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うつになった私がメイケイエールに救われた話①

noteを開いてくださったみなさん、はじめまして。
私はろにといいます。アニメ、ゲーム、音楽、競馬など、趣味を程々に楽しむゆるいオタクです。

そんな私ですが昨年の夏、うつ状態であるとの診断を受け、約半年を療養に費やしました。今は復職可能な状態まで回復していますが、治療を始めた当初はここまで自分が回復できるとは想像すらしていませんでした。
常に鬱々としていて、好きだったはずのものに触れても楽しさも感じられず、自分というものが崩壊していく。壊れた自分を眺めるだけで1日を浪費していく、そんな感覚でした。しかし、私のこの真っ暗な日々に光をくれた存在があります。それこそが、メイケイエールという一頭の競走馬です。

私の回復の救いとなってくれたメイケイエールへの感謝の気持ちや、彼女がくれた感動を文章として残したいと思い、noteを書くことを決めました。興味を持ってくださった方、よろしければお付き合いください。

メイケイエールとの出会い

メイケイエールは、中央競馬の短距離路線で活躍している牝5歳の競走馬です。(noteのタイトルから、薬か何かの名前と思われた方がいましたらすみません。)

私がメイケイエールと出会ったのは、まだうつになる前、2022年の高松宮記念です。

先に私と競馬について触れておくと、私の競馬ファン歴は約15 年。中学生の時に初めて競馬を生で観戦し、競走馬の疾走感、躍動感、エネルギッシュさ…とにかく、それまで感じたことのなかった感動を覚え、競馬の魅力に取り憑かれました。ただ、2019年に敬愛するウオッカとディープインパクトが立て続けに亡くなったことをきっかけに、約3年ほど競馬とは疎遠になっていました。2022年頃、ウマ娘ブームを機に再び競馬を観戦するようになり、競馬愛が再燃。久しぶりに現地へ高松宮記念を観に行こう!と思い立ち、運良く入場券の抽選に当たり、中京競馬場へ行けることになりました。

この頃は競馬に出戻ってすぐだったので、とくに応援している馬はいない状態でした。私の競馬の楽しみ方は、1頭推し馬を決めて応援するというシンプルなもの。高松宮記念でも、推し馬を1頭決めて応援馬券を買うことは決めていました。
出戻りの私には聞き馴染みのない出走馬の名前ばかり。父名になら見知った名前がいくつかあるからそこから決めるか、直近の成績か、人気にあやかるか。どうやって応援する馬を決めようかなと競馬新聞を眺めていて、ふと目に留まったのは「池添」という騎手名でした。

Twitterで見かけた「池添騎手がまた気難しい馬に乗ってる」的な情報をそこで思い出しました。池添騎手は、私が人生で初めて現地観戦した日のメインレース(CBC賞のシーイズトウショウ。シーイズトウショウが私の人生初の推し馬です)で勝利していて、さらには最後に現地観戦した高松宮記念でカレンチャンに騎乗し勝利しているという、私が勝手に縁深さを感じている騎手なのです。スイープトウショウとのコンビも好きだった私にとって、気性難(噂)と池添騎手のコンビという条件までつけば、推すには十分でした。それに人気も前走の着順も良かった。推し馬はメイケイエールに決め、単複の応援馬券もしっかり購入しました。
この時点ではメイケイエールの2〜3歳時のレースはまったく観たことがないので、どういう「気難しさ」なのかは何も知らない状態です。

せっかくだから最前列でメインレースを見ようと、到着早々にゴール前で張り込み。勿体無いけれどパドック見物は諦めてゴール前で待つこと約3時間。いよいよ高松宮記念の本馬場入場の時がやってきました。中京競馬場のゴール前はウィナーズサークルと本馬場への入口も近く、馬がよく見えます。わくわくしながら待っていると、なんと誘導馬より先にメイケイエールがやって来たのです! そうか、気難しい子だから先入れなのかなーと呑気に思いながら、メイケイエールの姿をじっくりと目に焼き付けました。

返し馬に入るメイケイエール
(2022年高松宮記念で撮影)

外ラチ沿いをゆっくりと駆け出していくメイケイエールは、馬具に覆われて表情が伺えないものの、私の目には落ち着いていて程よく気合いが入っているように映りました。入ってきた時少し空気がピリッとするような風格もある。
シンプルに、格好いい。
すごく良い感じに見えるこの子が本当に気難しいの?と疑ったくらい。この感想はレースが終わった後も変わりませんでした。

