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第十五話 アジアの洗礼

「辛い…」
日本で食べるタイ料理とは比較できないほどに、辛い現地のタイ料理。元々辛いのが苦手な僕には、苦しいこの上ない食生活の始まりとなりました。

食を知る事が、その国の文化を知る事だとは言え、これは厳しい。
 
涙が出るほど辛い料理。地雷(チリという)を踏まないように、細心の注意を払いながら食す。
 
同じテーブルに座るアメリカ人が食べられる物が無くて、ホームシックにかかったという。
大きな体からは想像も出来ないくらいに、繊細なのだなあ…(同じ物を食べていた僕には、その気持ちが非常によく分かりましたが)。

 暫くして、毎日色々な物にチャレンジしていくウチに、「非常に辛いもの」「結構辛いもの」「辛いもの」「少し辛いもの」「辛くないもの」、それぞれが段々と分かってくる。毎日新しい食に挑戦する僕は、よく地雷を踏む事もありましたが。

最初は全くもって受け付けなかったパクチー(香草シャンツァイ)もいつの間にかこれが無いとダメになる。
当初は「腐ってる!」と店にクレームを入れたくらいだったのに。

 少しずつ辛さにも慣れ(量の少なさには慣れませんでしたが)、タイという国に馴染み始めた僕。

高校生達の帰宅途中、男子の制服を着て、女子高生と一緒に化粧品などを選ぶ光景にもだいぶ見慣れてきました。(慣れって恐い)
 
 そうそう、バンコクに行った事のある方はご存知だと思いますが、バンコクにはチャオプラヤーという大きな川があります。
ここには通勤の為などに使う水上バスなどもあるのですが、ある帰宅時間の事。僕はワットアルン(暁の寺院)というお寺の夕陽を眺めにこの河川まで行きました。そこで帰宅の為に水上バスに乗り込む人々に混ざり、僕も水上バスに乗車。しかしこの時、隣に居た帰宅途中のOLさんがいきなり消えたのです!そう、なんと彼女は「あの」チャオプラヤーに水没したのです。(つられたのか、数人が水没)僕や周りの人々がなんとか引きずり上げ、事無きを得ましたが。
いやー、帰宅途中で川に水没は厳しいなあ。。。
 
 そんなバンコクに一ヶ月ほど滞在して、アジアの空気に馴染んだ頃、旅の行き先も決まりました。

微笑みの国「ビルマ(ミャンマー)」。
ここは仏教三大遺跡のひとつに数えられるバガン遺跡があるのです。兼ねてよりこの遺跡や遺跡のレリーフに興味があり、いつかは行こうと思っていた国。
しかし軍事政権下において、圧制で人々は苦しんでいるとも聞く。

「一度、自分の目で確かめておくのも悪くはない」
そう思い、ヴィザを取得し、いざ、空路(陸路はほぼ不可能)で首都ラングーン(ヤンゴン)を目指す。
 
 このビルマはつい数年前まで鎖国していて、この時は開国して間もなくの頃。
民主化を進めるアウンサン・スーチー女史も拘束されていませんでした。
 
色々と問題はあるだろうが、それも現地に行かねば見えてこない。
僕は世界情勢というものを、マスコミなどの情報ではなく、この目で実際に見て確かめてみたいと考え、そして次の行き先として決定したのです。
 
「自ら感じ、そして考える」僕の旅の基本は、この頃から明確になっていきました。
 
さて、そんなラングーンの空港を降り、待っていたのは。

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