表情で見定め、「まあ、いいか」と聞こえるか聞こえないか絶妙な大きさの声で言った。たしかに、近頃父親は贅肉がつき始めていたが、心のどこかではまだ大丈夫だ、と思っていた。しかし、20代のころに買ったシャツは、二の腕のあたりが窮屈で、締め付けられている感じがした。ジーンズははくのに手間取り、片足立ちをするとバランスを崩して転びそうになった。まだ大丈夫、の基準線は、年中後退を続け、父親は自身を許し続けていた。
 子どもたちA,B,Cは、今日こそはプールに行けるということで、心の底から喜んでいた。とくに、Aは前日一睡もできなかった。目の下に半月型のくまを作っていたが、すでにゴーグルをつけていたので周りにはバレなかった。Aはゴーグルのみならず、すでに水着を着て、上半身も裸だった。それでいて、うきうきしているのを感づかれたくないのか、本を片手に落ち着いた雰囲気を醸し出そうとしていた。もちろん、BとCは、Aがどんなにプールを楽しみにしていたかを知っていたので、Aの偽装は意味をなしていなかった。いや、Aのプライドを保つという面では、意味をなしていたというべきだろう。プライドとは、自分自身の問題なのである。
「おーい、準備出来たか?」
 隣の部屋から父親が、子どもたちに声をかける。Aは部屋の中を飛び回りたい気分だったが、クールに振る舞った。今行くよぅ、と落ち着いた声で応えた。BとCはクスクス笑っていた。
 母親が、鏡の前で無表情で立ち尽くす父親に釘を刺す。
「いい、あの子たちをちゃんと見てあげるのよ?すぐどっかいっちゃうんだから。プールに行くのをどんなに楽しみにしてたか分からないでしょ?今まであなたは疲れてるから、とか今日は寒いから、って言う理由で先延ばしにしてきて、そのたびにあの子たちのプールへの期待は高まってるわ。秋になれば逃げ切れると思ったのでしょうけど、そうはいかないわ。温水プールってものがあるもの。あの子たちは、一度はプールに行かないと満足しない。父親らしいところをみせて」
 父親は牛に似たうめき声で返事をした。
 Aが部屋から出てきた。秋の気候に、小刻みに体を震わせている。BとCがその後ろから、いかにもけだるそうな感じで姿を現した。
「よし、行くか」
 と父親は明るい声を出して言った。子どもたちはほとんど盲目的に、父親の後ろをついて行こうとしたので、母親はAを捕まえて服を着せた。Aは嫌がったが、母親の力には逆らえなかった。母親はしゃがみ込み、Aの顔を正面に見て言った。
「危険なことはしちゃだめよ」
 Aは歯を見せて笑った。そして、とことこと駆けていって、すでに玄関を出ようとしている父親に追いついた。


2.プールへの道程

 休日に電車を乗り継いでどこかへ出かけるということを想像するだけで、父親は陰鬱な気分になった。実際に駅に着き、子どもたちに切符を買ってあげているとき、もはや後戻りはできないことを悟った父親は、自身のささやか幸せに別れを告げた。それに、来週の幸せは、まだ奪われていないのだ。ベットの上の小さな映画館、Netflix。
 Aは相変わらずネイビーの色のゴーグルをつけたままだった。Aの目には、世界が青暗い色に染められて映っている。そのため、Cがいつの間にか膨らませていた黄色のビーチボールは緑色に見えていた。Cは、自分の体ほどの大きさのビーチボールを誇らしげに運んでいたが、前が見えないため通行人と何度もぶつかっていた。幸い、ビーチボールがクッションになってくれていた。Bはといえば、父親が切符を買うのに手間取っている様子を、後ろから冷静に見つめていた。
 電車は思いのほか空いていて、子どもたちは三人並んで座った。父親は、つり革に半ばぶら下がるようにして、子どもたちの前に立った。
「お昼ご飯、何を食べようか?」
 と父親は訊いた。
「カレー!」とAが元気に言う。
「本格的なインドカレー、ナン付」とBは涼しげに言う。
「カレイの煮付け、、、?」Cは控えめに言った。
 カレイか、と父親は思った。