道中はかかる様子見せることもなくスムーズにレースを運び、最後の直線もGOサインに応えしっかりと伸びたメイケイエール。5着に敗れはしたものの、心配されていた折り合い面で成長が見えたこのレースは、噂でしか知らない彼女のこれまでとは違う一面、そして、今後の可能性を感じさせてくれるものでした。この日、私はこれからもメイケイエールを応援しようと誓ったのでした。

この後の私が競馬どころではなくなることなど、この時は全く想像していませんでした。

「うつ」の診断と休職

5月頃から仕事が立て込み始め、捌いても捌いても厄介な案件が舞い込むことが続くようになり、私の生活からは日に日に余裕が失われていきました。家では家族と会話する気になれず、食べて寝て起きてを繰り返すだけ。休みの日は起き上がれず眠るだけで終わるし、どれだけ寝ても疲れている。隙間時間があれば見ていたアニメは見る気になれない、活字を読むのが辛い。競馬も例外ではなく、日曜午後は欠かさず観ていた競馬番組も見る気力がありませんでしたし、好きな時に観られるYoutubeでさえも競馬を見ることはありませんでした。また、仕事がある日に頭痛がしたり、めまいがしたり、咳が長引くようになったりという身体的な症状も出てくるようになり、度々仕事を休むこともありました。自分でも不思議なのですが、好きなことに費やす余力を奪われ、身体にも不調が出ているのに、職場に行くと平静を装う自分がいて、「忙しいのが終われば元に戻れる」と思っていたのです。今この時を耐えしのべば何とかなると。というより、そう言い聞かせないと身が持たなかったのかもしれません。
そんな生活を2ヶ月ほど続けても、自分の心身状態も、仕事環境も一向に良くなる兆しがなく、いよいよ「私は危ないのかもしれない」と思いました。
7月某日、職場にも家族にも内緒でメンタルクリニックを受診し、そこで「気持ちで何とかできるという状態ではない。薬を飲む治療を始めてもいいですか」と言われました。また、私の場合は仕事がいちばん大きな負荷になっていたため、その負荷から離れること=休職を勧められました。その場で即決はできず、ひとまず薬を飲んでみて様子を見たい、という私の気持ちを、主治医の先生は尊重してくれました。このときはまだ、「休職までしなくても薬を飲んでいれば何とかなるかも」と少し期待していたのですが、薬を飲み始めてから1週間ほど経った頃、職場でまた新たなトラブルが生じた時、「ああ、もう無理だな。」という感情がようやくやってきて、休職することを決めました。
うつでの休職ということで家族はさすがに驚いていましたが、私の様子から合点がいく部分はあったようです。「ゆっくり休むといい」と受け入れてくれました。正式な【抑うつ状態】の診断書を職場に提出し、療養に入ることになりました。

療養といっても、ひたすら寝て、一応食事をして、また寝て、と過ごす、味気のない日々が続きました。仕事に行かなくていいというだけでだいぶ気は軽くなりましたし、落ち込みを軽減する薬も時間をかけて効いてきて、精神状態はだいぶ改善されました。けれど、何もかもがすぐ元通りとはいかなかった。以前は好きで生きがいとも言えたはずだったものが、以前と同じようには楽しめなくなっていたこと。これが私にはいちばん大きいダメージでした。

音楽を聴いても耳をすり抜けていくし、アニメを観ようとしても内容はまったく頭に入ってこない。漫画も同様。ゲームはログインができればいいほう。すぐ疲れてしまうから旅行や出かけることも辛い。

大好きなアーティスト、ゲーム、旅行、食べること。そして競馬も。楽しむ時間は十分すぎるほど戻ってきたのに、以前注いでいた熱量は空っぽのまま。音楽や推しについてはむしろ、「あんなに好きだったのに、チカラをもらっていたのに、結局私を守ってはくれなかった」と恨めしく思うことさえありました(とんだ言いがかりですが)。
治療そのものは順調で、気力も回復しつつあるのに、それを注ぐ先を見失っている。好きなものを「好き」とは言えなくなってしまったようで、とても悲しくて虚しい気持ちでした。喜楽の感情がほぼない状態なので負の感情だけがあり、生きるってしんどいことしかなくて面倒くさいな、などど思ったりもしていました。

やるべきことを頑張っていただけなのに、どうしてこんなことになってしまったのか。
好きなもののために仕事を頑張っていたのに、好きなものを楽しめなくなってしまうなんて馬鹿みたい。

