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建築のバックボーンに想いを馳せる旅~自由学園明日館~

こんにちは、ロンロ・ボナペティです。

建築の世界では、よく「コンテクスト」という言葉を耳にします。
コンテクストとは、日本語では文脈と訳され、ある事象の前後関係や背景などを指す言葉です。
建築においては「コンテクストを読み解く」などといわれ、たとえばある建築を設計する際に、敷地の周辺環境や景観、地形、その土地の歴史などといった前提に目を向け、そこからデザインの手がかりとなる要素を抽出していく作業を表しています。

こうした考え方は、建築を設計する段階では非常に有用、というよりむしろコンテクストを考慮せずに設計することは不可能といってもよいくらい重要な観点です。
ではすでに建っている建築を、作品として鑑賞する場合はどうか。
コンテクストを読み解くだけでは理解しきれなかった僕に、バックボーンの必要性を教えてくれたある建築との出会いをご紹介したいと思います。

近年特に山手線の内側、東側の再開発が著しい池袋、その反対側の西池袋にひっそりと佇む重要文化財があります。
フランク・ロイド・ライト設計の「自由学園明日館」です。
ライトといえば、建築に少しでも興味がある人であれば一度は見たことがあるであろう「落水荘」や、現在は愛知県の明治村にエントランス部分のみが移築保存されている「旧帝国ホテル」などで知られる建築家です。

近代建築三大巨匠のひとりとも称され、世界的なムーブメントとしては鉄やガラス、コンクリートといった新しい素材を用いて、装飾を排除したシンプルな造形を追求した時代に活躍しました。
その近代を代表する3人のうちの1人に選ばれているにも関わらず、ライトの建築は自然素材を多用し、細部まで凝ったデザインを施す、シンプルとは対極にある美を追求している印象があります。
ライトの提唱した、自然と一体となった建築を目指す「有機的建築」という考えは、その土地の文化や風土と切り離して成立しうる建築を志向する近代建築の主流とは対立するものと捉えられてもいました。
日本の近代建築史の教科書でも、三大巨匠のうちル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエの思想が大きく扱われ、ライトについては申し訳程度に触れられているというのが一般的かと思います。

ル・コルビュジエの「機能主義」あるいはミースの「Less is more」とは対極に位置する建築家。
そうした先入観をもって訪れると、見事に困惑してしまうのが、この自由学園明日館なのです。

まずは外観を見てみましょう。
中央に大きな切妻屋根の棟が建ち、その両サイドに背の低い建物がつながっている、シンメトリーの極めてシンプルな外形です。
自由学園明日館は、婦人之友社の創設者である羽仁吉一・とも子夫妻が創立した「自由学園」の校舎として1921年に建設されたもの。
中央の棟はホール、その奥に見える更に高い屋根は食堂、両サイドは教室と、教育に必要な諸施設が収められています。

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土台に使用されている大理石や、緑で統一された屋根やサッシ、壁面も白ではなく柔らかなクリーム色と、調和の取れた端正なデザインです。
内部空間も無駄のない、合理的で明るく、居心地の良い空間になっています。
建物全体に施された直線上のラインは、自然と視線を誘導し、外の景色へと導いてくれます。
水平方向への広がりをもつ空間や、食堂とホールの立体的な関係性など、見どころの多い建築であることは間違いありません。

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ステンドグラスや壁面の装飾もすべて幾何学的な要素で統一され、「この部屋に懇親の力を注いだのだな」というハイライトもなく、全体的に均等に建築家の手腕が発揮されている。
写真だけ見ると、それでも十分に手数の多い、情報過多なデザインに見えるかもしれませんが、落水荘や帝国ホテルを知っている僕は、それでもどこか物足りなさを感じてしまいました。
そしてその見方こそが、建築が成立したバックボーンから目を背ける態度なのではないかと気づいたのです。

