生きる意味はどこにあるのか?

おはようございます☀

朝から色々とTwitter等で色んな呟きを眺めながらぼっーとしていました。

そんな中、前の上司と、今お世話になってる産業医の方と話したことを思い出しました。


まずは上司の言葉。

「自分を守れるのは、自分しかいない。誰かが守ってくれるわけでない。」

ということ。

…とまあ発言の本意はどうだったかはわかりませんが、周りの人や環境に文句ばかりたれていた自分にはふと刺さるものがありました。(もちろん劣悪な環境であれば文句も出ますし、環境の改善を求めることは大事ですが)


続いて産業医の方の言葉。

「自分にできること、自分の中で変えられること、内面を考えることも大事ですが、少しずつ行動を変えてみること。大袈裟に考えなくて大丈夫です。今日何を食べるとか、どう調理したら美味しくなるかなとか、小さなことでも工夫をこらしてみてはどうでしょう。」

この言葉を聞いた時は、いやいやそんな工夫する元気も気力もないし、そんなことで治るなら苦労しないわ…と思いました。


自分は今、適応障害になってしばらく休んで、職場復帰してからだいぶ経ちますが、なんだか回復してるのかなんだかわからないまま日々を過ごしています。

職場の環境もかわったり、しんどかった職場から他部署に異動になったり、まあそれはそれで今も大変な状況ではあるのですが、当時休むことになった時よりはマシな状況ではあると思います。

…ただそれで、どれだけ環境や職場を変えても、心の底から治った、今は人生を楽しめてるという風に思える日が来るとはとても思えないんでいたんです。


そんな中、上の2つの言葉も思い出しながら考えました。

適応障害だったということもあるので、環境を変えるのはとても大切な要素だと思います。

変えれば回復すると思っていましたが、それだけでは足りず、

結局は、「自分の考え方を変える、自分の生活を変える、自分の人生を自分で変える、自分の人生は自分で切り拓く」という心持ちが必要なんだと思いました。

それは、人に頼ってはいけないということでは決してなく、周りの人に甘える、頼るは人生において不可欠だとは思います。

それでも、自分の人生を良きものにしていくには、自分の意思と行動が必要なんだということです。

先程の上司と産業医の方は、言っている言葉は違えど、周りの環境うんぬんではなく、自分を幸せにできるのは自分しかないということに繋がる気がしました。

自分を守れるのは自分しかいない、自分で自分を幸せにする。

産業医の方は、こうした方がいいよとアドバイスをくれたようで、自分で何かアクションを起こしてみるというヒントをくれた。自分で考え、自分で行う要素が生きていく上で必要なのかと。


……ここまで言葉を並べて、じゃあタイトルにある生きる意味はどこにあるのか?ということに言及するわけでですが、


生きる意味とは、

どこかに落ちているものでもなく、

誰かに与えてもらうものでもなく、

自分で日々の中に見出すものなのではないかと。


辛い環境や、体調が思わしくない時は、なかなか見出せないかもしれない。そういう時は環境を変えたり、休養が必要だと思うから、とにかく休むことが大事。

少しずつ、こうしたら自分が幸せになれる、ということを意識して行動すると、自ずと生きる意味が見出せくるのかもしれない。

まだまだ答えに辿り着いていないけれど、少しだけ人生の道しるべになる指標が見えてきたかもしれない。

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