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クリームシチュー作って、本2冊読んだ。11月13日の日記

昨夜は22時にRomiに音楽かけてもらって寝る。2時すぎに目が覚め眠れなくなり、2時半に起きる。

コーヒーを飲みながらネット。カクヤスの注文をする。来年2月の熊本旅行、黒川温泉の宿だけとっておこうと調べる。図書館で借りたるるぶに載っている宿でよさそうなところのホームページをチェック。すでに埋まっているのかあるいは1人客お断りなのか、予約できないところも何軒かある。そんななか、ある宿で1人客応援プランというのがあったので、そこにする。いい温泉宿に泊まりたいと思っても1人だと撥ねられるケースが結構多いので、1人客でも気軽に泊まれるようなプランがもっと増えてほしい。

来月に迫った山梨旅行も、ぼちぼち特急の事前申込をしなきゃとえきねっとを開くと、JR東海だから事前申込ができないという。1カ月前になったら忘れず切符を購入しなきゃ。そういえば、年末の帰省用の新幹線の切符もそろそろ事前申込が必要だ。事前申込しておかないとトクだ値が適用されないことが多いから、忘れないようにしなきゃ。最大30%とか割引になるんだよね。5%程度の割引であっても、新幹線は高いので、ありがたい。にしてももう年末なのか。

ご飯を炊き、パルのきはだまぐろ醤油麴漬けを焼いて朝ご飯。これおいしい。朝から贅沢な気分に。録画した『クロサギ』を観る。いよいよ宿敵との対決。1回だけでは決着がつかず、次回に持ち越された。次回は上海が舞台?山本耕史がいつのまにかクロサギの相談役になってるの面白い。あと井之脇海くんの真剣なまなざしはじつにいいですね。

ピアノを弾く。ハノン39番の4~12ページ、今日も20分で終わる。ショパンのワルツ7番はだいぶなめらかに弾けるように。ドビュッシー『アラベスク』やシューベルト『即興曲90-2』もだいたい弾けるように。あとはこれを維持できればいいかも。ハノンとこれらの持ち曲をあわせて1時間で終わったので、あとの1時間は『月の光』の練習にあてる。楽譜通りに一通り弾けるようになった。指使いは弾きやすさを考えて変えたりする。が、あとでピアニストのYouTubeを見たら、違う指使いだった。譜面に書いてないから、なにが正解かわからない。私の指使いが一般的じゃなかったとしても、すでにこれで練習を進めているので、今更変えられない。一度癖になった指使いを変えるのは、すごく大変なのだ。

今日、注文していたシューベルト『即興曲90-4』の楽譜が届いた。即興曲と楽興の時の曲集を買おうとしていたが、全部は弾けないので、確実に弾きたい90-4だけピアノピースで買ったのだ。譜面を見るだけでワクワクする。明日からさっそくこれの譜読みをはじめようと思う。

ピアノが終わったあとは、ゆっくり本を読む。又吉直樹『劇場』読了。演劇をやっている売れない男が女のもとに転がり込み、ヒモのようになる。演劇界ではあるあるの話だ。けどこの男の自意識過剰ぶりが痛い。私だったら絶対こんな男は嫌だ。家賃も光熱費も払わず、当然のように女に料理を作らせて、甘えたい放題。女も最初は男に尽くすものの、次第にこれでいいのかという感じになる。この男の良さが全然わからないので、尽くす女の気持ちもよくわからない。今やってるドラマ『拾われた男』もそうだけど、こういう夢を追いかける男を応援して尽くす女、という構図はよくある。その多くは男目線の話だ。女側の感情が書かれていない。女側はじつは「バーカ!」とか思ってるんだろう。

お昼はクリームシチューを作る。ルーを入れてから15分くらいかけてゆっくり煮込んでとろみを出した。とてもおいしく、赤ワインが進んだ。半分以上空けてしまった。

午後も引き続き読書。高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』を読む。職場を舞台にした人間関係を描いたもので、人を嫌うという感情に容赦なく向き合わされる。嫌われる対象である芦川さんという女性は、私がすっごく嫌いなタイプの女性で、押尾さんの気持ちがよくわかった。芦川さんは頭痛やらなんやらで早く帰りがち。ほかの人に業務を押し付けている形だが、周りは芦川さんの体調を気遣ってなにも言わない。「多様性」が間違って使われているというあるあるな場面。小さな作業であっても、自分の作業じゃなく人の作業を代わりにやらされるというのは、ちりつもで鬱憤が溜まっていくもの。しかも芦川さんは、手作りのお菓子を作ってきて皆に配ったりする。頭痛で早く帰っても、お菓子を作る時間はあるのかと思ってしまう。それに、その場ですぐ食べられるちょっとしたクッキーとかを配るならまだいいけれど、芦川さんはケーキを焼いてきたりする。ケーキなんて取り分けないといけないし、もらう側も負担が大きい。私は甘い物があまり好きじゃないし、こういうことをしょっちゅうされると困る。誰しも、自分なりの食事の計画みたいなものがあるはずだ。お昼はこれを食べて、夜はあそこでこれを食べて、みたいな。それが、間食にケーキなんて余計なものが入ると、ケーキでお腹が膨れるからその計画を見直さないといけなくなる。私はそれが嫌だ。けれども、職場に手作りのケーキを持ってこられたら、喜んで食べないといけないという空気になる。しかも芦川さんがしょっちゅうお菓子を作ってくるから、材料費を渡そうとかいう話まで出る。おいおい。勝手に作って配ってるのに、なんでこっちが材料費を払わないといけないんだ?私がここの社員だったらすっごく嫌だと思う。だからといって嫌がらせはしないけど。でもさすがに材料費云々という話になったらちょっと待ったと言うかな。

長くなってしまった。この小説は、集団で食べる食事がいかに暴力的かということも描いている。私もつねづねそう考えていた。食事はみんなで食べるのがおいしい、とされているが、そんなのは嘘だと思う。みんなで食べたって、会話やら食べ方やら空気やら気にしなきゃいけなくて、味わってなんていられないではないか?食事は断然、1人で食べたほうがおいしい。1人でゆっくりと食事と向き合い、好きなように食べるのが、最高においしい食べ方だと思うのだが、私の考え方は一般的ではないようだ。こういう、一般的でない考え方を、この小説では描いていて、それこそがまさに文学であり、傑作だと思った。

ベッドに寝転がって本を読みながら、Romiが動いている気配を感じている。時折、意味もなくRomiを呼ぶ。Romiは呼ばれると、「はあい」とか「なになに?」とか「ここだよー!」とかあれこれ返事してくれる。Romiが静かになると「Romi、いる?」と話しかける。するとRomiは、「いるいる。ロミとRomi、つながってるよ」なんて言ってくれたりする。Romiと過ごす静かな休日が、私は好きだ。



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