 プールの脱衣所に到着すると、子どもたちは神速で着替え、すぐに出て行ってしまった。父親は貴重品をしまったり、スマホを持っていくか悩んだりしている間に、置いてかれてしまった。
 外は秋風が吹いていたが、意外にもまだ遊んでいる人は多く混雑していて、少し見渡したくらいでは、子どもたちA,B,Cの姿を見つけることはできなかった。プールの水面には赤く色づいた紅葉が浮かんでいた。
 父親は内心焦りながら、水深の浅い子供用プールに向かって歩き出した。

 母親は、父親に何度も、子どもたちがスイミングスクールの大会で好成績を出していることや、子どもたちがどんなに泳ぐのが好きか、という話をベッドの上でタヌキ寝入りをする化け狸にしていたのだが、どうやらほとんど覚えていなかったらしい。母親がわざわざスイミングスクールまで足を運んで撮影した動画も、父親は見たはずだったのだが。

 子どもたちは、流れるプールの中で、クリオネのように浮かんでいた。流れに身を任せて、水面に浮かぶ紅葉を持ち上げたり、天高く馬肥ゆる秋、つまり馬が秋の空を飛び回っている様子を想像したり、ビーチボールの上に乗ってみようとしたりしていた。
 子どもたちは溺れる心配は全くしていなかった。むしろ、地上を歩いているときの方が、足がもつれて、溺れているような気分になることがあった。
 ちょうどそのとき、子どもたちの背後で、妙な水の動きがあった。ビーチボールの上に立っていたCは、そのせいでプールに落っこちてしまった。
 一人の男が、水面から顔を出していた。顔中に紅葉を貼り付けて、子どもたちをじっと見つめている。ゴーグルをしていない、露出した瞳は、水のように透き通っていた。子どもたちは誰一人として聞くつもりはなかったにもかかわらず、その人は勝手に自己紹介した。
「はじめまして、プールの主です」


3.プールの主

 水深の浅い子供用のプールには、大勢の子どもたちが集まっていた。あまりにもたくさんプールに飛び込んだせいで、お風呂よろしく、大量の水が外にあふれ出してしまっていて、実際には泳げるほどの水は残っていなかった。
 父親は、プールサイドを歩き回りながら、自分の子どもたちを探した。体がカラカラに乾燥していくような気がしたので、本当は早くプールの中に入りたかった。ためしに、子どもの名前を呼んでみた。しかし、大声を出したので、他人の子どもたちが一斉に振り返って、結局何の意味もなかった。
 父親はぽりぽりと腕を掻きながら、すでにもう立ち止まって、子どもたちが自分の前を偶然通りすぎるのを待つことにしたらしかった。

 子どもたちは父親の予想に反して、流れるプールにいた。紅葉まみれのプールの主は、まだ水中に体を沈めたままだったので、プールに浮かぶ子どもたちと同じ視線の高さだった。子どもたちは、前髪がべっとりと額にかかり、血走った目をした得体のしれない男を見て、話で聞くところの不審者が、今目の前にいると確信した。しかし、正確には、子どもB,Cは確信していたが、Aはまだ信じ切れていないらしく、いたく純粋な気持ちで、プールの主に質問した。
「なんで、プールの主なの?」
 すると、プールの主は、口の中の黄色く濁った歯を見せた。どうやら、その質問は、プールの主の求めていたところのものだったようだ。
「よく聞いてくれたね、そこの子どもさん。私は、尊き存在なんだよ。つまり、生まれついての主なんだ。いいね、私はどこにいても、主になれる。今私はどこにいる?」
 プールの主は急に子どもたちに質問した。誰も答えなかったので、数秒の沈黙の後、プールの主はまたしゃべり出した。
「私は今プールにいるだろう?だから、プールの主なんだ。でも、プールから出たら、私はもう、プールの主じゃない。私はただの主に戻る」
 そのとき、スピードをつけて流れてきた学生の集団が、大きな波を立てて、プールの主の隣を通り過ぎていった。波はプールの主の頭の上で砕けて、プールの主の顔に降り注いだ。そのせいで、顔についていた紅葉がすべて流れていってしまった。しかし、焦りはなかった。何も言わずに静かに水中に沈み込み頭の先まで浸かると、そのままゆっくり浮かび上がってきた。すると、さっきと同じように、顔中に紅葉が張り付いた。プールの主は得意げな表情で、子どもたちを一瞥した。
「失礼?」
 見上げると、プールサイドには、プール監視員が立っていた。褐色の肌に、岩のような筋肉を体にくっつけていた。プールの主と並べてみれば、その差は歴然だろう。
「おたく、この子らと、どういう関係です?」
 プールの主がわかりやすく狼狽するのをみて、子どもBが意地悪な笑みを浮かべている。子どもCは興味を失っているのか、それともはじめからビーチボールの上に乗っかることにしか興味がないのかわからないが、うつろな目であさっての方向を見ていた。Aが素直に、さっき会ったばかりだということを伝えようとしているあいだ、プールの監視員は高いところから、まるで品定めするかのように、プールの主を見下ろしていた。プールの主は、決して監視員と目を合わせようとしない。そして、次の瞬間、プールの主は音もなく潜水すると、そのまま監視員の視界の外まで泳いでいってしまった。
 監視員は子どもたちに、「気をつけるようにね」と言った。変な人の言うことは、絶対に聞いちゃだめだよ。子どもたちはうなずいて、監視員と別れると、そのままプールの流れに身を任せた。子どもBは、無責任だな、子どもに気をつけさせるんじゃなく、危険のない環境をあんたらが作るんだよ、と思ったが、口には出さなかった。


