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こたえは ‘そこ’ にある

過日、ブルーノート東京にて開催された『ビル・フリゼール・スペシャル・ギター・クリニック』に参加しました。質疑応答も可能ということだったので、あらかじめいろいろと聞いてみたいことを整理してむかうことに。自分にとってはギター・プレイヤーや音楽家としてはもちろん、ものつくるひととして、とりわけ惹かれてしまうひとなのです。

‘――いつも素晴らしい音楽をありがとうございます。
ビル・フリゼールさんの音楽は、映像のないサウンドトラックというか、聴くものに情景を想起されるもののように感じます。それは私の場合、アメリカの原風景だったりするのですが……ビル・フリゼールさんが育った景色がみえるようにおもうのです。環境や風土、歴史、あるいは場所性……というような周縁のものは、音楽に取り組むうえで、意識されていますか?されるとすれば、それは音楽にどのような意味や効果をもたらしますでしょうか?’

手帳に清書してから、質疑応答のタイミングで尋ねてみることにしました。なんとも漠とした質問だし、通訳泣かせであることは間違いない。だけれども、ビル・フリゼール・ミュージックに、アメリカの風土性や土着性をみてしまう自分にしてみれば、それがなによりもの魅力であるから、それがどのくらい自覚的なのかをどうしても尋ねてみたかったのです。

“――自分はただ音楽をつくるだけ。そうしたものは特に意識していません。 「アメリカーナ」とカテゴライズされたりするのは、不本意なところもあります。50年代、60年代、70年代……アメリカに生き、育ったから、そうなるのでしょう。リスナーがそう聴いたということでしょう”

通訳を介しつつなので、訳としての漏れ(Lost in Translation)はあるものの、大意はこのようなものでした。想像以上の解答がうれしい限りでありつつも、もしかするとリスナーの押しつけがましい質問だったかもしれない……と、恐縮もしてしまう。その答えに、ただつくる、無心でつくる、というような禅僧のような、あるいは民藝的な姿勢をみて、それがゆえに、ビル・フリゼールの音楽はビル・フリゼール自身の経験と、その身体化されたものの顕在化ゆえにうつくしく、魅力的なのだろうと、つよく納得したのでした。

その帰路、神楽坂。『青花の会』による骨董祭へ。古信楽や山茶碗をながめながら、土そのものだな、風土そのものだな……とおもう。きっと、ビル・フリゼールもそうなんだろう。「無心で舞うのですか?」との質問に「いいえ、ただ舞うのです」とこたえた能楽師のはなしが重なる。

ふと、ふだんの仕事を振り返る。デザイン教育の現場にいると、やたらと「なにかをしたい病」のひとに出会います。それは学生はもちろん、専門家でもおなじ。端的なのはタイポグラフィの課題。配布したテキスト・データを創意工夫に満ちた画面に仕立ててくるひとがいます。それは造形としてはユニークではあるけれど、制作者の主観が強すぎて、本来のテキストからずいぶんと距離をおぼえてしまうヴィジュアル・コミュニケーションになっていることが、残念ながらほとんど。

そうしたとき制作意図をたずねてみると、往々にして「なにかやらないといけないとおもって……」と反応される。なるほど。だけれども、テキストをしっかりとよめば、きっとこたえは ‘そこ’ にあるはず。それはタイポグラフィにかぎらず、デザイン全般がそうであるはず。身体化のない解釈ほどおろかな間違いはないでしょう。テキスト・リテラシーといってしまえば簡単だけれど、文章をふくめ、さまざまな事象にある文脈を読むちからが、デザイン能力の最重要要素だと、最近はとくに感じます。

“――ギターを弾く気持ちは10歳のころから変わっていません。
こんな音を出したい……それを出したくて、いつももあがいています。
そうした音をつかみとる過程が、いまの音楽なのです”

クリニック前半でビル・フリゼールのかたったことばを、いまいちど反芻。無心、そして初心。とてもゆったりとした、おだやかな語り口。適切なことばがでてくるまでの間……その喋り方がまさに、氏の演奏そのものみたいだな、ということにも妙に感心したものです。


21 June 2019
中村将大

写真は Alfred Lord Tennyson ‘In Memoriam’ The Nonesuch Press (1933)
ナンサッチ・プレス主宰のフランシス・メネルは「書物づくりは、作家への奉仕」といった。

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