詰め込み系ポップスを雑多に追う

カメラ=万年筆の佐藤優介ソロ作品のキラアクがとても良いです。

カメラ=万年筆と言えばムーンライダーズのアルバム名を由来とする(さらにその元ネタはアストリュックの提唱した映画理論の名称)その名前のとおり、邦楽ポップスの伝統を受け継ぐ渋谷系寄りのユニット。スカートの澤部渡とともに発起人としてカーネーションのトリビュートアルバムを完成させたというエピソードもまたなるほどポップス職人の系譜、と思えます。(余談だけどこのトリビュートアルバム、カーネーションのバンドサウンドが最も成熟していた3人時代の曲がないのが個人的に大いに不満)

そしてこのソロ作品は、聴く人が聴けば渋谷系周辺の影響があることを感知できるとは思いますが、相当な詰め込まれ方かつ埋もれたボーカル(恐らく意図的)にはややアンダーグラウンドの空気も感じられます。

同様にこのような詰め込まれた音楽として、長谷川白紙のデビュー作も一定の話題作になったと思います。

思えば長谷川白紙は本人が言及するように、ボカロシーンから影響を受けたポップスという側面があり、ボカロ以降という切り口で語られることも割と不思議ではないと思われます。確かに、直感的に密度の高さを聴きとれること、つまり詰め込まれていることはボカロ音楽と共通するものがあると感じられます。

(2020/7/4追記) 参考:

ボカロ音楽は商業の世界では中々聴くことが出来ないほどに色々な表現が一体となって存在しているから好き、という視点で時に語られることもありますし、様々な要素が詰め込まれていることはボカロ音楽の最も大きく目立つ特徴の一つであると言えます。また、特有の高bpmや早口も同様に詰め込み感があると言えると思います。

詰め込み系ポップスがボカロシーンを席巻し、そして影響を受けたミュージシャンがさあこれから出てくるぞという現状になっていると思いますが、ではそもそもこうした土壌は何を由来にして育まれてきたのかというのを、音楽のカオスさよろしく、滅茶苦茶雑多に追ってみたいと思います。

ちなみにここで「詰め込み系ポップス」や「詰め込まれた音楽」などと表現しているものには特に具体的な定義付けはしていません。主に一曲の中に様々な要素や音が含まれていたり、様々な要素を取り扱うバンドだったり、早口だったり、個人的に詰め込んでるなあと思うものに対して総合的に判断して使ってます。悪しからず。

さて、とはいえ詰め込まれた音楽なんてそれこそ大昔からあるものなので、ここでは便宜的にYMOから始めようかなと思います。

その音楽は実質的にニューウェーブ/ポストパンクなYMOは、まさにニューウェーブ的カオスな詰め込み感があると思います。代表曲のライディーンからしてエキゾチックでオリエンタルなポップスですし、他の曲でも沖縄風、韓国風、ケチャ風、ヒップホップ風、インダストリアル風など雑多な要素を取り入れています。

ニューウェーブ/ポストパンクのある種のダサさに対するカウンターも含みつつ現れた、センスの良さを重視する渋谷系もまた非常に雑多なジャンルを取り扱っていると思います。そこでフリッパーズギターのヘッド博士…を取り上げたかったのですが、フリッパーズギターばっかり取り上げて信者だと思われるのは癪なので…いや違います、「ヘッド博士の世界塔」は権利関係の問題上(諸説あり)一切再発されず今後も中古でしかほぼ手に入らなさそうなので、ここはピチカートファイヴにしましょう。

特にアルバム「女性上位時代」は曲間に挟まれるインタビューだったり、あえてレトロ風味だったり、謎のしりとりを始めたり、ファッション性を徹底的に重視したコンセプトがかなりカオスです。

渋谷系も後期に入ってくるとアンダーグラウンドな空気が混じってきてさらにカオスになっていきます。特に元フリッパーズギターの小山田圭吾(コーネリアス)のレーベル、トラットリアから想い出波止場、暴力温泉芸者などの思いっきりアンダーグラウンドな面々が音源をリリースし何故か渋谷系の一種(デス渋谷系などと呼称されたりする)に含まれるなどということが起きます。この辺りからようやく冒頭の佐藤優介や長谷川白紙っぽさが出てきた気がします。ナンセンスなPVもちょっとそれっぽい。

(2020/7/4追記 P-VINEのYoutubeチャンネル(サブがあるとはいえ)復旧しないままなのはさすがにダメージが大きい…)

このような渋谷系の潜在的なカオスさとアンダーグラウンドとの親和性から、佐藤優介ソロにもある種の渋谷系らしさを聴き取れるということです。その後もアンダーグラウンドだったりそれに限らずだったりの周辺から詰め込まれたポップスが出てきたりしています。例えばウリチパン郡のオオルタイチ(は別に渋谷系には含まれませんが)。

もっと渋谷系のイメージに近いもので言えばPlus-Tech Squeeze Box。

さて、ここからボカロシーンに繋げるのはいくら雑多に追ってみようと言ってはいても滅茶苦茶すぎるので今度は別の視点から行ってみましょう。ある意味ボカロらしさの象徴とも言える早口からです。
もちろん早口の含まれた曲というのは昔からあるものですが、現代的なポップスに落とし込み、シーンに大きな影響を与えたという意味ではサザンオールスターズと佐野元春は重要なのではないかと思います。

コミックソング的な側面のあったサザンと、ロックのリズムに乗る日本語の気持ちよさとかっこよさを両立した佐野元春の要素が(もちろん他にも色々あると思いますが…)、その後90年代以降のJ-POP黄金期でもたまに聴くことができる早口要素に繋がっていくんだと思います。ミスチルの名もなき詩とか、WOW WAR TONIGHTとかGLAYのサバイバルとか、浜崎あゆみのevolutionとか、 ポルノのサウダージとか川本真琴のやきそばパンとかも?