そんな思いがぐるぐる渦巻いていたとき、ある映像を目にします。

衝撃を受けたチューリップ賞

療養中、家で過ごすことが大半だった私は、部屋が無音だと不安で(今は平気ですが)たいてい動画を再生していました。ゲーム実況を流していることが多かったと思います。前述のとおり、音や映像を流していても内容はほぼ頭に入ってはいないのですが、何か音がしているというだけで少し安心できるのでした。
ただ、それを続けているとさすがに「頭に入ってこないものを見ててもつまらないな」と思うようになり(厳密には見ていないのですけど)、おすすめから適当に動画を渡り歩くように。ある日、競馬の動画に行き着きました。JRAさんやカンテレ競馬さんがあげているレースの動画です。初めに観たのは何のレース動画だったかはもう覚えていませんが、何となく再生したそれを最初から最後まで目を離さず観ることができて、少し嬉しくなったのを覚えています。「あ、競馬なら観れるじゃん」と。

好きな競馬の動画だったからというより、再生時間が短い(レースだけなら長くても5分くらいで終わる)ので集中力が保った、ただそれだけのことだとは思います。けれど、アニメやゲームやらを楽しめなかったその時の私には「好きな競馬」を「最初から最後まで観れた」ことは、大きな前進に思えました。

競馬は観れると気づいてからは、競馬関係の動画を渡り歩くようになりました。でも、この段階では観ることはできても、感情の起伏はとくにないまま。観ては泣きを繰り返したウオッカやディープのレースを観ても、何も感じない。心が涸れてるってこういうことなんだな、とどこか他人事のように思いました。
それでも、ウオッカでもだめなら観たことがないレースを。と、レースを観ることはやめませんでした。他にすることもないというのもあるし、一縷の望みに縋りたい気持ちもあったと思います。そうしておすすめ欄に上がってくる動画を見続けるうち、見覚えのある名前を見つけました。

【メイケイエール × エリザベスタワー】

どこで見た名前だったか…と少し考えて、ああ、高松宮記念のあの子だ、と思い出しました。これからも応援したいと思った馬の過去のレース。2021年チューリップ賞。しかも同着とは珍しい。そういえば3歳のときのレースは観たことがなかったなと思いながら、けれど期待するでもなく再生ボタンを押しました。

レースがスタートすると、好位につけたかに見えたメイケイエールは騎手のコントロールをふりきり、先頭に立とうとします。イレこんでいるとはまた違う様子で、とにかく前へ前へ行きたがるメイケイエール。騎手の懸命な制止も虚しく、ゴールまで半分以上の距離を残して先頭に立ってしまいます。先頭に立ってからは、もう私の邪魔をするものはいない!とでも言いたげに気持ち良さそうに走っていく彼女。しかし最終コーナーを曲がって最後の直線に出ると、後続が彼女に並びかけていきます。折り合いを欠いたことで余計なスタミナを使ったメイケイエールは、ここで馬群に沈むかと思われました。
でも予想に反して、彼女はしぶとかった。抜かされそうになると、自分でギアを一段階上げたかのようにまだ伸びる。最後はエリザベスタワーとしぶとく競り合い、2頭のハナが並んだところでゴール。メイケイエールとエリザベスタワーは1着同着という結末になりました。

このレースを観て、メイケイエールが気難しいと言われていた理由をようやく理解しました。騎手の言うことを聞かず自分の思うまま走ろうとする気質のことだったのだと。馬がかかること自体は珍しくはない光景ですが、ここまで極端に騎手に抵抗してまで好きに走ろうとする馬はそう多くはいません。そのまま勝てる馬はなおさら。多方面に衝撃を与えたであろうこのレースは、私にとっても衝撃的なものでした。頑固なまでの気質も、エネルギーを浪費したろうに勝ってしまうところも。でも、私がいちばん驚いたことは、

この子は、私と似ている。

直感的に、そう思ったことです。

なぜだかわからないけれど、うまく説明できないけれどーー似ていると感じたこと。今まで馬に対して「誰かに似ている」という感情を抱いたことがなく、そもそも感情が揺さぶられることがかなり久しぶりだった私にとって、これはとても大きな衝撃でした。
そして、知りたくなりました。もっとメイケイエールのことを。なぜ自分と似ているなんて思ったのかを。
この時から、止まっていた感情が少しずつ動きだしたのだと思います。

②へ続く


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