数学を独学すること、および徒弟制について。

 幾日か前に「独学で数学を学ぶことは可能か」というテーマで, ささやかな意見交換が交わされていたのを目にしました. 穏やかに, お互いの意見を尊重しながらも, 自他の相違が少しずつ明らかになっていくという, 傍で見ていても実に楽しそうなものでした.

 この議論の要点は「独学」という語の意味・解釈です. この語の意味によって, 冒頭に掲げた文章は易しくも難しくもなります.

 最も強い, あるいは狭義の解釈では, 独学とは「あらゆる概念や道具立ての一切を自分で編み出して進むこと」となります. とはいえ, このような極めて強い意味で, 数学を独学で学んだと言える人は数学者の中にもほとんどいないでしょう.
 多くの数学者にとって「学ぶ」とか「勉強する」という語は,「他の人が書いたものを読んでその内容を身に付ける」という意味です. ここでは既に「他の人が書いたもの」の存在が前提とされており, 自分でそれらの内容を再発明することなど求めませんし求められません.

 では, どこまでこの条件を緩められるでしょうか.

 私見では「あらゆる入手可能な情報を使ってよい」と考えます. あらゆる文献 (紙媒体, オンラインを問わない), 参加可能な勉強会への出席, あるいはオンライン上で交わされる雑談に近い意見交換など, あらゆるものを使って構わないということです. もし親切な数学者に意見を頂戴できるなら, それも構わないと思うのです.

 質問を頂きそうです. そうすると, 数学徒はみんな, 独学で数学を学んでいることになりませんか?

 それもご尤もなご質問です. さすがに極端な意見でしょうか. しかし, やはり「使ってよい道具に制約を付けること」は不適切だと思うのです. 質問箱でも「本やネットで調べるのは間違った勉強法でしょうか」というご質問には明確に否と答えました.

 解決案のひとつは「独学か否かは道具によらない」と一旦結論付け, 他の定義を探すことです. しかし, 他の定義には何があるでしょうか.

 ヒントになりうるのは, いわゆる徒弟制です. 徒弟制と言って差支えがあれば, 大学における少人数のゼミナール制度と言ってもいいでしょう. ある程度の自由を指導者に預けて指導を受けます. 現在の大半の大学院生 (他分野より数学で少なく感じますが) はこのような環境にあり, また独学とは呼べない教育環境の典型例にも思います.

 徒弟制について, 大相撲の鳴戸親方 (元大関・琴欧州) はこんな風に言っています:

鳴門親方:稽古すれば強くはなります. それよりは素直で気配りができるかどうか. 関取が出れば付け人が必要になるわけで, 食事のときに水がなかったりするとパッと持って来ることができるとかの気配りが必要.
阿川氏:いま何が必要なのか瞬時に気づく能力ですか?
鳴門親方:ええ. その力があれば, 稽古場で私が教えていても, さらにそれ以上に自分で何が必要なのかわかって稽古することができます. そういう子はどんどん伸びていきますよ. (「阿川佐和子のこの人に会いたい」『週刊文春』2017年5月4日・11日号)

 実際に数学をやってみると難儀なことも多く, へこたれない/立ち直りの早い性格も重要になってきますが, それ以上に求められるのが「今何が必要なのか瞬時に気付く能力」です.
 この能力は, しばしば「目の良さ」と表現されます. そしてそれを身に着けるために, 師匠や兄弟子などとの密な人間関係に身を置いて, そのものの見方や考え方を肌で感じ続けることが徒弟制の方法論というのです.

 数学においても, 経験がある人なら頷けるでしょうが, 他の人の意見がもたらす刺激はときとして甚大です.

 ある程度基礎ができてくるほど, あらためて「一冊通して本を読む」という機会は少なくなります. 最先端の数学者は「自分に何が足りないか」を敏感に察知し, 文献を漁って必要な情報をサプリメントのように補いながら走り続けています. こと数学の最先端においては, 多くの分野にまたがる該博な知識は必要条件ではないのです. 自分で足りないものを補いながら課題をクリアしていく, この営みが自分でできるようになれば, 徒弟制度からは卒業です.

「自分に足りないものを補いながら課題をクリアしていく」

 これを独学の定義として採用できないでしょうか.

 とはいえ, これはかなり難しいハードルです. 自分に足りないものが何か, 何を読めばよいか, 自分で分からないことはいくらでもあります. そんなとき, それを探し出すためにはどんな手を使っても構いますまい. 幸い, 現代はオンラインで多くの数学徒・数学愛好家に出会うことができます. お答えできる部分など微々たるものですが, 何かの縁があればよいなと思って, ぼくもしばらくその端っこにいるつもりです.

Twitter数学系bot「可換環論bot」中の人。こちらでは数学テキスト集『数学日誌in note』と雑記帳『畏れながら申し上げます』の2本立てです。