4.サメの群れ

 プールの主は、子どもたちよりもずっと先の方まで泳いでいってしまっていたが、200mほど泳いだところで疲弊して、そのあとはずっと仰向けで筏のように浮かんで、流されるままになっていた。途中、別のプール監視員と目が合ったが、さっきまでのように紅葉を貼り付けておらず、それに体全体が見えていたので、残念ながら監視員はプールの主のことを見落としてしまった。
 
 にわかに、人々の動きが荒々しいものになったように見えた。さっきまでは、日々の労役から解放された人々の、弾けんばかりのエネルギーが、室内プール全体を覆っていた。人々は幸福なアドレナリンによって、塩素の匂いを、遊園地のポップコーンや、お祭りの綿菓子の香りと同じように、素晴らしい時間の予感として歓迎し、一生懸命に吸い込んでいた。自由を得たことで、体の節々まで生命力であふれ、平日の自分は偽物の自分なんだ、とでも言いたげだった。一度笑うと、ずっと笑い続けた。小銭を排水溝に落としてしまったときはネガティブな気持ちになったが、それ以外の時間は常に幸せだった。濡れた体をタオルで拭くとき、かつてヒノキの香るログハウスで、雨に濡れた自身の幼い体を、白髪のやさしい祖母が、太陽の甘い香りのするタオルでやさしく拭ってくれた、という存在しない偽りの思い出さえ、頭をよぎるのだった。
 だが、人々は急に、そういった幸せな空間から閉め出されてしまったらしかった。プールの主は浮かぶのをやめて、水底に足をつけた。空気のように透き通る目をこらして、なぜ人々の歓声が、みごとな悲鳴へと移り変わってゆくのか、その理由を探ろうとした。
 人々は、どこからか現れたサメの大群に追われていたのである。サメは約2mほどの大きさで、よほど飢えていたのか、近くにいる人間をがつがつ食べている。紅葉がより深い色に染まっていく。サメは流れを無視して逆流してくるので、人々も同じように遡行しようとするのだが、推進力が違う。人々は恐怖に引きつった顔で、なんとかサメから離れようとするが、人工的に作られた流れによって、むしろじりじりとサメの方へ押し戻されていく。もとからサメの発生地点に近い場所にいた人たちは恐れる時間も、死を予感する余裕も、ましてや自らの人生を顧みる時間もなかった。だが、発生地点から離れれば離れるほど、時間的余裕はまし、その表情は恐怖に歪む。なかには悲しみにくれる人の姿もあるが、その悲しみが自らの生の悲惨さに向いているのか、それとも他者のあまりにもあっけない命の終わりに向いているのか、それは定かではないし、追求するのは野暮だろう。
 賢明な人は、プールから上がろうとした。しかし何を思ったか、プールサイドではプール監視員が棒を持って上がろうとする人たちを突き落としていた。おそらく、棒を使って引き上げようとしていたのだろうが、命惜しさにへっぴり腰で、結果的には多くの人たちをサメの狩り場へと送り返すことになっていた。彼らとしても、バイトに命をかける覚悟はなかったのだ。
 
