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下から二番目。

前回歌詞の話を書きましたが。大きく影響を受けているのが小山卓治氏。誰もそんなこと思わないでしょうけどね^^。

80年代に友人から教えてもらったのがきっかけで聴くようになりました。自分の中に「映像を言葉で表す」という発想が全くなかったので、カメラがパンしていったり切り替わったりしていく感じが文や詞で出てくるというのにとても衝撃を受けました。まあ今になってよくよく考えれば、教科書的に読まされていた詩にもそういったものはあったはずですが、受け止める方がわかっていないから伝わらない。80年代絶大な人気だった片岡義男作品のカメラワーク的文がなかなか意味が分からなかった。そういうのを初めて意識したのが小山作品でした。のちに大分のフォロワー第一人者F氏のおかげでご本人にもお会いできましたが、とにかく言葉遣いのインパクトにやられて。

最初に聴いたのは12インチライヴのPassing Bellからでした。そのあとPassingアルバムからはまっていった。その頃の曲はどれも好きなんですけど次のアルバムに入っている「下から2番目の男」。このフレーズにはいまだもってやられ続けているというか折に触れて思い出すというか、このフレーズを越える言葉って簡単に思いつかない。

最悪とまではいかないが
ここぞってとこで決まらねえ
俺は下から2番目の男

下から2番目の男

大分弁では最下位のことを「どべ」って言うんです。これは地域によるのかな?ぼくは大分ネイティヴですけれど、最初に聞いた最下位の表現は「ビリ」だったから、その「どべ」っていう響きを聞いた時のなんともいえない逃げられない感じ?(笑)それがいやというより恐怖のような感覚を持った遠い記憶が^^;逃げられない感じしません?

で。まあ誰しもそうだと思うんですけど、最下位っていうのにこだわるというか嫌がる人が多いというのをこれほどまでに的確に言い表す文章力が欲しいなと思ってはや40年近く。なりませんねえ。悔しいけど。

昨今取り沙汰されている「生成人工知能」ってあるじゃないですか。こないだの大阪サウンドメッセでCharさんも言及されていましたけど、これがあれば「それっぽい」のが簡単に加工できちゃう。この数年、ちょっとコロナのせいで言われなかったけど、結局そのせいで加速したところもあるけど、「いずれ無くなる職業」っていうの言われてきたじゃないですか。文章だけでなく、イラストなんかもできちゃう。音楽然り。本当に人間が機械に支配される時代が思ったよりも早く到来しつつある気がします。

ネットの時代が来てこの10年以上、読書感想文の係の仕事に盗作コピペのチェックが加わっていると聞きます。なんて不毛な。論文でもそうですよね。くだらない。でも、あればそれを使っちゃう連中はいるでしょう。「必要が発明の母」ならそういうの考えつくの、それが嫌だった人なんじゃないのか^^。これからはこの生成AIがそれをやる。もう感想文の宿題とかやめればいいんです。できるだけ均質にしようという理想は無理だったということになる。この100年はこうやってまた戻っていくんでしょうね。支配階級と被支配階級。次は支配している上の方にAIが介入する。便利だと思いつつ支配されていることにも気づかないまま疑いもせず考えもしないと、完全に世の中に住み分けが起こってしまう。きっとその時には学校も機能していないでしょう。人間が教えている学校とAIが教えている学校になるんじゃないかな。

僕はずっと感想文をというか文章を上手に書ける人になりたいとずっと思ってきました。今もってうまく書けているとか思いませんけど、まったく苦にならなくなった。まあ50代ですからね、あたりまえか(笑)。きっかけはJapan Vintage誌です。あのとき2万字だったかな?ロッキンオンみたいな字数(笑)でって言われて1か月近く何度も推敲して書いて、プロの人に添削してもらって、そうやって出来上がったものを見て、やっぱりうまく書けるようになりたいと改めて思って。思うことを書くのとみんなに伝わるものを書くというのは違う。プロの手を通して感じたのはそこです。だから、そこにプライドのないプロの文は嫌いです。時代によってここは変わるんですけどね。これからの時代は限られた人間しか「うまくなる」というのを実感できなくなる気がします。なんならきっと生成AIならこのうまくなっていく過程すらも再現できるんでしょう。何歳レベルとか指定してね。

そういう時代で、「下から2番目」っていったいどうなるのかなと思います。下から3番目以上のところにAIが入ってるのは当然だから。純粋に「最下位にならなければ」を目指せていたことさえもが幸せだった、なんてなかなか複雑です。

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