当時としてもカラオケでこの早口部分をちゃんと歌えるか、というのが醍醐味的なところがあったそうですし、ボカロの歌ってみたに何処と無く通じるものがある気がします。こうした方面からボカロシーンへの影響も結構無視できないんじゃないかと思います。

とはいえボカロにおける早口への直接的な影響となったのは電波ソングである、という見方の方がまず自然というか、そういうものだろうと感じがありますね。この電波ソング自体も前述の早口の一般化の影響下に発達してきたという解釈も可能なのかなとも思います。他にもモーニング娘。の謎曲からの影響とか…。

(ヒッキーPとのやり取りもあって紹介したい気分だった)
電波ソングの元祖としてはさくらんぼキッス辺りでしょうか。

あれ…?めっちゃいい曲じゃね…?それに声とか合いの手とかはあるけどあんまり電波じゃない気がする。もっとこう巫女みこナースとかネコミミモードとかくらいまでいってようやく電波ソングらしいなと感じます。(巫女みこナースはぼくはちょっと…完成度は高いと思いますが。ネコミミモードは普通に最高です。)

ネコミミモードは月ノ美兎のカバーも好き。

そしてボカロシーンの中心地であるニコニコ動画において大きな存在感を放っていたのはIOSYSの東方音楽アレンジでしょう。特に「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」は何か流行る度に音MADが作られてましたね。

そしてその近い時期にはらき☆すたのOP曲、「もってけ!セーラーふく」がアニソン界隈を席巻していました。神前暁によるワンコードゴリッゴリのファンクと畑亜貴による頭おかしいとしか思えない歌詞。一時代を築いたと言っても過言ではない傑作でしょう。

こうした土壌があった上で、例えばcosMo@暴走Pの諸作品が受け入れられ、そしてボカロのパブリックイメージが形成されていくことになります。その後もwowakaによるナンバーガールやスパルタローカルズ的なダンス系のロックとの邂逅や、トーマやkemuやじん(自然の敵P)や色々あって、ああボカロってああいう音楽ねというアレが完全に確立します。

こうして振り返ってみて思ったのは、詰め込み系ポップスって別にボカロの専売特許じゃないなということですね。今回挙げたニューウェーブ/ポストパンクや渋谷系もそうですし、モーニング娘。の影響もあるのか、アイドルソングだって同じように詰め込みを得意としているはずです。特にニコニコとも縁が深いヒャダイン楽曲もあって名を上げたももクロに、電波ソングを名前の由来としているでんぱ組.inc辺りは結構な有名どころですし、さくら学院派生のBABYMETALも似たような感覚で受け入れられているのかもしれません。

あとあまり関係ないですが、後期渋谷系(ネオ渋谷系)とオタクジャンルとの組み合わせは、一時期アキシブ系なんて呼ばれていたほどには親和性が高いですね。他にも元々は渋谷系の流れとして捉えられていたcapsuleの中田ヤスタカとperfumeの組み合わせがニコニコ発で大きな人気を獲得した(という説がある)とかこの辺りの関係性はとても興味深い。

そしてもう一つ、日本人は個性を出すのは苦手だが色々な要素を取り入れて改善するのが得意であるというような主張をたまに見かけますが、この言説には強い疑問があります。そもそもビートルズからしてありとあらゆるジャンルを横断するのが得意なバンドで、それ以降も英国は色々なジャンルを箱庭的に折衷させた音楽を多々輩出してますし、アメリカではサンプリング(≒色々な要素を取り入れること)を大きな特徴とするヒップホップを生んでいます。(英米だけを”海外”や”洋楽”とする考え方には強く反発しますが、とりあえずは代表的な例として挙げます。もちろん例はこれだけではありません。)逆に日本はパーソナリティの塊とも言えるようなボーカロイドシーンを生んでいます。外国人は大雑把だけど個性がある、日本人は個性は無いけど細かい改善が得意、的なステレオタイプはあまりにも実情とかけ離れていると感じています。

今後様々な機会で交流が進むことによって、国内/海外という分類は薄れていくことが予想できます。Superorganismのような多国籍バンドも台頭してきましたし、まだまだこの流れは始まったばかりでしょう。その中でもっと混沌とした楽しいシーンになってほしいなあと思いますし、とりあえずは日本で生まれ育った自分に何ができるかということを考えるのもまた一興。一応はボカロ周辺にいる自分としては、今後ボカロが担う役割というのも面白そうだなあと思います。割と今後の音楽シーンには楽しみが多いですね。


(2020/7/4改訂 軽微な表現の修正、紹介楽曲の整理、追記等)



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