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講師として声をかけていただくのであれば正当な対価のお支払いと共に、どれだけの想いを込めてこちらは準備をしているのか、ということに想いを馳せて頂きたいというお話。


こんにちは、森部(@takashi_moribe)です。


以前、書籍を何冊も出版し、某有名雑誌で執筆もされ全国各地を飛び回っている超売れっ子の身体の専門家とのお話を思い出す機会がありました。


それはもうお一人同様に書籍を出版しており、セミナーをひらけば即日満員という売れっ子講師から同じような話を聞いたから。

だからこのエントリーを書くことにしました。


このエントリーでお伝えしたいこと


それは

「講師として呼んで頂くのであれば、正当な対価のお支払いと共に、講師がどれだけの想いをそのセミナーやワークショップに込めているのかを汲み取ってください。」

ということ。


僕のことをご存知ない方も多いでしょうから、簡単に自己紹介をさせていただきますね。


【プロフィール】
森部高史, MS, ATC, Certified Rolfer
元女子校中高一貫校英語教師。

退職後、スポーツ現場を支えるアスレティックトレーナーになるために渡米し大学院修了。

ATC(Certified Athletic Trainer)として全米各地のアメリカスポーツ最前線で仕事をした後に、日本ではまだ珍しいボディーワークという身体にアプローチして心身を整えるロルフィングの施術者として活動。

身体のスペシャリストであり教育者であるバックグラウンドを活かして、個人セッションのほか、全国の身体の専門家に対して身体へのアプローチに対して講義を行う。同時に株式会社Pono Lifeの代表取締役として「自分軸で生きること」の大切さを伝える活動をしている。

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日本とアメリカで身体と教育に関わる仕事をしていた関係で、個人セッションだけでなく、全国各地で身体に関するセミナーを治療家やセラピスト、インストラクターにトレーナーといった方々に講義をさせていただくことや、教育機関にお招きいただきお話をさせていただくことも多くあります。


いわゆるセミナー講師というやつです。


セミナーやワークショップに登壇することは、大好きです。

参加者の方々とのやり取りや、何かを掴んでいただけた時の「Ah-ha!モーメント:点と点がつながって線になった瞬間」や目の輝きというのは何事にも変えられません。

特に若い世代とお話させていただく時は、それから10年たって、逆に僕が生徒の立場になりお話を聞きに行くということも起こるわけで、そういったことも新たな刺激になっています。


だから講師業は大好きで、これからもずっと続けていくことになると思います。


多くの場合は、とても楽しい時間であるのですが、ときに「それはちょっと・・・」という時があり、それを知っておいて頂きたくてこのエントリーを書いています。


全国各地を飛び回る売れっ子講師たちから聞かれた質問。


身体に関する業界では知らぬものはいないない方から、ちょっと相談が・・・と言われてこのようなことを聞かれました。


「森部さんも講師を呼んでセミナーを主催されたりとかするけど、その時にお支払いする講師料ってどのようにされています?」


弊社は外部から講師をお招きして講義をして頂くことがあります。

その場合は、講師の方に一日の講師料を聞いて、それに交通費と宿泊費、その他必要経費を合わせてお支払いしています。


そうお伝えすると

「なるほど、、、

声をかけていただくのはありがたいし、なるべく答えたいとは思うのですが、『お金ないんで安くやってください』とか『無料でやってください』っていう依頼があって、意味わからないんですよね、、、

僕だったら本当に呼びたいのだったら、お金がなくてもどうにか集めると思うんだけど。。。森部さんのようにしてもらえるのが本当は普通ですよね、、、?」


これに対する僕の答えは以下の通り。

「いや、ほんとその通りですよ、そういう所は相手にしないのが一番です。そんな気構えの人になにか伝えたって、本当に大切なことは伝わらないですし、受け取れる準備ができていない何よりの証拠ですから。

