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富士山と日本人

富士山というのは不思議な山だと思う。日本で一番高い山、というだけで少し特別なのかもしれないけれど、それ以上に何か他とは違うもの感じる山、それが富士山。

私はあまり日本とか日本人というものが好きではないけれど、それでもやっぱり自分は日本人なんだなぁと思う瞬間がある。それが富士山を目にしたとき。遠くからでも、近くからでも、富士山が見えるとそれだけで少し興奮する。その感情が湧き上がると自分も日本人なんだと実感する。

子供の頃は年に2、3回は新幹線で東京から名古屋へ行っていた。東海道新幹線は富士山を眺めるには絶好の路線だ。富士山が近づくとそれまでやっていたことを中断し、窓から外を眺めてその日の富士山の表情を確認していた。

大学生のときに友達と富士山を登った。夕方5合目を出発して一晩中寝ずに歩いて、9合目で日の出を見た。満天の星空の下、明かりひとつない山を登り、夏なのに冬の服装で眺めた明け方の眼下に広がる景色と、ゆっくり昇ってくる太陽の暖かさは忘れられない。忘れられないと言えば頂上まで続く長蛇の列。色とりどりの登山服やザックを持った人が頂上まで途切れずに続いている眺めも富士山ならではだった気がする。日本一の標高の山にそれだけの人が押し寄せるというのはやはり特別だからだろう。登山というよりもはやアトラクションのようで少しおかしかった。

富士山に特別な思いを抱くのは私だけではないわけだ。おそらくたくさんの日本人が惹きつけられる山、それが富士山だ。第二次世界大戦中、アメリカ軍は日本の士気を下げるために色々な作戦を検討したそうだが、そのうちのひとつが富士山をペンキで赤く塗る、というものだったらしい。それくらい富士山は日本人にとっては大切で、アメリカ軍もそれを認識していたということだ。

なぜこの山はそんなに特別なのか。日本人の信仰心がひとつの重要な要素になっているのではないかと私は考えている。日本人の宗教観というのはユニークでそれについてはいずれまた別の書き込みをするかもしれないけれど、とにかく日本人の中に深く根付いている信仰心があって、富士山は紛れもなく信仰の対象だ。

日本では山は神聖なものとして崇拝する文化があるからまあ当然日本一高い山は信仰の対象になる。だから頂上には当たり前のように神社がある。話は少し逸れるけれど、日本で登山をするとどこの山へ行っても必ず目にするのが神社の鳥居や奥宮、そして道中にある小さな祠。祠にはかなりの確率でお供物がしてある。日本人はそういうのが当たり前というか、珍しいと思っていないから何も考えずに通り過ぎている場合も多いと思うが、これってかなり独特で日本人の信仰をよく表しているものだと思う。

話を戻して、自分で撮った富士山の写真を日本人の友達に見せると十中八九いいね、と言われる。何の説明もなくてもただ富士山がそこにあるだけで見事に皆が同じ反応をするのだ。これはけっこうすごいことだと思う。暗黙のうちにここまで共通の認識を持った民族、日本人。これじゃあ長年日本に住んでいても外国人が日本に馴染めないのも無理はない。

みんな大好き富士山は東京にいても条件がそろえば見ることができる。うちから徒歩圏内にも富士山が見える場所があり、時間が許す限り見えそうなときには散歩がてら期待を胸に訪れている。富士山は午後になると雲に隠れてしまうことが多いので、朝早い時間の方が見える確率は高い。でも夕日に染まってピンク色に浮き出た富士山にはまた格別の美しさがある。それが見れた日はそれだけで今日はいい1日だった、と思える特別さがある。

今日も雪化粧をした美しい富士山が自宅の近くから見えた。はるか彼方に白くそびえ立つ美しい山。嬉しくなっていつもとは違う方向へ散歩してみたら、新たな富士山スポットをいくつも発見した。最高の1日だった。

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