始めた理由,続ける理由

 とある動画のコメント欄からご質問をいただきました. 

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 YouTubeを始めて1年ほど経った頃だったでしょうか,やはり同じようなご質問を頂いていろいろ綴り始めたはいいものの,答えになりそうな事柄が次から次へと浮かんではしぼみ,さっぱりまとまらないままお蔵入りにしてしまいました.まあ,今回もまとまった話にはなりそうもないので,思いつくことを率直に書き連ねようと思います.

筆者注:この記事には値段がついていますが全文無料で読めます.ご支援のお心持ちでご購入いただきますれば,大変光栄でございます.

躊躇なく言えば,それは欲目です

 とはいえ,こんな質問に対する答えは基本的にひとつしかないわけです.欲目です.

 一言でまとめましたが,欲にもいろいろあります.ぼくをYouTubeへと駆り立てた大きな要因は金銭欲と名誉欲です.YouTuberとしての収入だけで食べていけるとはさらさら思わなかったものの,お小遣いの足しになればいいな……とは最初からずっと思っています.だからYouTubeだけではなくテキストやスライドを売るnoteマガジンをずっと続けているわけです.YouTubeの収益化までの道のりを考えれば,並行して何かしらの収入があるように工夫を考えることは当然でした.

 名誉欲でいうと,これまた率直に申せば,本を出してみたい願望はずっとあります.かつての「龍孫江の数学日誌」には数学テキストの解説記事をずっと書いてきましたが,最近に「はじめての可換環」や「龍孫江のよろず語り」などYouTube連動の自前記事を増やしているのは,ごくごくうっすらとながら書籍化という夢を見ているからです.

 以上を読めばわかるように,ぼくは自分の欲目のためにYouTubeを始め,欲目のためにYouTubeを続けています.

欲目8で始めて

 とは言うものの,それは全部が全部己が為の欲目であったかといえば,少しはそうでない部分もありました.始めたときの心持ちとしては,10のうち8くらいが我欲であったかなという実感があります.

 残る2に何があったかと言えば,
数学のテキストは商材たりうるかという実験
・大学数学専門のYouTubeチャンネルの需要調査
です.特に前者は,大学院生レベルの数学徒(つまり大学院生ですね)の収入源として活用できたら有り難いなと思っています.現役の大学院生には,ぼくよりずっとハイレベルな人たちがゴロゴロいます.ぼくよりずっとおもしろく数学を語れたり,ずっと明晰で鮮烈な文章を書く人がいるのです.
 一方で,多くの大学院生は金銭面でつらさを感じています.決して太い道ではありませんが,「あのくらいなら自分でもできる」と参入してくる人はいるのではないかと自惚れていました.実際にはコロナ禍を奇貨として,大人向けの塾・オンライン家庭教師が広まり,目鼻が効く人はそちらで活躍しているそうです.単価と拘束時間を考えれば,なんとか収益化にこぎつけた程度の弱小YouTuberよりはまとまった収入になるはずです.

現実を突きつけられて欲目7へ

 令和改元の頃にYouTubeチャンネルを本格的に開始し,それから約9ヶ月後の令和2年2月ごろ,YouTubeが収益化されました.この頃は,少しは公のためにと思う気分が出てきました.

 それというのも,結局のところ,誰がぼくの動画を見ているんだという現実に直面したからです.

 ぼくは自分のYouTubeチャンネルのコンセプトを「独学者の演習時間」としています.数学科のカリキュラムでは,講義と演習はワンセットです.講義を聞いて得た知識を,自分で問題を解きながら使い方を体得し理解していく.そんな感じでの学びが続きます.
 独学の方はそうは行きません.教科書を読めば講義の代わりにはなるでしょうが,演習を一人でやるのは難しいです.また教科書の文章を素直に追うことはできても,少し突っ込んだ読み方はなかなかできません.そんな独学の方を想定聴衆として,ああでもない,こうでもないと題材をつつき回すような,そんな問題演習をご覧に入れたかったのですね.だからこそ毎回問題を設定し,それを解く中でポイントや考え方を解説するという体裁となったわけです.
 しかし実際に視聴者の年齢分布を見ると「18〜24歳」という範囲が視聴者の6割を占めており,つまりはほぼ半分以上の視聴者は大学生であろうという身も蓋もない結果が見えてきます.確かに考えてみれば,大学レベルの数学を真剣に学んでいる人数が絶対的に多いのですからそれも当然でした.

 であれば,にべもなく「想定聴衆ではありません」と切って捨てるのも気が引けます.何しろYouTubeはなんだかんだ言って「数こそ正義」の世界です.あまりやる気にはならない煩雑さだが,やればできるはずの計算を実際にやってみせるなど,基本的なコンセプトは変えないままながら大学生にも少し役に立つ内容を折り込みたいと考えるようになりました.

中年の責任が欲目を6に

 今年,新企画として「はじめての可換環」を始めました.この企画には,ぼくの個人的な思い出とともに,ぼく自身が感じている中年の責任が投影されています.

 何度か書いたり話したりしている話です.ぼくが数学を好きになったのは高校生のときでした.大学でも数学を学びたいと考え,駆け込んだ市立図書館で,ぼくはvan der Waerdenの「現代代数学」と出会ったのです(今にして思えば,当時からぼくは代数が好きだったようです).
 借りて読もうとした跡が読書ノートとして残っていました.最初のページに,イメージも何もつかめないまま,群の定義が書き写されていました.そんな状況ですから,数ページで力尽きています.今のぼくには「いろいろ書いてある良い本」という評価ができますが,当時のぼくにはそんな事は知る由もありません.

 あのときの自分に「これを見なさい/読みなさい」と勧められるものを作っておきたい.それはぼくの新たな欲目である一方,中年としての責任でもありました.自分のことばかり考えていてよい年齢ではありません.結果的に自分のためになるとしても,公のために,後進のために役に立つという観点でものを作ってみたい.自分の欲目が根底にあることは否定しませんが,決してそこに留まらない目的で作られているのが「はじめての可換環」なのです.

まあ,そんなところです

 書き連ねてきたものの,結局は己が欲目を超える大きなモチベーションがあるわけでもなく,ただ少しずつ変遷しながら今を迎えています.このあとどんな展開が待っているのかはぼく自身さっぱりわかりませんが,今しばらく頑張りますので,お付き合い願えれば幸いでございます.

(これより下に文章はありません)

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