『一冊の本』
駅前にある古本の大型チェーン店。
そこへ通うのが日課のようになってしまった。
私の趣味は読書なのだが、最近では蒐集へと興味が移りつつあった。
もちろん集めた本は全て読むのだが、
蒐集のペースが読むペースより勝ってしまっているのが現状だ。
その蒐集という面で、私はこのチェーン店を大いに活用している。
街の古書店で高値が付いている希少本でも、ここでは百円で売りに出されていることがある。
つまり掘り出し物が多いということだ。
今日も良い本があるかなと店内に入ると、
一番奥の棚に、いつもとは違う雰囲気を感じる。
前まで見に行ってみると、棚の一番下の左端に、
見るからに古そうな背表紙の本が一冊差し込んであった。
手に取ってみると、歴史の教科書に載っていそうな古文書といった風の本で、開けるとバラバラになってしまいそうだ。
これはさぞかし価値のあるものに違いない。
それが百円の棚に置いてあるなんて、さすがだ。
家に帰って本を開いてみると、文字がびっしりと書かれていたのだが、
意味は全くわからなかった。何だか損をした気分になってしまったが、
百円で買ったものだし、たまにはこういうこともあるかと自分を慰めた。
数日後、インターネットで先日買った古本のタイトルを検索してみた。
もしかしたらレアなものなのではと、かすかな希望も虚しく、一件もヒットすることはなかった。
昔の人の落書き帳か何かだったのだろうか。
それからしばらくして、妙な空気を感じることが増えるようになった。
通勤時や帰宅時、休日に外出している時など、
どこからか人に見られているような気配がするのだ。
しかし実際に目が合う人を見たわけでもなく、
気のせいだと思うことにした。
ある日、大学時代の恩師と久し振りに会う機会があり、あの古本を持っていくことにした。
先生は日本史を研究されていて、面白がってくれそうだと思ったからだ。
大学近くの喫茶店で待ち合わせ、私は先生と昔話に花を咲かせた。
そしておもむろに例の本を取り出して見せた。
「ほう。これはもしかすると、暗号になっているのかもしれませんねぇ」
そうか、暗号には考えが至らなかった。確かによく読んでみると、
全体的には意味のわからない文章だが、所々同じ言い回しが使われている部分があり、何か意味を持っているのかとも思える。
「この本、少しお借りしてもよろしいですか?時間をかけて詳しく調べてみたいので」
この不思議な古本は見事に先生の心を掴み、私は喜んで貸すことにした。
それから三週間は経っただろうか。突然先生から電話がかかってきた。ひどく興奮した様子である。
「君ですか!この間借りた本の解読が終わったんです。これはとんでもないものですよ。日本の歴史を根底から覆しかねません。よければ研究室に来てください。会って詳しく話したいのです」
先生の熱意に押され、私はその日の仕事終わりに大学の研究室に立ち寄った。
ドアをノックする。が、返事がない。
先生には行く時間を伝えたので外出しているのはないだろう。
嫌な予感がした。電話口から熱意と共に焦りのようなものも感じていた。
ふと、自分に付きまとっていた、見られている気配のことを思い出した。
まさか・・・・。
ドアは開いていた。中に入ると、机の下で先生が倒れていた。
「先生!」
「ああ、君ですか。奴ら、君があの本を手に入れてから、ずっと監視していたようです」
「奴ら? 奴らって誰です?」
「やはりあの本は相当な代物のようですね。必死に抵抗しましたが、殴られ蹴られ、この通りです」
入ってきた時には気付かなかったが、先生の顔には大きなアザが出来ていた。
「本は奪われてしまったんですか?」
「ええ。しかし奴らが持っていったのは、私が作った偽物です」
「なんですって?」
「元々暗号だらけの本です。奴らもすぐには気が付かないでしょう。君には、これを頼みたいのです」
先生は上着の胸ポケットから、一枚の紙切れを取り出し、私に手渡した。
「この場所に本物を隠しておきました。他にも入れてありますが、君ならすぐに分かってくれるはずです。さあ、急いでください・・・・!」
渡された紙切れにはこの辺りで一番大きな駅への地図が書かれていた。
先生は駅のコインロッカーにあの本を隠したらしい。鍵がテープで貼り付けてあった。
ロッカーに到着し、鍵を開ける。中にはあの本と、もう一つある物が入っていた。
私はそれを手に取ると、全てを理解した。
その時、これまでにない不穏な気配を感じ、後ろを振り返った。
向こうから黒スーツの男が近寄ってきた。
怪しいと思い左に逃げようとするも、左側からも同じ服装の男が近付いて来ている。
反対側からも黒スーツが歩いてきて、
私は三人の黒スーツの男に取り囲まれてしまった。
「あなた達ですか、先生をあんな目に合わせたのは?」
私が問いかけると、リーダー格であろう男が一歩前へ出て来た。
張り付いたような笑顔が不気味だ。
「おや。話が早いですね。全く、先生にはしてやられましたよ。偽物を渡されるとは、私達も詰めが甘かったと言わざるを得ません」
「一体何者なんですか、あなた達は?」
「これは失礼。私達は、まあ国の者と言っておきましょう」
思いがけず大きなものが飛び出し、私は驚いた。国が何故動いている?
「あなたが古本屋で手に入れたあの本。実は我々が管理している書物だったのですが、仲間の中に裏切り者がおりまして、その者に持ち出されてしまったのです。我々が捕まえた時はすでにその者の手元にはなかった。自白させるとあの店に隠してしまったと言うのですね。いざ回収しにうかがうと、あなたが購入してしまっていた」
「それで私を付け回していた?」
「そういうことになりますね。本来ならもう少し穏便に事を運びたかったのですが、あなたが先生に書物を見せてしまったのがいけなかった」
私は電話口での先生の言葉を思い出した。
「日本の歴史を根底から覆しかねない?」
「日本という国の在り方をも変えかねません。さあ、早くお返しいただけませんか? 私達もこれ以上手荒な真似はしたくないのです」
さすがに駅前で蹴ったり殴ったりはしないだろうとは思いつつも、本を手渡した。
男はパラパラとページをめくり、
「今度は間違いなく本物のようですね。わかっていらっしゃるでしょうが、この事は一切他言無用に願います。まあ、あなたが口で説明しても、まず信じる人はいないでしょうが」
と言い残して、黒スーツの男達は去っていった。
男達が完全にいなくなったのを確認してから、私はロッカーに入っていたもう一つの物を取り出した。
それは、タブレット端末だった。
起動させると、中には先生が書き上げたあの本についての論文が記録されていた。
送信先も設定されていた。
知人の教授達、学会、テレビや新聞の報道機関、更にはSNSにまで。
「確かに、口だけじゃあ信じてもらえないよな」
私は一人つぶやいて、送信ボタンを押した。
※この文章は、室長が専門学校時代に書いた創作です。
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