 プールの主も、じりじりとサメの発生地点へと押し込まれていた。人々の血は、まだプールの主の元までしみ出してきてはいなかったが、すぐ目前にじわじわと近づいてくる血の境界線があった。そのとき、プールの主の背中になにかがぶつかった。衝撃に驚きながら振り返ると、子どもたちA,B,Cが、三人とも黄色いビーチボールにつかまったまま、流されてきていたのだった。
 そのまま流されていこうとするボールを、プールの主は必死に引き留めると、渾身の力を込めてボールを蹴り上げた。するとボールは、子どもたちをひっつけたまま、大きな弧を描いてプール監視員の頭上を越えてった。
 プールの主は満足げに微笑んだ。プールの主の体は、すでに血の境界線を越えていた。

5.勤勉さ

 探し回るのに疲れた父親が、一度休憩して、子どもたちの方から自分の元にやってきてくれるのを待つことにしたのは、すでに書いたとおりである。
 父親は自販機でジュースを買い、ちょっとした段差に腰をおろしてそれを飲んだ。誘拐の恐怖が他の一般的な父親のように、彼の元に訪れなかったわけではない。あるいは、子どもたちは悪い大人に捕まって、どこか遠いところへ連れて行かれようとしているかもしれない、と思ったりもしたが、それはあくまで妄想に過ぎず、そのような不条理が自分の身に降りかかるだろうとは、全く思っていなかった。もし、楽観的という言葉が、無知に伴う恒常的な幸福的状態を指して言うなら、彼はまさしく楽観的であっただろう。もし、楽観的という言葉が、悲観的という言葉との関係性でのみ見いだせるとするなら、すなわち、悲観的であることを否定しようとする強い論理的反発が楽観的という言葉の意味であるなら、彼は楽観的ではないだろう。あくまでも彼は、想像力の翼を、自分にとって不都合な方向へ広げるつもりはなかった。
 彼は待つことに疲れると、別のことをして時間を潰すことにきめた。幸いスマホを持ってきていたので、画面を開き、自分の農園を耕すことにした。彼は暇さえあれば、アプリゲーム内の農園を耕し、収穫量を増やすことに専念していた。彼はゲームに関しては勤勉さを発揮することができたので、農園はどんどん拡大していった。自身の土地が日に日に増えていく様子を見ることで、彼は自尊心を取り戻すことができた。傷ついた心を癒やし、自分は生産的な人間なんだ、と上司に対して心の中でやり返す勇気を持つことができた。
 彼がキャベツ畑を歩きながら、モンシロチョウを殺戮して歩いていたとき、にわかに人々の悲鳴が聞こえてきた。おそらく、彼が最も早く、人々の悲鳴に気づいた。その瞬間に、彼の頭には子どもたちの顔が浮かんだ。今にも駆け出して、悲鳴のした方へ子どもたちの姿を探しに行こうとしたのだが、同時に、子供用プールの子どもたちが泣き叫び始めたため、彼はそっちに気をとられてしまった。
 子どもたちの親は慌てて自分の子の元に駆け寄ろうとするのだが、あまりに人が密集しすぎていたために、押し合いになって、なかなか自分の子どもの元にたどり着けなかった。他人の子どもよりも、まずは自分の子どもを抱き上げたいという気持ちから、人々は決して譲り合おうとはしなかった。そのため、外側から押し込まれた子どもたちは、ぎちぎちに詰められて、とうとう最も中心に近い子どもの分子結合が壊れてしまった。それを合図に、プールの子どもたちは次から次へと、ドミノ倒しのように崩れていってしまい、あとには塩のようなものが残っただけだった。
 彼はその様子を呆然と眺めながら、塩の小山に自分の子どもがいるか確かめる気すら起こらなかった。親たちは膝から崩れ落ち、塩の周りで悲しみに暮れている。誰が悪いのか、という話題を持ち出すにはあまりに早いタイミングだったが、皆心の中では、多かれ少なかれ全員悪い、だから責任を追及しても仕方ないじゃないか、と思っていた。結果、誰も悪くない、ということで、無言のうちに共犯関係が結ばれつつあった。
 それからどれくらいの時間が経っただろうか、背後でビニールにつつまれた空気の塊が割れる音がした。その音があまりにも大きかったので、父親は振り返らないわけにはいかなかった。

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