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あなたに私は絡みつく 第18話


第18話 欧介


焦りすぎて、鍵が上手く回らない。そもそも錆がひどいから、そろそろ替え時だ。

「律!」

格子戸を開けるなり、律の名前を呼んでいた。玄関に、律のスニーカーと司の革靴。一本早めて飛び乗った新幹線の中で何回も想像した最悪のパターンが、また脳内再生されて悪寒が走る。
キッチンの方から、欧介さん、と呼ぶ律の声がして、靴をすっ飛ばして中に入った。

「欧介さん!」

「律、無事かっ…っ」

キッチンのカウンター越しに向かい合う律と司。
とりあえず最悪の状況じゃなかったことに胸をなで下ろした。が、司の視線が痛い。案の定、嫌みな言い方で刺してきた。

「おい…ずいぶんな扱いじゃねえか?俺は強盗かよ」

「お前、来るなら来るって言えよ!」

視界の端に入る律は、不安気に俺と司を見ている。

「急な出張だったんだよ。いつも連絡なんかしないだろーが…」

「司、ちょっと」

これ以上余計なことを言われる前に、俺は司を引っ張って廊下に連れ出した。玄関まで連れてきてから、小声で問いつめた。

「律に…何もしてないだろうな?」

「してないって、ちゃんと服着てんじゃん……って、お前マジか。まさかノンケの高校生に本気になってんじゃねーだろうな」

「…そんなんじゃない」

「じゃあなんでそんなに焦ってんだよ。お前と俺が寝てるとか言ってねーから、大丈夫だって」

「司!」

思わず大声が出た。頭の中の混乱がひどい。いま自分がどんな顔をしているのか、想像すると吐き気がする。

「と…とにかく、今日はもう…」

「帰れって?」

司の左の眉がつり上がる。機嫌の悪いときの司の癖だ。

「仕事早めに上げて来たんだけど?いつも拒まねーくせに、今日はすぐ帰れって言うわけね…」

司がにじり寄って来て、逃げ場が無くなる。顔が近づいて、心臓がどくどく打ちだす。司の手が、太腿を触る。それでも今、俺は断らないといけない。

「今日は…しない。悪いけど帰ってくれ」

「…ふーん…今日は、ね」

すっと身体が離れて、ほっとしたのもつかの間、司の腕が俺の肩を捕らえた。

「おい、離し……っんっ…」

いきなりキスされた。肩を掴む腕の力が、いつもよりずっと強くてぞっとする。舌を差し込まれて、無理矢理に口の中を犯される。
司の身体を押し返そうとして、彼の目が俺の向こう側に向いてることに気づいた。

まさか。

力一杯司を押しのけて振り返ると、青い顔をして立ち尽くす律がいた。

「り…つ…」

青ざめた律は踵を返し、リビングに戻った。追えずに足が固まった俺の背後で、司が楽しそうに笑った。確信犯だ。

俺は司を突き飛ばし、帰れ、と怒鳴った。

「律…」

リビングのソファに座っていた背中に声をかけると、びくっと身体を震わせて律は顔だけ振り向いた。

「欧介さん、おかえり」

ひきつった笑顔で、律は言った。司を怒鳴った声も聞こえていたはずだ。俺は少し距離を空けて、ソファの端に腰を下ろした。

「灰谷さんは?」

「帰ったよ。悪かった…いろいろ言われただろ?」

「平気。そんな長い時間じゃなかったから」

「…律…あの…」

膝に両肘を乗せて、頬杖をついた律の表情は、横からではよく見えなかった。が、普通通りにしようと気を張っているのが分かる。

「欧介さん!」

と、いきなり律がこっちを向いた。真剣な眼差しが俺には痛い。

「えっ…?」

「さっきのこと、何か弁解しようとしてる?」

「律……」

「大丈夫だって言ったじゃん!関係ないって!欧介さんの、その、恋愛とか、否定するつもりないって、俺言ったよね?」

「言った…ね…」

「だからさ、なんか、こういうことある度に、欧介さんが俺に申し訳なさそうな顔するの…やなんだよね」

「律、でも」

「でもじゃなくて!もっと信用してよ!俺は…欧介さんのプライベートを知ったからって、嫌いになんかならないって!」

俺を見ている律の瞳が潤んでいた。必死に水が流れ落ちるのをこらえて、目を見開いている。こんな律を見たことはなかった。

「信じてよ……そんな必死に隠さないでいいから」

律は声を震わせながら、一気に言い切った。
きっと司は、律を揺さぶることを言ったんだろう。それを一人で受け止めて、それでも律は俺にまっすぐ向かってきてくれる。
俺は、律の肩に触れた。

「わかった。律、じゃあ、聞いてくれる?」

律がうなづいた。


灰谷 司は、姉の元の夫。
今住んでいるこの家は、もともと彼ら夫婦が住んでいた。
結婚式で初めて会った姉の夫に、自分と同じものを感じた。しかし、近づくことはなく数年が経ち、前の仕事を辞めたタイミングで、再会した。
東京から逃げ出して住む場所もなかった俺を、姉がこの家に呼び寄せてくれたからだった。

ある晩に、俺の部屋をノックした司に無理矢理関係を迫られたことをきっかけに、俺と司の距離は急激に縮まった。
姉夫婦は仲が良く、俺と司の関係は露見することなく、日々が過ぎた。

しかし、司が経営する会社の借金が原因で、いつのまにか夫婦の間はぎくしゃくするようになった。次第に司は家に寄りつかなくなり、姉はその間に妊娠がわかったが、結局復縁せずに離婚を決めた。
彼女は今は実家に戻り、子供と幸せに暮らしている。
俺がこの家でひとりで住むというと驚かれたが、その裏に、司との関係が続いていたからという理由があるのは、もちろん知らない。


「律が前に…窓から見たのは、司だよ。たまに…来るんだ」

「……灰谷さんは、恋人?」

「………」

セフレだと、はっきり言う勇気はない。俺は黙ることしか出来なかった。
結果、姉の夫を寝取ったのだ。

「欧介さん、俺…」

思い詰めた瞳で律は俺を見た。軽蔑されても仕方ない。

「彼女と別れた」

「えっ…」

想像していたのと違いすぎて、面食らう。律は続けた。

「この間、最後まで出来なかった日…どうしてもそのままつき合い続ける気持ちになれなくて、次の日に断った」

「どうして…」

「そこまで好きじゃなかった。友達は好きじゃなくてもやれるって言うけど、俺には無理だった」

律が何を言いたいのか察して、心臓がまた痛む。

「欧介さんが灰谷さんを好きなら…別に、いいと思う。大人だし」

「…っ俺は…」

誤解されたくない気持ちと、淫乱だと思われたくない気持ちがせめぎ合う。一番伝えたくて一番隠したいことは、口に出せない。

「欧介さんが誰とつき合ってても、俺は、今までと同じがいい。…彼女作ってみて、わかったんだけどさ」

律が言葉を切った。泣きだしそうな顔で俺を見てる。俺はさっきからうまく息が出来てない。

「欧介さんといるのが、やっぱり一番好きだから」

好き、という単語を、どんな感情で言っているのかなんて、聞かなくたってわかる。
律への邪な気持ちをひた隠しにして、仲のいい友人として過ごしてきたからこそ、言ってくれた大事な言葉。

「…ありがと」

そんな律を、どうして裏切れる?
性的な目で見られていることを、律が受け入れられるはずがないんだ。

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