この建築を巡りながら、どこか物足りなさを感じていた僕は、その理由を建築の用途に求めました。
学校の校舎は、生徒や先生が毎日使う場です。
過剰な装飾やデザインの密度を高めることは、毎日接する建築としては食傷の原因になるのではないか。
現に、別荘である落水荘も、旧帝国ホテルも短期的な滞在を想定した建築です。
そのような憶測のもと、ライトはこの建築においてはデザインへの衝動を「抑えた」のかなと、ひとまず自分を納得させました。
そして想定された使い方に自分の体験を近づけようと、建物の中を何周も回ってみたり、食堂の椅子にしばらく腰掛けてみたり、ホールでコーヒーを頂いたりと、できるだけ長時間建築を味わってみました。
するとまあ、最初の印象とは違う魅力にだんだんと気づくわけですが…

けれど明日館が建てられるに至った背景、いうなれば建築のバックボーンを知るうちに、大きな勘違いをしていたことにハッとしました。

自由学園の創設者、羽仁もと子は日本で最初の女性ジャーナリストとも呼ばれ、日本女性の生き方に大きな影響を与えた人物です。
「婦人之友」も家庭生活と仕事との地続きな関係を追求する先に創刊され、もと子自身の生き方と切っても切れない関係をもっています。
そんな彼女が子育てを経験し、自身の理想とする教育機関を欲した。
そうしてつくられたのが自由学園であり、その校舎である明日館なのです。

もと子の思想の根底には、10代の頃に洗礼を受けたキリスト教の影響が色濃くあります。
当然自由学園の教育方針にもつながっていきますが、興味深いのがもと子の信仰していた教義が「無教会主義」と呼ばれる、教会に通うことなく日常生活においてキリスト教の教えを実践する教派。
偶像崇拝を禁じたプロテスタントの流れを汲んでおり、そうした思想をもつもと子が学園校舎を建立するにあたって、当然建築のデザインにも密接に結びつくことになります。

ライトはアメリカの建築家です。
来日時にこの建築の設計を依頼された際、西池袋の町並みや歴史、あるいは同時代の学校建築のデザインも研究したことでしょう。
また来日以前から日本文化に強い関心をもっており、日本建築の空間的特徴についても深く理解をしていました。
ライトが読み取った「コンテクスト」は、当然この建築の設計にも反映されています。
しかしそれ以前に、もと子がこの校舎に込めた想い、学園の思想が重要なバックボーンとして横たわっているのです。

ある建築の設計意図を知ろうとする時、我々はその建築家が参照したコンテクストに目を向けがちです。
なぜなら、ある建築について語る時、建築家はどのようなコンテクストに着目し、発想の元にしたかを語るから。
また過去をさかのぼって参照することのできる、評論家による作品批評も、基本的には物としての建築を、当時の建築の潮流や作家性といった観点から評するものです。
建築の歴史を知る、そして自らが設計者となって自分のデザインを考える上ではそうしたテキストが役に立つことは言うまでもありません。
ただ、鑑賞者として建築と向き合う時、そのバックボーンに想いを馳せることもまた同じ様に重要なのではないか。

そうして校舎を出て、敷地の周りを散策していると、同じバックボーンをもった建築群に出会うことができます。
ライトとともに明日館の設計に携わった遠藤新が設計した講堂、そしてその息子である遠藤楽による婦人之友社社屋が連続して建ち並んでいるのです。
局所的であっても、一体感をもった町並みが形成されていることは、コンテクストを共有していることより、同じバックボーンを共有していることの方がはるかに大きいでしょう。
そう考えていくと、近世までは統一感のあった町並みが、近代以降見違えるような仕上がりに更新されたことにも納得がいきますね。

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西池袋の名建築で、新たな教えを授かったロンロでした。

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このnoteは、noteクリエイターである嶋津亮太さんが個人で主催されている「教養のエチュード賞」への応募作品として執筆しました。
日々の建築散歩のひとつに過ぎなかった明日館への訪問を、記事にするモチベーションと方針を与えてくださった嶋津さんに感謝申し上げます。


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