なにより講師であるあなたが積み重ねてきたものに対しての敬意がないのが許せないですよね
。」


もちろん、お金だけでの関係性ではないところはあります。

しかし、それは講師側が決めることであり、主催者側が講師に強要や示唆することではありません。


実は、こういった講師料の取り決めや支払い、または無料(安価)での依頼に頭を悩ませている人は多いもの。

人気のある方は優しく人当たりの良い方も多いので、余計に面倒な状況に巻き込まれている印象があります。


ちなみに僕はこういったことに巻き込まれることは昔はありましたが、今はありません。

それは基本的な講師料を設定しているから。(後ろでちらっとだけ書きます)


よくある口説き文句


お金の都合がつけられない、だけど登壇して欲しいというときによくある常套句が


「長い付き合いなんだから」
「宣伝になるから」

といったもの。


自分も若い頃には、その言葉を鵜呑みにして引き受けていましたが、いまはこういった理由では引き受けていません。


長い付き合いならばこそ、それまでの道のりに敬意を示し、きちんとプロとして依頼しましょう。

宣伝になるような影響力をお持ちなら、講師料くらい支払えるはずですよね?


結局、もとから払う気がない(お金を集める気がない)から、こういった物言いになるわけです。


「はいはい、結局お金ですか」


そういった姿勢でいると、こう言ってくる人がいます。


「結局お金かよ」


でもね、考えてみてほしいんです。

レストランで注文してお金払わないとかないでしょ?っていう話と一緒。


あと、「お金がないから」という「お金」を最初に前面に出してきたのはあなたでしょ!というお話なんです。

その時点でお察し。


お金じゃないケースだって当然あります。


主催者の気持ちが心に触れて震えた時はお金なんていらない。


たとえば、その主催者が見据えている方向性が自分と一致していて、その未来に自分も力になりたいとなった場合。

最初は大変かもしれないけれど、共に進んでいきたい、そう思える場合は採算を度外視することだってあります。


他にも地方開催の場合で、自分が行ったことのない土地やそこで新しいことを育めそうなとき、また複数の講師が登壇するのでそこで新たな出会いが見込まれているようなときも同様です。


要は、自分がワクワクできるか、ですね。


また、自分の場合は元教師だったということもあり、教育関係や若い世代に対してお話をする場合は通常の講師料(○5万円~:○の中に入る数字はご想像にお任せします)よりもずっと安く、ときに無償で受けています。


これは、教育に携わってきた自分だから若い世代に伝えたいこと、知っておいてほしいことがあるから、という僕の想いがそこにあるから


負担の大きい教育現場


教育現場における先生たちの負担は想像以上に大きいです。

しかし、子どもたちは数年経てば社会の中に出ていかなければなりません。その時の準備が学校の中だけでできるか、というとそれは無理な話。

だからこそ、外の世界で生きている人間の話を聞ける機会というのが必要になります。


こういった機会において、出来る限り協力したいというのは僕の個人的な想いです。元教師ですから。


学生たちに話す機会というのは未来に種をまく作業。

だから教育関係であれば、安価または無償で引き受けることも多くあります。


ただ、これが「教育関係なんだから安価または無償なんですよね?」というスタンスで話をされる、というのは別の話になります。


自分とのそれまでの関係性、そしてこれからの未来が全てです。


例えば母校であれば、後輩たちのために、そしてお世話になった先生方にご恩返しとしてお話を無償でさせていただいています。

普段から公私に渡ってお世話になっている方の場合も同様です。


(ただ、そういう方々たちは、なんだかんだとご用意してくださいます)


僕でお役にたてるのであれば、なんでもという気持ちですし、力になれるのであればこんなにも嬉しいことはありません。


ただ、いままで何の関係性もない中で、いきなり「無料なんでしょ?」と言うのは違いますよね、という話。


学校関係でよくあるのは

「今年の予算はもう決まっているので、これしかないんです」というもの。


その事情もわかります。


でもその予算が数千円ってなんですか?

