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雑感|記号とアンビエント

SNSなどをみていると時折、否、結構な頻度で不思議な文章に出会います。
たとえば「パリコレクションブランドで世界的にも有名な○○が銀座にプロデュースしたレストラン●●で△△でCEOを務める傍ら▲▲もされている□□さん主催によるパーティにありがたくも行ってまいりました!」(ここまで句読点・改行無し)というようなもの。作文や読書はまったくの門外漢であるわたしですが、それでも違和感をおぼえます。それはなぜか。ひもといてゆけば、この長い一文のなか、肝心なそのパーティ、あるいは店舗空間のようすがなにひとつ触れられていないことにあるかもしれません。

パーティそのものよりも、誰が、どこで主催したのかというのが大切で、その主催者もどんなひとなのか、よりも、どんな肩書きのひとなのかという案内が先で、場所もどこが運営しているのかがおおきなことらしい。明確に記号化されたなにかであることが、この筆者には重要であり、そこに身をおいた自分が発信したい情報のようです。これに限らず、そのものよりも、それに付随する記号におもきをおいた紹介は、近年、とみに増えてきたように感じます。「ブランド牛■■を贅沢にもちいたランチ」だとか「ビオワインだからおいしい」「デザイナー◇◇氏が手がけるホテル」「シングルオリジンだから質が高い」……などなど。おおくのひとがおおくの媒体で情報と私感を発信しているけれど、そこに批評性があるものはすくなく、たんなる記号による好みの判断になっていたりする。


記号の集積でデザインを学ぶ風潮
こうしたことを最初にあげたのは、このところ専門学校や社会人向けセミナーなど、デザインの教育の場で、それに似た場面に遭遇するから。しばしばこういう会話がおこります「◆◆さんのあたらしい建築物、いいですよね」「え、もうみてきました?たしか九州だけど……」すると、なにかしらの媒体で写真をみただけだったりする。あらためて尋ねてみると、そういう本人もなにがいいかは把握しておらず、その建築家や話題性というもので判断をしている。なるほど。たしかに。

こうした教育の現場では、事例紹介をリクエストされることがおおく、それは応えるようにしているし、おおくのソースを提示するけれど、デザインの成功例というのは、その場面に最適化されたケースであるわけだから、記号的な応用展開はおもいのほか困難なものです(そもそも記号的に固定化されたいいデザインなんて、ありえないでしょう)ですから「今年発表されたデザインでいいものをランキングして教えてください」みたいなリクエストも困ってしまう。そんなの、すぐ結果がでるものではないでしょうから。

あるいは「妥協せず徹夜でつくりました」というものもある。完成したものより、どうつくったかということが重要らしい。もちろん、結果としての最適解に導くためなら、それは必要なこと、というか、やって当然のはなし。それを切り離して、結果ではなくプロセスだけで評価することも不思議なものではないでしょうか。デザインの講師のなかでも、自身の物差しばかりで判断されるひとがおもいのほかおおい。正直、こうしたひとは同業ながら苦手です。自分が正解、という前提で、自分自身のおもう「美しい」とか「完成度」(こういうひとは、すぐ主観的かつ抽象的なことばをつかって、うやむやにします)にあわせようとするひと。それはただのマウンティングでしょう。記号の集積としてデザインを学ぼうとする風潮はあるけれど、その集積と良質な結果は、本来、別物でしょう。

伊丹十三のエッセーで、舌に自身のないひとが料理教室に通い、食べたことのない料理を、何グラム、何cc……と、数値・記号で料理を理解しようとするひとたちに疑問を呈するものがあったけれど、これもまたおなじこと。


インサイド / アウトサイド
それからデザイン・インサイダーのデザインをよしとする風潮もおかしい。いわゆるデザイナーや、その志望者、その周辺のひとたちが、よいとするデザイン。それはおもいのほか、大衆的な、つまり、そのアウトサイダーで評価がされないことがほとんど。それらは成果物であるデザインよりも、その制作者のほうが、よっぽど饒舌だったりする。事実、いいとおもえるものはすくない。いわゆるデザイン誌で紹介されるものが、デザインの正解ではないはず。しかし、いっぽうで、そのインサイドには足を踏み入れず、アウトサイドから静観するようにして、理解した気になっているひともおおくいる。こうした現状はいったい、どうした祖語からうまれるのでしょうか。


記号とアンビエント
これもまた門外漢のはなし。わかりやすい例なので、お許しを。服の流通も気になります。そもそも、かっこいい、あるいは、きれいな服というものは存在しないのではないか(もちろん、シルエットとしてなど、かっこいいもきれいもあるはずですが、単体のプロダクトとしてそうであってもしょうがない)白いシャツがかっこいい、きれい、なのではなく、それがいいとおもえるひとなり、状況がある。そうなると、やれパーソナルカラー診断や、ECサイト、Instagramや雑誌のモデル着用、なんてちゃちな後付けの記号は、本質とは遠いことのはず。

場面にごとの最適性、あるいは気配、しっくりとくるもの——じっさいは、個々のモノや記号があるのではなく、総体的な一であるアンビエントの状態であるはず。それは、どう身につければいいのか、なかなか難しいもの。しかし、それを自覚することが、まずは最初なのかもしれません。

年末づかれか、もやもやとしたおもいと勢いでつれづれにタイピング。雑文失礼いたしました。


19 December 2018
中村将大

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