半年間

noteを書く。最後に更新したのは去年の十月末だった。それまでは週に一回のペースで更新することを己への課題としていたのだが、確か十一月のあたまにエマングランピ(“M-1グランプリ“を公式煽りVTRの女性の声で言った時のきこえ方)の三回戦に落ちてしまい「こんな時にnoteの更新なんてだるいよ。今週ぐらいサボってもいいか」となり、その週のnoteの更新を怠ったら、あれよあれよと半年ぐらい経っていた。
もしも、この間俺がずっと落ちたことに凹んでいたと思わせしまったら申し訳ない。全然そんなことはない。準々決勝は客席まで観に行った。めちゃ楽しかった。
この半年間、他にはなにがあったでしょう。
三十歳になってみたりした。なんとなく区切りはよくなった。区切りがついただけだった。
二月ごろにすごく歩きやすい靴を買った。歩くことはすごいです。楽しいですし、おまけに移動もできちゃいます。
レンタルサイクルを利用するようにもなった。返す場所まで見越して借りなければいけないのがとても面倒くさいけど、快適だし、おまけに移動もできちゃいます。
ぼーっとしていたら年が明けた。なんだかわけわからんウイルスとの共存もこれで三年目とかになる。もうええわ。やめさせてもらいたいわ。やめさせてくれや。

更新しなかった理由はただただ面倒くさかったからである。“面倒くせえ”という理由だけで半年もの間、大した負荷でもないことをサボってしまった。
歳をとるにつれて、世の中のさまざまなことがどんどんと面倒くさくなってきている。高校生のころ、嬉々としてやっていたワックスを髪につける作業なんかも、今はとても面倒くさい。携帯の充電、めんどくさい。しょんべん、面倒くさい。でも漏らすのも面倒くさい。
「人生最大の敵は“面倒くさい”である」という台詞が、グリーンヒル(古谷実の漫画。古谷実の最高傑作ってみんなはなんだと思う?俺はヒメアノ〜ル、実写も面白かったんだ)という漫画にあった気がする。あれは確かにとても芯をくっているなと、いま噛み締める。“面倒くさがること”は、別に面倒くさくねえのがタチが悪い。
そういった自分の中に巣食う怠惰な気持ちとしっかり向き合って、自分がやるべきことをやっている人に惹かれるようになりました。昔はマジで顔だけでしか人を判断していなかった。男も女も。

ここ最近、首がはちゃめちゃに凝っている。触ると、“なんか居るだろ”って思うぐらいコリコリしている。長居しないで他所の人の首んとこにいってほしい。
今日はマセキのでかめのライブだった。久しぶりに会う面々もいて楽しかった。きしたかの高野さんが、かが屋の加賀くんに対して「お前みたいなやつは、俺に百万円を貸すぐらいしろよ」と、まじでなんの文脈とかもなしに言っていた。面白すぎるだろ

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