そもそもその組み方がオカシイよ、という話。


しかもまだ、近場だったらいいですが新幹線で数時間かかるところで交通費も出ないということをしれっと言ってくるところもあります。


繰り返しになりますが、オファーを頂いた時に「なぜ自分なのか」「どうして子どもたちに話をしてほしいのか」という部分で心に触れるものがあって、どうしてもお願いしたいのだけれど、これしかない、というような場合は

「お金じゃないですから。ぜひやらせてください」

と言って引き受けることもあります。こちらが赤字になっても、です。


でもそれは、こちらが決めること。


無理強いされることや、「子どもたちのために」と大義名分を振りかざされる筋合いもない。


少し考えてみて欲しい、本当にお金を準備できないのか


事情は人それぞれです。

ただ、今の時代「予算がないから頼めない」ってありえないんですよ。


自分が、教師として自分と繋がりがある、またはどうしても来て話をして欲しい人がいるとする。

しかし、学校からの予算は決まっていて、とてもじゃないけれど講師料としては安すぎる。


そうしたら選択肢は2つしかありません。


1:あきらめる

2:どうにかしてお金を集める


そもそも自分が本気で来てほしいという思いなのだから、1は除外になります。


すると2の「どうにかしてお金を集める」になる。


・まずは学校に掛け合う。
・それでもだめなら、自腹を切ることだってできる。
・同僚に声を掛けることだってできる。
・スポンサーを募ることだってできる。
・今の時代クラウドファンディングで集めることだってできる。

やり方はいろいろあります。


これは何も学校などの教育機関に限ったことではありません。


僕が身を置く、身体の業界においても同じことがずっと起こっています。


プロとして活動しているにもかかわらず、お金の集め方や稼ぐという意味を知らない。

それが一番の問題であり、これを脱却できない限りいつまで経ってもこの問題はついて回ります。


「お金がないから」ということは理由にならない。


事情は人それぞれです。

またお金がある方が偉いとか、稼げないのはだめだ、とかそういう話ではありません。


ですが、確実に言えることがひとつあります。

それは頑張ってお金を集めてくれたところのほうが、熱量も高いし、話を受けて行動につなげてくれる人が多いこと。


セミナー、ワークショップ、講演というのは、

単に「呼んで、来て、喋って、帰る」ではないのです。


そこには今までの経験、そして準備のための時間、当日の移動、その他いろいろな想いをギュッと詰めています。

こちらも本気です。


だからこそ、主催者の意向というのはとても大切


中には、ブログや書籍などを読んだこともないのに

「なんか話題になっているから、良いんでしょ?」というような形で声をかけてくる人もいるというからタチが悪い。


TEDに出演されたこともある植松努さんもこのように言っています

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Facebook:
いま、僕の講演は、基本的に50万円+交通費です。

アメブロ:
講演を「言い値」で引き受けていた頃の話

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一番話しを聞いてほしいと願ってやまないのが主催者に対してだった、何ていうのもよくある話。


講師はただ、口開いて言葉つなげているわけではありません。

今までの自分の人生をぶつけています。


そして、参加してくださっている方々のこれからの未来を変える一歩となるように魂をこめています


差は何かを考え始めて欲しい


「お金はないけどやってよ」という人がいる一方

「お金はなんとかしますからぜひやってください」という人がいる。


何がこの違いを生むのでしょうか。


「お金がないけどやってよ」という前にやるべきことがあるということを知ってください。


同時に、きちんとした対価を用意してくださる大人がいたり、普段提供しているサービスを喜んで受けてくださるみなさんがいるから、お金の都合がどうしてもつけられない学生たちに話をする機会を設けることができるということもあります。


それは本当にありがたく思っています。


お金のためだけに講師をしているわけではありません。

でもお金のことを無視して講師をするわけには行きません。



講師がどのような想いを持って人前で話をしているかを知っていただければ嬉しいです。


森部高史
https://moribetakashi.com/

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